高部正樹とは、航空自衛隊出身の傭兵である。
1964年、愛知県豊田市に生まれる。
1983年、高校卒業と同時に航空自衛隊航空学生教育隊に入隊。飛行幹部候補生となり戦闘機パイロットを志すが、飛行訓練中の高Gで腰を痛め、エリミネート。やむなく退官する。
1988年、単身アフガニスタンへ渡る。ジャミアテ・イスラミに所属し、アフガンゲリラの一員として実戦初参加。共産軍(旧ソ連軍・アフガニスタン政府軍)を相手に戦う。
1990年、11月、ミャンマーからの独立を求めて戦う少数民族・カレン族の武装組織であるカレン民族解放軍に参加。第101特殊大隊→スペシャル・デモリション・ユニット(特殊破壊工作部隊)→第7旅団→第5旅団に配属され、ミャンマー政府軍を相手にゲリラ戦を展開。
1994年、戦友の誘いでボスニア・ヘルツェゴビナへ転戦。HVO(ハーベーオー・クロアチア防衛評議会)の一員としてボスニア紛争に参加。クロアチア傭兵部隊ビッグ・エレファントに所属し、セルビア軍・ボスニア軍を相手に戦う。
1995年、ボスニアを離れ、再びカレン民族解放軍の戦線へ復帰する。
2007年、7月に一時休業宣言。帰国後はフリーライターとして執筆活動に専念。雑誌等の連載、ミリタリー・自衛隊関連の取材をこなし、レポーターやコメンテーターとしても活躍している。
・幼少期から軍人になることを目標としており、戦闘機パイロットか歩兵になると決めていた。
・元々左利きだが、自衛隊入隊時に右撃ちに矯正されたため、ピストルやライフル、ナイフも左右両方で使える。
・アフガンでの戦闘中、戦闘ヘリMil-24(ハインド)のロケット弾にて腰を負傷。怪我らしい怪我はこの一度だけとのこと。
・アフガニスタン時代、ムジャヒディンに放送禁止用語を日本の挨拶として教えたことがある。
・「傭兵の誇り」連載中に、侍魂にネタとして取り上げられたことがある。後日対談企画も実現し、高部氏自身も同連載の最終回でこの件について触れている。
・特別カレー好きという訳ではない。
・一時期、首に賞金をかけられていたらしい。
・現USDDR(クロアチア内戦従軍外国人兵士協会)正会員。
・月間コンバットマガジンにて、傭兵指南【ジャッカル・スクール】を連載中。
・ウェルフェアマガジンweb site内で、ブログ【傭兵タカベの独り言】を不定期連載中。
・日本文化チャンネル桜に、ゲストとして不定期出演中。
・戦場の実際と現実の傭兵世界を描いた連載や著作によって、多くのファンを獲得している。
・mixiでは、著作とは一味違った明るく気さくな隊長さんとして親しまれている。
投稿済みの動画。「チャンネル桜」最新版もあり。
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最終更新:2025/12/07(日) 01:00
最終更新:2025/12/07(日) 00:00
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