『ねるとん紅鯨団』とは、1987年10月から1994年12月までにフジテレビ系列(関西テレビ制作)で放送された、とんねるず司会のバラエティー番組である。略称は『ねるとん』。
概要
司会はとんねるず。ゼネラルディレクター(=演出)は伊藤輝夫(現・テリー伊藤)。
番組名の由来は、前番組『上海紅鯨団が行く』の「紅鯨団」と、「とんねる」ず→「ねるとん」を組み合わせたもの。
実制作担当はテリー伊藤が独立前に所属していたIVSテレビ制作。
スポーツ用品メーカー・ミズノの一社提供番組。
スタジオパートの収録は初期~中期は浅草ROX内のスタジオ、後期は関西テレビの子会社が所有するレモンスタジオ(世田谷区砧)で行われていた。
途中から男女のお見合い企画オンリーとなった。当時深夜という認識がまだ強い夜11時台(23:00~23:30)の放送であるにもかかわらず、平均17.3%、最高24.7%という高い平均視聴率をマークした。
番組は、自己紹介と貴さんチェック、フリータイムを経て告白タイムへ移る。フリータイムとは、参加した男性・女性が談笑する時間で、とんねるずがモニターを見ながら実況する。
告白タイム
男性が1人ずつ女性に告白する。進行役の石橋貴明もしくは木梨憲武があらかじめ誰に告白するか聞いた後に、男性が意中の女性の前に立ち、思いのうちを告白する。他に競合者がいなければ、そのまま告白は進行するが、競合者がいれば「ちょっと待った!」と叫んで、競合者もその女性の前に立つ。これが「ちょっと待ったコール」である。続けて女性に自分の気持ちを告白し、男性側は全員右手を出すか、プレゼントを出す。女性が気に入った男性の手を取ったらカップル成立。気に入らなければ「ごめんなさい」と言って拒否する。
『やる夫、意中の女性とツーショットでしたね。まっすぐ行きましたよ~』
やる夫 25歳 彼女いない歴3年
「ずっと話してて、気が合うと思ったお!今度一緒にドライブするお!僕と付き合ってくれお!」「ちょっと待った!」「ちょっと待った!」
『おおっと!ここでやらない夫と、ヒッキー!』やらない夫 25歳 彼女いない歴6ヶ月
「あなたにふさわしい紳士はこの俺だろ、常識的に考えて‥」
ヒッキー 22歳 彼女いない歴22年
「話、全然しませんでしたが、もし良ければお願いします(-_-)」
「ごめんなさい」
エンディングでは、成立したカップルをVTRで流し、敗れた男性はその場から走り去るのであった。
この他、スペシャル企画では、特定の層(高校生・スポーツマン)限定やバレンタインデーに女性側から告白する回なども放送された。
土曜夜の名物番組
1980年代末から1990年代前半にかけて放送され、当時の若者を中心に絶大な人気を誇った。
また、1989年からこの「ねるとん」の後にもバラエティ番組枠が増設され、ダウンタウン・ウッチャンナンチャン・清水ミチコ・野沢直子が共演した伝説のコント番組「夢で逢えたら」(1989年~1991年)、森脇健児・森口博子の司会でレギュラー出演者だったSMAPが頭角を現すきっかけの一つになった「夢がMORII MORI」(1992年~1995年)も「ねるとん」との相乗効果で人気番組となった。
豆知識
- 『ねるとん』という言葉は、この番組がきっかけで俗語となり、現在でもお見合いやコンパの際にしばしば使われている(「ねるとんパーティー」「ねるとんツアー」など)。
- 「彼女いない歴○年」という言葉はこの番組発祥で現在でも使われている。
- カメラの中に2人だけ映っている状態を表す言葉『ツーショット』が、とんねるずは正しい意味で使用していたのにもかかわらず、使用される場面が男女二人であったことから「男女2人で喋ること」、簡潔にいえば「男女カップル」を表す俗語として若者の間で広まった。その為、とある漫画の外伝のタイトルは「ツーショッツ」と複数系にせざるをえなかった。
- 素人参加番組であったが、不定期で芸能人大会も行われた。
- 番組の初代ナレーターとして、当時まだ新人であった皆口裕子が起用された。皆口の最初の代表作となった仕事と言っても過言ではない。
- 1989年-1990年のスキーシーズンには同番組内で流れるミズノのスキーウェアのCMソングとして高野寛の「虹の都へ」が使用され人気を呼び、シーズン開けにCD化されるとオリコン初登場で週間2位という爆発的ヒットとなり、誰より高野本人がそのヒットに驚いたという。
現在では
番組はとうの昔に終了しているものの、「ねるとん」「ちょっと待ったコール」「大どんでん返し」は、よく知られている。漫画やアニメなどでこの番組を基にした演出が組み込まれたり、初代番組ナレーターの皆口裕子が出演している作品内でパロディをやることも。
関連動画
関連商品
関連項目
- 4
- 0pt