鯰尾藤四郎(刀剣乱舞)とは、ブラウザゲーム「刀剣乱舞-online-」のキャラクターである。
イラスト:てく / CV:斉藤壮馬
鎌倉時代に活躍した刀工 粟田口吉光作の脇差。
元は小薙刀だったが脇差へと磨上げられた。
意思が強く、主が今度こそ焼かれぬよう時にいさめることも。
藤四郎兄弟のひとりで、特に骨喰藤四郎の世話を焼く。
(刀剣乱舞絢爛図録より)
刀種は脇差。刀派は粟田口。
長い黒髪を後ろで緩く結い、頭頂からぴょろんと伸びたアホ毛が特徴の美少年。(青年と少年の中間)
戦装束は刀派共通の軍服風の洋装。短刀達に比べると大人びた仕様になっているほか、骨喰藤四郎(刀剣乱舞)とは対になっている。
内番衣装も骨喰とお揃いで、胸元がリボンの骨喰に対し、鯰尾はループタイになっている。
かつて、主と共に焼けた為に記憶が一部欠けている。しかし本人はそれを気にした風もなく「過去なんか振り返ってやりませんよ!」と、明るく前向きな姿勢を見せる。
同じように焼け、ほとんど過去の記憶が残っていないという骨喰の世話を焼いており、二人で内番を行うと特殊会話が発生するなど、非常に仲が良い。
審神者との関係は良好で、二人してくすぐり合いをするなど、稚気じみた付き合いを楽しんでいる様子。
馬当番をさせると「馬糞は嫌いな、やつになげるー」「馬糞集めてきました。え、いらない?」と言うなど、何かとネタ扱いされる。
ちなみに馬糞は牛糞と比べると早い時間で良質の堆肥になり、土壌改良に役立つ事から貴重な資材である。馬のうんこプライスレス。
……そういえば有機野菜作りに凝っている太刀がいたような……?
普段はおちゃらけた所を見せる鯰尾だが、戦になると別の顔を見せる。
「戦闘、始めます!」と宣言して凛とした一面を見せ、傷ついても物怖じするどころか「もう勝ったつもりかよ…!」と不屈の闘志を露わにする。誉を取ると「ご期待に添えました!」と嬉しそうに報告するなど、戦において評価される事を喜ばしく感じている様子。
兄・一期一振(刀剣乱舞)と共に大阪に出陣すると、回想が発生。
共に焼けた大阪城の最期を目の当たりにしながら、思わず「ここをやり直せば」と言ってしまう鯰尾を毅然と窘める、粟田口長兄としての一期の姿を見る事が出来る。
ステータスは他の脇差に比べると生存が低いものの、その代わり必殺と隠蔽の値が高い。
鎌倉時代中期の刀工・粟田口吉光作の脇差。
元は薙刀だったが、磨り上げて脇差に直している。
名の由来は、ふくら(切先のカーブ)が鯰の尾に似ていた事から。
織田信長の次男・織田信雄が所有。
天正12(1584)年、当時敵対していた豊臣秀吉に内通していた三人の家老を成敗。これに怒った秀吉との間に、小牧・長久手の戦いが勃発する。この時処刑に用いられたのが鯰尾藤四郎であり、家老を処刑した家臣・土方勝久に授けられた。
後に土方は豊臣秀吉に仕える事となり、鯰尾も秀吉の手に渡る。秀吉はこれを「一之箱」に収めて愛蔵しており、同じ箱には一期一振や骨喰藤四郎も共に在った。
大坂城番・片桐且元が記録した「豊臣家御腰物帳」には「一之箱 なます尾藤四郎」と記されている。
秀吉の死後は豊臣秀頼に伝わり、秀頼は鯰尾を好んで差料にしたという。しかし大阪の陣において大阪城が落城、炎上。鯰尾藤四郎は一期一振をはじめ、多くの刀剣達と共に炎に包まれ、同じ運命を辿った。
後に焼身の状態で発見され、これを惜しんだ徳川家康の命を受けた刀工・越前康継の手で再刃される。
その後は尾張徳川家に伝わり、現在は物吉貞宗や後藤藤四郎と共に、徳川美術館(愛知)に所蔵されている。
2016年8月10日~8月23日、徳川美術館の「戦国名刀物語展」の会期中に、豊国神社より寄託された骨喰藤四郎と共に特別展示された。
この二振が同時に展示されるのは実に400年ぶりの事であり、こちらも話題となった。また、同美術館によるオリジナルグッズも販売され、即日完売するなど好評を博した。
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最終更新:2025/12/08(月) 12:00
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