イラク戦争(第二次湾岸戦争)とは、2003年〜2011年まで続いていた戦争である。
概要
イラクと、アメリカ合衆国、イギリス、ポーランド、クルド人勢力との間で行われた戦争である。また、上記の通り終結宣言がなされたのは2011年だが、戦闘自体は2003年で終了している。イラクの湾岸戦争時での武装解除義務違反から始まったので第二次湾岸戦争とも呼ばれる。
なぜ始まったのか
湾岸戦争が終結した時に、イラクは大量破壊兵器の放棄を義務付けられた。しかし、イラクはこれを不服として大量破壊兵器を所持していた。これによって1993年にはアメリカ軍の攻撃をイラクは受けていたが、それでもイラクは大量破壊兵器の所持をほのめかし続け、国内のシーア派(イスラム教の少数派)やクルド人を虐殺し続けた。(ネタバレするとほのめかしていたのはハッタリで、周辺国を怖がらせるためであった)
また、フセイン政権は大量破壊兵器の放棄の査察にも非協力であったため、米英各国は開戦に踏み切った。
開戦後
2003年3月20日に始まってから、戦闘そのものは1か月ほどで終わってしまった。旧イラク軍は米英軍の前にほぼ何もできず敗れた。
しかし、フセインは殺害できず、しばらくは逃げて回っていた。フセインが逮捕されたのはその年の12月だった。その後、「シーア派住民を虐殺した罪」で2006年に死刑が執行された。
しかし、本当の地獄は「戦闘」が終わった後であった。政府が崩壊したことで無政府状態になったイラクの治安は崩壊し、略奪し放題になった。また、アメリカに反発する反米武装勢力はゲリラやテロリストと化し、アメリカ軍やイラクの暫定政府の軍隊や警察、国連事務所やその他民間の外国人を狙ってテロ攻撃や拉致を行うようになった。日本人も、この時拉致被害に遭っている。そう、この戦争はベトナム戦争以来の泥沼戦争となってしまったのだった。結局、完全にアメリカが撤退したのは2011年になってからだった。現在は、イラクは主権を回復しているが、2013年にはイスラム国の攻撃を受けるなど、現在も復興したとは言えない状態にある。
大量破壊兵器は?
結論から言うと、大量破壊兵器はなかったらしい。なぜないのにあるかのように振舞っていたのかについては、フセインは「湾岸戦争で敗北してからイラクの威信は落ちた。大量破壊兵器がないとわかればイランやシリアに侵攻されると思った」と供述している。
日本との関係
日本は、PKO以外では戦後初めて自衛隊を海外に派遣し、米軍の輸送やイラクの復興支援に協力した。
また、小泉純一郎首相(当時)は「アメリカの攻撃し理解し、支持します。」と表明した。しかしながら、国民全体が納得しているとはいえず、反戦デモなどが起きるなどもあった。
これら二つのことは、左派勢力から批判を浴び、名古屋高等裁判所に於いては「自衛隊派遣が違憲である」という判決まで出るほどだった。
アメリカの行動の是非
否定
イラク戦争を主導したアメリカに対しては、日本に於いても主に左翼勢力から非難された。理由としては、
などが挙げられる。また、2022年にロシアがウクライナに侵攻した時は「アメリカに非難する資格があるのか」という声まで左翼界隈からは聞かれた。
肯定
一方で、
- フセインが「スターリンのやり方が好き」と公言する、反対派やシーア派を虐殺する非民主的な独裁者であり、実際に虐殺を行ったこと
- 湾岸戦争に於いてはクウェートに侵攻した前科があること
- 大量破壊兵器の放棄を検査する査察に非協力的であり、ハッタリとはいえ大量破壊兵器があるかのように振舞っており、また、仮にその当時なかったとしても、そのうち開発する可能性が高かったこと
- 「アメリカが民間人を殺した」と非難するが、そもそもイスラム側もアメリカの民間人を殺していること
といった根拠でアメリカを擁護する意見もある。
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関連項目
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