黒羽根利規(くろばね としき、1987年6月2日-)とは、神奈川県出身のプロ野球選手(捕手)である。現在は横浜DeNAベイスターズ(背番号9)に所属。
| 横浜DeNAベイスターズ #9 | |
| 黒羽根利規 | |
| 基本情報 | |
| 出身地 | 神奈川県横浜市港南区 |
| 生年月日 | 1987年6月2日 |
| 身長 体重 |
178cm 80kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 捕手 |
| プロ入り | 2005年 |
| 経歴 | |
|
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| プロ野球選手テンプレート | |
小学生時代、三浦大輔のトークショーで、地元の少年野球チーム代表として三浦大輔に花束を手渡したことがある。このとき、三浦と「プロに入ってバッテリーを組もう」と約束したという。
日大藤沢高校から、2005年の高校生ドラフト3巡目で横浜ベイスターズに指名され入団。高校通算本塁打は僅か1本と非力で、強肩とキャッチングなどの守備面を評価されての指名だった。背番号59。
2008年に一軍初出場を果たし、以降徐々に一軍での出場機会を増やしていく。
2010年には初めてのお立ち台も経験するが、この時点ではまだ武山真吾や細山田武史らの後塵を拝していた。
2011年、武山真吾が正捕手を剥奪され、細山田武史も盗塁を刺せず走られまくったため、チーム一の強肩を買われて8月に一軍昇格すると、その後は実質的な正捕手として起用された。8月14日には前述の三浦大輔と小学生時代に約束したバッテリーを一軍で初めて組み、7回2/3を2安打無失点に抑える好リードと、盗塁阻止や一塁走者の牽制アウトで三浦を支えた。→「三浦大輔投手と黒羽根利規捕手の感動エピソード」 最終的に自己最多の45試合に出場、プロ入り初本塁打も記録する飛躍のシーズンになった。
2012年は開幕スタメンマスクを勝ち取るも、打率が1割前後と低迷し鶴岡一成にスタメンを奪われ始め、後半戦はルーキー高城俊人の台頭もあり2軍落ち。最終的に自己最多の61試合に出場するも打率は.126と投手とあまり変わらない成績に終わった。しかし、5月26日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦ではパリーグで盗塁数ダントツトップの聖澤を2度刺すなど、試合数は少なかったものの盗塁阻止率は.407をマークした。
2013年は30試合に留まったが、打撃面で成長が見られた。オフに背番号を9に変更。
そして2014年、鶴岡がタイガースへ移籍した事でレギュラー捕手を任される。
4月に怪我で離脱してしまうが、復帰後は2割台後半の打率を残し続けるという捕手としては悪くない打撃を見せ、肩も健在と成長を感じさせた・・・・・・のだが得点圏でイマイチ打てず、また守備面ではパスボールの多さ、強気で攻める一方一部投手と非常に相性が悪いリード面、タッチ技術の未熟さなどがあらわになってしまい、後半戦では打撃で劣る高城が先発マスクを被る事もあった。
まだレギュラーとしては1年目という事もあり、今後の成長が期待される。
いいか、黒羽根だからってGって言うなよ!絶対だぞ!
ニコ生の野球中継では、一時期はアニマスの赤羽根Pから「黒羽根P」などとも呼ばれていた。盗塁刺が決まると「ゴキジェット」というコメントも……
また、『黒羽根』という名前から遊戯王OCGの「BF(ブラック(黒)フェザー(羽根))」とやや強引に重ねる遊戯王ファンもいるとかいないとか…
| 球団 | レス | No | プレイヤー |
|---|---|---|---|
| DeNA | 応援歌のピコカキコ一覧 | 11667 |
(2013年終了時点)
| 通算:6年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 164 | 340 | 307 | 20 | 53 | 3 | 12 | 0 | 11 | 1 | 20 | 1 | 76 | 8 | .173 | .232 |
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最終更新:2025/12/16(火) 02:00
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