M1 エイブラムス(M1 Abrams)とは、アメリカ合衆国をはじめとした、西側諸国の主力戦車(MBT)の一つである。
開発はクライスラー・ディフェンス(現:ジェネラル・ダイナミクス・ランド・システムズ)で、第3世代戦車(90式戦車、T-80など)に属する主力戦車である。1981年に正式採用された戦車であり、現在までに複数のバリエーションが存在している。
開発当初はガスタービンの燃費の悪さや車高の高さ等の色々な欠点が指摘され、評価も同時期開発のレオパルド2に離されていたものの、1991年の湾岸戦争にて実戦に投入され、期待以上の戦果を収めた。
1957年のアメリカ国内不況以降、財政赤字が膨らむ一方であり、議会より開発予算が付かない米陸軍は第2世代MBT、M60パットンの改良型で長らくお茶を濁していた。米陸軍のMBTは控え目に見ても旧式化が進む一方、東側諸国ではMBTの更新が着実に進み、1965年5月9日に115mm滑腔砲を搭載したT-62がモスクワ赤の広場での「対ドイツ戦勝20周年祝典パレード」で華々しくデビューをした。
アメリカは1965年からのベトナム戦争の泥沼に嵌り、回復基調だった国内経済に打撃を受け、次世代MBT開発予算確保が更に困難となる。
ソ連のT-62の配備、次世代戦車T-72開発を察知していたアメリカは1965年1月、同じ西側陣営のレオパルド1を開発した西ドイツと共同で次世代主力戦車開発計画、MBT-70計画を開始。二国間で同一のMBTを開発・配備運用する事でコスト削減を狙ったものである。様々な開発案が検討されたが必要な仕様の取捨選択を行う際の運用思想の擦り合わせに失敗し、両国は意見の対立の末1970年に計画を中止、西ドイツとアメリカはMBT独自開発の道を選んだ。
アメリカは新開発計画XM815を開始し、ゼネラル・モータース社(GM)とクライスラー・ディフェンス社(現:ジェネラル・ダイナミクス社)の二社に試作車両の競作をさせ、1976年にクライスラー・ディフェンス社案を選定、1980年に第3世代MBT M1 エイブラムズとして制式採用・配備した。
レーガン政権下などで大量のM1が生産されていたこともあり、本国向けM1A2も含めて1992年、トータルで8322両も生産された。中東などへの輸出版(従来のディーゼルエンジンに換装、装甲は鋼板ともいわれるが定かではない)は1997年まで生産が続けられた。
当初アメリカは、120ミリ砲はソ連の40トン級戦車に対してはオーバースペックと考え、初期型にはM60と同じL7砲(105ミリ)を積んでいた。しかし、試験の結果、120ミリ砲は高初速ゆえに105ミリよりもAPFSDSの大射程における命中率が高いことが分かり、M1A1からはラインメタルの120ミリ砲の導入に踏み切った。[1]
開発中に第4次中東戦争でRPG-7等の歩兵兵器の一種、対戦車ロケット弾が戦車に対し猛威を振るった事を受けて装甲の研究も開始された。イギリスのチョバム研究所で開発された積層装甲(チョバム・アーマー)、空間装甲等、様々な新しい装甲開発の成果も取り込まれたが、最終的にはアメリカではその後の複合素材装甲の開発に頓挫したのもあり、鉛の比重に近い劣化ウランを積層化した装甲が採用された。
米軍MBTで使われて来た燃料であるガソリンより廉価で航空機用(戦闘ヘリ用)の燃料ケロシンに標準対応、高出力・軽量で信頼性が高い1500馬力のハネウェルAGT1500Cガスタービンエンジンを採用した。ガスタービンエンジン故、特別なメンテナンスを必要とするものの非常時には軽油・ガソリンも転用可能である。アイドリング中に湯水の様に燃料を消費する燃費の悪さは折り紙付きであり、世界有数のアメリカ軍兵站能力を以てすれば解決できるものの、燃費の悪さを補う為に、待機中にエンジンを停止させて燃料節約が出来る様に、ディーゼルエンジンやガスタービン発電機の補助動力装置(APU)が湾岸戦争以後に装備された。
M1の複合装甲はソ連のT-62戦車の115mm砲の距離800mからの発射、及びTOWのような127mm級のATMやHEATに耐えることを目標に開発されていたが、ソ連はさらに大口径の125mm滑腔砲を搭載した戦車を投入するようになったため、1984年に砲塔を大型化して暫定的に装甲を強化したIP(改良型)M1を製造、1985年から生残力と攻撃力(120mm滑腔砲の搭載)を向上させたM1A1の生産を開始した。防弾能力の開発は続き、1987年には劣化ウランを使用した新しい装甲パッケージを開発、これを組み込んだM1A1HA(HA:Heavy Armor)は重量が61tになった。[2]
M1A2では電子機器の追加が行われた。主なものは以下の3つである。
その後、M1A2をベースにC4I機能を搭載したM1A2SEP、市街地戦闘に特化したTUSKキットを搭載したM1A2TUSKなどのバリエーション開発が進むが、これらの車輌はすべてM1、M1A1などの旧型車輌を回収し、改修作業を行って配備という形をとっている。フレーム(ドンガラ)まで解体したあと錆や塗装を落としてもう一度組み立てるようなもので果たして改修といっていいものか悩むレベルのではあるのだが、こうすることで予算に厳しい議会に対して「新しく作ってるわけじゃないよ。改修だよ改修」と言い訳出来るんだとか。
湾岸戦争、そのあとのイラク戦争などその能力を実戦において証明(コンバット・プルーブン)したM1A2は現在ではその性能を高く評価されているが、M1A2+TUSKで重量が70トン近くなってしまうなど順調に肥大を続けており、これ以上の際限ない重量増大にはいかなアメリカ軍としても懸念を示しつつあるのも実情である。
2017年に、トロフィーという名称のアクティブ防護システム(APS)が採用されると報道されている。これはレーダーセンサーで周囲をモニタリングし、衝突コースを取っている敵のミサイルやロケットに対して金属製の複数の物体をショットガンのように発射することで撃ち落とすというシステムになっている。[4]
湾岸戦争中、1両のM1A1が泥穴にはまり込み、身動きがとれなくなった。部隊はそのまま進撃し、回収車を待っている間、イラク軍の戦車小隊(T-72が3両)に襲われた。
1両目は距離1000mでHEATを発射し、M1A1の砲塔正面に命中したがダメージを与えられず、次の瞬間にM1A1の反撃で撃破。ほぼ同時に2両目のHEATが命中したが、やはり砲塔の装甲を貫通せず、Uターンして逃げ始めたT-72は背後にM1A1の砲弾が命中し炎上した。3両目はそのまま突進し距離400mでAPFSDSを撃ったが、MIA1の砲塔正面の複合装甲を窪ませただけだった。3両目のT-72はそのまま近くにある砂丘の背後に隠れたが、M1A1の乗員が熱線映像照準装置で砂丘の上にエンジン排気の陽炎が上がっているのを発見し射撃、APFSDSは砂丘を貫いてそのままT-72を撃破してしまった。
戦闘後に2両の回収車が到着して回収を試みたが車体を引き揚げることができず、やむなく救援隊のM1A1の主砲で破壊することにしたものの、2発の120mm砲弾は砲塔の正面装甲で跳ね返されしまい、別の位置から撃った3発目は装甲の薄い後部を貫通して砲塔弾庫の弾薬を誘爆させることに成功したが、ブローオフパネルと自動消火装置が設計通りに作動し、乗員区画に延焼しなかった。
結局3両目の回収車が到着して引き上げることができたが、内部を調べると照準装置に損傷があっただけで、主砲は射撃可能だった。この車両はその後、砲塔を交換して戦線に復帰したという。
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最終更新:2025/12/06(土) 14:00
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