未来の文学とは、
・言葉があればそれでいいもの
・同名のSF文学のことではない
・未来の文学は俺たちに何を伝えようとするか
・あなたが暴れたからここまでこれた(Twitter使ってウサギ型ピンクの悪魔ディスってやっただけ)
・www
わたしたちの未来は、はたしてブルースウィリスの23世紀を探検する映画のように残念なものであろうか。
そうではないと、考える。その証拠に、われわれはすでに、未来の文学の道を歩み始めているからだ。
あの藤子Fフジオ(漢字忘れた)でさえ、ほんの100年後くらい(22世紀)の未来しかわからなかったのである。
文学とは、異端を照らすものである。少なくともこれまではそうだった。
これまで意味を与えられていなかったものに、意味を与える仕事である。
未来の文学は、未来への挑戦、…?であるとも、考える。
しかし、文学は結局のところ、暇つぶしでないといけないと、思うのです。
だから未来の文学は、未来の暇な人が読んでいる。そんなものであるはずです。
(ここで出会った人も出来事も感動も、全て暇つぶしに、なるのか)
そしてその作者は、“勘違い詩人乙”って感じの人が相変わらず、書いていると思います。
一番確実な未来予知の方法は、未来自体を作り出してしまうことである。(ピーター・ドラッカー)
とも言うが、結局
www→笑えればそれでいい
みたいなものが、未来の文学ではないのでしょうか。
言葉は永遠に失われることなく、思いは受け継がれていく
なんていう風に、いろんな人が考えた。未来の文学について考えた。でも、わからない。
なんといっても、未来のことだから。未来はわからない、だから面白い。
ということは未来の文学は、これまで書かれたどんな文学よりも、面白い。
どんな暇な人も、夢中になって読み続ける。そんな大スペクタクルとひらめきが詰まっていることだろう。
ぼくは未来の文学を読みたい。生きているうちに。
その未来の文学はどこにあるだろう。未来の文学を探してぼくたちは、いつも話をしている。
話をしているのは、誰か。ぼくであり、みんなだ。
ニコニコカタカタと、みんなが話している。これはきっと、未来の文学だ。
少なくとも未来の文学だったと、あとで語られることになる、貴重な書物だろう。と、ぼくたちは考える。
なにしろいつも、みんなが話すことは、どこで語られたことよりも新しい。
今すぐに、口から出るより先に、指先から語られているからだ。
文学とは言葉によって異端を照らすものだと、だれかが言っていた。
ぼくたちは(みんなは)指先から画面をみつめて、この世の異端を照らそうとしている。
それが日々の営みではなかったか。
いまぼくたちのいるこの場所でかかれている書物は、図書館つまれているあの書物に比べれば、
むごい扱いを受けている。
それでも、ぼくたちの新しい文学は、きっと永久に残るだろう。
本当に心の底から出た言葉は、何ものによっても壊されることがないからだ。
ぼくたちの締め切りは、すごく近い。
読み流される前のほんの一瞬に。
そして原稿の制限も、短い。ほんの少し言葉を迷ったら、
その言葉は流れてしまう。
そんな厳しい締め切りにおわれても、新しい文学者達は今日も文学を繰り出している。
おはよう、未来の文学者さん
きょうもぼくたちの未来の文学が、はじまる。
って、おれたちのことかよ(*≧▽≦)=3
2013/12/25 0:55 →(ここから未来)
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