「心配しないで?色々と優しく指導させて頂きますから。」
香取(かとり)とは、香取型練習巡洋艦「香取」をモデルにした艦隊これくしょん~艦これ~のキャラクターである。
慎吾ではない。名取でもない。線香は関係無い。戦闘機と武装合体もできない。
CV:未発表、イラストレーター:未発表
2015年2月に行われたイベント「迎撃!トラック泊地強襲」にて実装された、初の練習巡洋艦娘。
「旗艦にして演習を行うと取得経験値が増える」という能力を持っており、また練度が高いほど効果も上がる。
ただしその性質上旗艦ボーナスを他の艦娘に与えられなくなるので、一人を育てるときには不向きか。
なお、あくまで練習巡洋艦であり、軽巡でのルート固定や遠征には使えないので注意。
まあ、もしルート固定に使えたとしても、性能的にほかの軽巡洋艦を連れて行った方が良いのだが。
塾教師のような服装、眼鏡、手袋、巨乳、黒ストッキングという、好きな人にはたまらない格好をしている。
そこ!「夜のご指導お願いします!」とか言うんじゃない!憲兵が来るぞ!
また、その手には教鞭が握られている。文字通り教鞭を執っているのだろう。
ぜひ教鞭をふるってほしい、とドレッドノート級マゾ提督に大人気である。
その性格は優しく真面目。優しいといっても「甘い」わけではなく、おいたをする提督には厳しい躾が待っている。
ドM提督にはご褒美だが。
練習巡洋艦として、少なからず練習航海に自信を持っているようで、練習成果は裏切らないと考えている。
台詞から察するに、実戦に参加していた時期の記憶は薄れているのだろうか。
心の底から香取を愛する人々、通称<香取ック>なる集団がいるらしい。
元来、大日本帝国海軍では旧式化した巡洋艦を練習艦として使用していたが、老朽化が進んできたために1938年の昭和13年度計画で2隻の練習巡洋艦を建造することを決めた。この二隻が「香取」「鹿島」である。
香取は、1938年8月24日に三菱横浜造船所で起工、翌年6月17日に進水し、1940年4月20日に竣工した。
艦名は千葉県香取市にある香取神宮に由来。
乗員の他、少尉候補生が375名が居住でき、外洋での航海性能を重視して安定した船体形状を採用。実習のために艦橋や居住区は大きく設計され、また艦隊で広く使用されている兵器を多種多様に搭載。機関には蒸気タービンとディーゼル機関を組み合わせた推進形式を採用。
練習航海時に海外からの目があるため外観も威容のある設計が採られ、内装も外国航海の際に賓客をもてなすため立派な内装となっていた。
ただし、その分コストダウンは随所に見られ、船体サイズは抑えられ、船体構造も安価な造りを採用。
結果、「天龍型並みの火力と前弩級戦艦並の速力」と、その能力は低くなってしまった。
鹿島共々竣工後すぐ練習艦隊に編入され、8月に昭和15年度の遠洋航海に出発するも、この航海は前期で中止されてしまう。その後は艦隊に編入され、結局練習巡洋艦としての活動はそれっきりであった。
太平洋戦争では長らく第6艦隊の旗艦を務め、潜水艦・潜水母艦の指揮を行った。結局は先生か。
ミッドウェー海戦で伊168がヨークタウンを討ち取った際の指揮も香取である。
1944年2月15日、第六艦隊から海上護衛総隊に編入。
2月16日、第4215船団として特設巡洋艦「赤城丸」、第4駆逐隊の野分、舞風と共にトラック諸島から内地へ出発する予定だったのだが、赤城丸の荷役が遅れ、1日延期されることとなった。
その1日の延期で・・・
2月17日、一日遅れで出発しようとしていたその日、トラック泊地は機動部隊の空襲を受ける。
そう、トラック島空襲である。
第4215船団は空襲警報下令をうけ、泊地北水道を通過しようとしたが、逃れることはできなかった。
爆撃、機銃掃射を受けてボロボロになりながらも、先に轟沈した赤城丸の船員の救助を行うが、度重なる爆雷撃に曝され遂には大炎上。しかしそのような状態でも魚雷、14cm砲、高角砲による反撃を止めなかったという。
とはいえ、そのような満身創痍ではどうすることもできず、最後はアイオワらの砲撃を受け転覆沈没していった。
舞風も轟沈し、第4215船団で生き延びたのは野分のみであった。
1944年3月31日、トラック島空襲で沈没した「阿賀野」「那珂」「舞風」「文月」等と共に軍艦籍から除籍。
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最終更新:2025/12/10(水) 15:00
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