基礎データ | |
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正式名称 | インドネシア共和国 Republic of Indonesia Republik Indonesia |
国旗 | |
国歌 | 大インドネシア Indonesia Raya |
公用語 | インドネシア語 |
首都 | ジャカルタ |
面積 | 1,919,440 km2(世界第15位) |
人口(’14) | 約252,164,800人(世界第4位) |
通貨 | ルピア |
概要
名称
日本語での正式名称はインドネシア共和国。インドネシア語では Republik Indonesia (レプゥブリッ・インドォネスィア)。
インドネシアという語は現在のマレー諸島を指すヨーロッパ人による呼称の一つに由来し、Indos (ギリシア語で「インド」)+ nesos (同じく「島」)+ -ia (同じく女性名詞語尾。地名によく見られる)、つまり「インド方面の島国」くらいの意味。
民族・宗教・言語
7割をマレー系(半数以上がジャワ人)が占める総人口は3億人に近く、その8割前後がイスラム教徒(スンナ派が大勢)であるため、実は世界最大規模のイスラーム教国である。しかし300以上の少数民族に配慮して国教は特に定めておらず、イスラームも世俗主義路線(イスラーム法による統治を行わない)を貫いているためか、あまりピンとこないかもしれない。[1]
とはいえインドネシアの建国五原則(パンチャシラ。憲法前文)では「唯一神への信仰」が定められており、国是として無宗教は許されていない(多神教であっても宗派等で特定の一柱ばかりを重要視するのが普通であるので、ヒンドゥー教や仏教はもちろん道教であっても構わない。合わせて1割未満の少数派であるが)。キリスト教徒は残り1割前後で、東部各地で優勢である。他にもシャーマニズム・アニミズム的な伝統宗教も各地に残っているが、前記の原則のために建前で多数派のイスラーム教徒を名乗っている者も多いらしい。
言語のインドネシア語は隣国のマレー語系に属し、マラッカ海峡一帯で交易用共通語として用いられてきたマレー語方言である「海峡マレー語」を国語用に整理して標準語化したもの。表記システムもマレー語と同じで、互いの言葉で意思の疎通が図れるので、マレー語にちょっと訛りの入った方言程度の認識でも良いだろう。
自然
18,000個以上の大小さまざまな島嶼およびその一部からなり、主に西から順にリアウ島、ジャワ島、カリマンタン島(ボルネオ)中部・南部、スラウェシ島(セレベス島)、ヌサ・テンガラ諸島(小スンダ列島)、マルク諸島(モルッカ諸島)、パプア島(ニューギニア島)西部で構成されている。観光地として人気のバリ島は首都ジャカルタのあるジャワ島のすぐ東。
ケッペンの気候区分によると熱帯雨林気候に属し、様々な植物や動物が見られる。例えばヌサ・テンガラ諸島のコモド島にはトカゲの現生種では世界最大のコモドドラゴンがいる。
また、環太平洋造山帯が通っているために火山や地震が多く、近年も相次ぐ大規模な地震とそれによる津波で甚大な被害が出ている他、ジャワ島東部のシドアルジョでは有害物質を含む熱泥など大量の地下噴出物による数年越しの大災害が発生している。
経済・産業
石油・天然ガス、スズなどの資源が豊富。OPEC加盟国でもある。
農業などではコメ、パーム油、ゴムなどがつくられている。コメの生産高は世界第3位。
軍事
国防は主にインドネシア共和国国軍が担当している。総兵力は2017年時点で395,500人で、予備役が約40万人。軍事予算は国家予算のうち3~4%を占める。[2]
軍としての歴史の始まりは、日本が第二次大戦で降伏したあとにオランダ植民地からの独立を果たしたインドネシアが政府布告で作った治安維持組織が元となっている。なお国軍の創設と軍事体制の整備には現地にいた旧日本兵による支援などもあったとか。
スハルト政権時代には西側諸国(NATO)との協調により近代的な軍備を導入できたが、東ティモールがインドネシアからの独立を図った「東ティモール問題」をきっかけにアメリカが兵器群の禁輸制裁を行ってきたことで関係が悪化。これに対してインドネシアは対抗措置としてロシアや中国の兵器群を導入するという対抗措置をとり、これによりインドネシア軍の兵器は東西の兵器が混ざった状態になっている。ちなみに禁輸は2005年まで続いた。
東ドイツ海軍の艦艇やドイツ製潜水艦、21世紀にはオランダ製コルベットや韓国製潜水艦を発注している。火器もアメリカの榴弾砲やロシア製ロケット砲、シンガポール製榴弾砲、チェコスロバキア製ロケット砲なども導入しており、年々その実力を高めている。
主力小銃は国営企業によるFN FNCをコピーした自動小銃「Pindad SS1」。ただしSIG SAUERやH&K MP5、コルトのM16、ステアーやAK-47など東西の小銃も幅広く使われている。毎年オーストラリアで開かれる豪州射撃競技会(AASAM)においてはインドネシア軍兵士たちがトップ3に入ることもあるほどの実力。 [3] [4]
日本との関係
主観的な見解が含まれる可能性があります。 |
現在、インドネシアとの関係は非常に良好で、インドネシアには多数の日本企業が進出しており(トヨタ、ホンダ、松下など)、在留邦人も11,000人ほどいる。
しかし第二次世界大戦中に日本がインドネシアに侵攻し占領、その日本統治時代の傷跡は未だに残っている。当時、インドネシアを統治していたオランダのやり方は英仏などと比べて悪く、オランダ本国向けの商品作物を強制栽培させて現地人の農業を破壊して飢餓を起こさせたり、インドネシア語の使用を禁ずるなど愚民政策が行われ、これらのオランダ植民地統治でインドネシア人は圧政を強いられていた。
太平洋戦争で日本軍が東南アジアに侵攻を開始すると、インドネシアにまで日本軍が攻めてくることを恐れたインドネシアのオランダ軍はインドネシア人に対しても日本軍と戦うように命令するが、インドネシア人たちは日本軍がオランダを追い出して助けてくれると期待して、オランダ軍の命令には従わなかった。当時インドネシア人の間では「いつか白い絹をまとった神たちが空から舞い降り、悪しきオランダを追い払ってくれるだろう」という救世主の伝説が古くから語り継がれており、日本軍のパレンバン攻略作戦で落下傘部隊を空から投下して攻め込んだ際、部隊のパラシュートの色が白であったため、彼らは古くからの伝説が本当であったと思い込んで大フィーバーが起きた。日本がオランダを追い払ってくれると期待したインドネシア人たちは日本軍の蘭印攻略作戦において日本軍に全面協力し、オランダ軍が日本軍の目的であるロイヤル・ダッチ・シェル社のパレンバン製油所を爆破するように命令したが、インドネシア人たちはそれに従わずに爆破させないように製油所を守り、その後に占領した日本軍に提供したほどである。
日本軍の蘭印作戦を指揮した今村均陸軍中将は、そんな協力的なインドネシア人たちに感激して軍政部を設置した際にインドネシア統治における振興予算を大幅に引き上げて資金援助を行い、オランダによって流刑にされていた後のインドネシア大統領のスカルノらを即時釈放し独立資金まで提供している。他にもインドネシア人向けに石油の販売価格をオランダ統治時代の半額に割り引き、撤退したオランダ軍から没収した金もインドネシア人のための学校を作るなど、インドネシア振興のために尽力した。他にもオランダ植民地時代は禁止されていたインドネシア語の使用を許可し、大本営から重要国防資源とされた白木綿の大量供出を要求してきた際にもインドネシア人の窮乏を見かねた今村中将は要求を拒否して「インドネシア原住民の振興こそがインドネシアに必要不可欠である」と説明している。しかしこういったインドネシアへの恩情統治が次第に大本営の怒りを買うようになり、1942年11月には今村中将はインドネシア占領から僅か8か月で最前線のパプアニューギニアのラバウルに転勤させられてしまい、それ以降は日本軍による苛烈な統治が始まる。
まず日本語教育が徹底され、インドネシア語を使うことは禁止しなかったが公の場での日本語の使用を強要した。そして日本軍の占領地自活のための食糧としての米の徴発が始まり、このせいで現地での米の価格が急上昇して餓死者が出るまでに食糧事情が悪化した。そして武器や弾薬の現地製造や日本に供出するための資源開発のために労働奉仕に駆り出され、食糧事情も悪化して医療品も不足してきたのも相まってインドネシア人の労務者たちの間で飢餓や疫病が蔓延して多数の死者が出た。特にジャワ島では労務者の徴用が厳しく、当初は400万人、終戦時には1000万人ものジャワ現地人が労務者として強制労働を強いられ、東南アジアの各占領地に27万人の労務者が送り込まれ、5万人しか生きて帰ってこれなかった。死亡率は80%を超えていることになる。特に有名なのがビルマとタイを結ぶ泰緬鉄道の建設のためにインドネシア人45000人、オランダ人捕虜2700人が徴用されてビルマに送られ、現地でのタコ部屋労働で最終的に20000人しかインドネシアに生きて帰って来なかった。(もっともインドネシアはまだマシな方で、タイ人は数万人、ミャンマー人は18万人、マレーシア人は8万人、中国や朝鮮から徴用した現地人も含めて合計50万人が労務者として徴用され、現地での強制労働で飢餓やマラリア、コレラが蔓延して多数の死者が出た。生き残った労務者は泰緬鉄道完成後は別の工事現場に送られたため、東南アジア人の正確な死者は未だ不明であり、生きて帰って来たのは半分以下の24万人だけであった)これらの日本軍による労務者の強制徴用は過酷を極め、東南アジア各国の現在の歴史教科書でも何ページにも記録が紹介されており、ロームシャ(労務者)という言葉は未だに負の遺産として残っている。
さらに日本軍の統治はインドネシアの経済も破壊してしまう。インドネシアは18000もの島々で形成された群島国家で各島の交通に船が使われたが、その船までも日本軍は徴用したため島同士での食糧や物資の流通が出来なくなってしまった。さらに現地通貨を軍票の使用を強制、言うまでもなく軍票は東南アジア各国の現地日本軍によって乱発されて猛烈なインフレが起きて、インドネシアも例外ではなく今村中将の退任後から僅か3年で物価は30倍以上にも跳ね上がって貨幣経済が崩壊してしまった。
こうした日本軍の本土最優先の統治によって、日本が我々を助けてくれると信じたインドネシア人たちは絶望して日本に恨みを抱くようになり、次第に日本軍に非協力的になっていく。
しかし第二次世界大戦後、一部の日本兵が復員を拒否してインドネシア独立戦争に支援・協力したこともあり、日本軍への評価は戦後は一部において回復した。(実際には現地でインドネシア人を虐待したため戦犯にされることを恐れてインドネシアに協力したのが実情ではあるが)特に独立戦争当時のインドネシア大統領だったスカルノ氏は日本の活躍を喜び、日本人の少女と結婚した。この少女は、のちのデヴィ夫人である。また、スカルノ氏とデヴィ夫人は靖国神社を参拝し、「A級戦犯と呼ばれる人々は刑罰を受けたことで全て罪を償った。祖国や家族の為に死んだ者を弔うのは当然」と述べている。
2000年に味の素の現地法人社長が逮捕される事件があった。調味料の材料にイスラームのタブーに触れる豚肉が使用されているという噂を当局が調査し、製造過程で用いる触媒(直接商材には入らない)が豚由来だったことが判明した為であった。味の素が全商品を回収し触媒を換えることで事件は収束、社長は釈放された。
近年、ジャカルタ首都圏の鉄道(KRLジャボタベック)に日本の鉄道会社で廃車になった車両が増えてきている。これは急増する需要に対して、車両を新造出来る予算がつかない状況において規格面でおおむね同一である日本製の車両に白羽の矢が立ったためである。先陣を切ったのは都営6000形である。新車の導入により置き換えをされた際に政府開発援助の一環で無償で譲渡された。これ以降、JR103系・203系や東急8000系・8500系、東京メトロ5000系・6000系・7000系、東葉高速鉄道1000系が入線して、さながら東京の鉄道の見本市の状況になっている。さらに東京メトロ東西線を走っていた05系の導入も始まり、その後JR205系の大量譲渡が実施されるなど、日本時代に顔を合わせた車両や本来ならば顔を合わせる事があり得ない車両同士が同じ路線を走ると言うカオスな状況となっている。
また、自動車においても数は非常に少ないがインドネシア製の車が日本において販売されている。トヨタ・タウンエース/ライトエースは数年前にモデルチェンジを行った際にインドネシアで生産・販売される「ダイハツ・グランマックス」ベースとしたうえで日本の風土に合うように仕様を変更、当地より日本へ輸入する形をとった。カタログなどには原産国表記は書いていないが、運転席側ドアに存在するコーションプレートにはインドネシアのダイハツで製造された事を示す「PT.ASTRA DAIHATSU MOTORS」の文字や「Made in indonesia」と書かれた部品がそこかしこに存在する。
このように近年のインドネシアの対日感情は戦時中の日本統治による恨みはおおむね解けて親日的になっている。しかし日本統治時代の負の歴史はインドネシアの高等学校の歴史教科書で230ページ中15ページ、約6.6%も割かれて日本統治時代の日本軍の圧政が紹介されているように、日本が過去にインドネシアに行った虐待の傷跡は未だに残っているのが現状である。他にも1991年にインドネシアで『ムルデカ』と題する映画が公開された。これは日本の保守派が制作した映画で、日本軍がインドネシアを独立させた英雄として描かれており、それを見たインドネシア人から大ブーイングが起きて、当時のインドネシア駐日大使アブドル・イルサンは『国民感情を害した』と非難している。
このように現在のインドネシアの対日関係はあくまで現状に過ぎず、日本の侵略が許されたわけではない。そのことを忘れてインドネシアが親日だからと日本統治時代を美化するようなことを言いだせば、途端に歴史修正主義の非難を浴びることにになるので注意しておいた方が良いだろう。
その他
観光地としてはバリ島が有名。バリ島は世界一のイスラーム教徒人口を抱えるインドネシア(全人口の8割前後がイスラーム教徒)の中では珍しくヒンドゥー教(独特な発展を遂げたバリ・ヒンドゥー)が多数派で、独自の文化が発達している(そのためテロの標的にもされやすいのであるが)。
インドネシア料理は他の東南アジアの料理と比較すると味付けは(編集者の主観であるが)マイルドで食べやすい。
地政学的にはマラッカ海峡など航路上の要地が多数通ってる場所にあり、海賊がよく出没している。かつては世界の海賊犯罪の4割以上がマラッカ海峡で発生していた時期もあったものの、近年は国際的な取り締まり体制が強化されて減少傾向にはあるようだ。
また多民族国家の常として、民族自立運動やそれに伴うテロ行為がたびたび発生する。有名なものでは、世俗主義路線に異を唱える急進派イスラーム組織ジェマア・イスラーミーヤによる数々の自爆テロ、オランダからのインドネシア独立に端を発する自由アチェ運動(組織)を中心としたアチェ独立運動(2004年のスマトラ島沖地震による当地の壊滅的被害を契機に和平成立・独立放棄)など。
メラネシア系カトリックが殆んどを占め、2002年に独立を果たした東ティモール(国際法上はポルトガルからの約500年来の独立!)はいまだに経済・政局が不安定であるが、有望な油田もあり将来の成長が期待されている。
インドネシアを悩ませている問題は日本と同じく自然災害であり、日本以上に大地震、大津波のリスクが高く、その割に耐震対策はお座なりにしていたせいで、M6クラスで数千人単位の犠牲者が出ていたりする。そして歴史上、世界を数多くの危機に陥れた(日本でも飢饉という形で影響を及ぼしている)大噴火がインドネシアの島嶼群で起きているため、世界の科学者がアイスランドとともにインドネシアの火山活動の動向を絶えず見張っている。
主な島と都市
ジャワ島
世界最大の人口を持った島で、その人口は1.2億と日本全人口に匹敵する。そして島全体の人口密度も1000人近い。島の西部は山がちであり、最大標高は3,676m。なお、歴史上いろんな国に占領された歴史があり、イスラム、ポルトガル、オランダ、日本と支配され続けてきた。北西にジャカルタ、西部にバンドン、東端にスラバヤ、北部にスマラン、中央部にスラカルタ、マランといった都市があり、その他ジョグジャカルタが有名。
- ジャカルタ
インドネシアの首都。人口は約960万人。その都市圏人口は約3200万といずれ日本の首都圏を超えてしまうペースである。実はジャカルタは5つの都市に分かれた広域都市であり、それぞれ都心部の中央ジャカルタ、工業地帯の東ジャカルタ、下町の西ジャカルタ、山の手地区の南ジャカルタ、そして港町の北ジャカルタにわかれている(東西南北いずれも人口100万以上)。ジャカルタ市街は東南アジアでもシンガポール、マニラ、バンコク、クアラルンプールと並ぶ大都会であり、200~300m級の超高層ビルがずらっとそびえている。だが、地盤沈下が問題視されており、いずれそのビルは基礎を失い倒壊するのではないかと恐れられている。なお、インドネシアはインフラや経済面でジャカルタとそれ以外の格差がひどくなっているため、カリマンタン島に首都を移転する計画を立てているらしい。 - スラバヤ
インドネシア第2の都市であり、東ジャワの中心地。オランダ植民地時代から繁栄した港町であり、また最大の軍港都市でもある。華僑、アラブ系が多く住み、国際色豊か。スカルノ大統領の出身地。 - スマラン
中部ジャワ州の中心地。スラバヤとともにオランダ植民地時代に集散地、積出港として発展した都市であり、戦後にインドネシア独立派と旧日本軍が衝突し、スマラン事件が起きた。なお、その後都市化と工業化が進んだが、地下水汲み上げにより地盤沈下が発生、水害が起きやすくなったため、日本の円借款による治水事業が行われている。 - バンドン
西ジャワ州の中心地。スンダ人が多く住み、ジャワのパリと呼ばれた。インドネシアの大都市の中では内陸部にあり、気候が穏やかで暮らしやすい。オランダ植民地からのインドネシア独立戦争の舞台となった場所でもあり、ここで兵士らが再び撤退したこの地を取り返す決意を固めた。なお、ジャカルタからは近く、この両都市を高速鉄道で結ぶ計画があるが、日本と中国で泥沼の入札戦争を繰り広げた挙げ句、未だ開通の目処が立っていない。 - ジョグジャカルタ
ジャワ島の南部に位置する都市。観光リゾート、学術都市としても発展している一方で、歴史的な古都でもあり、マタラム王国によるイスラム系国家が歴史を作ってきたため、国内で唯一スルタンによる地域王室制度が残されており、州知事を務めている。
スマトラ島
インドネシア最大の島で、これ一つで日本の全国土より広い。マレー半島の間には東西交通の船の要衝といわれたマラッカ海峡がある。古くはヒンドゥーと仏教により国家が興ったものの、13世紀末からイスラム勢力が進出した。かつてはそこまで人が住んでいなかったため、インドネシア政府主導で、国民を約200万人ほど移住させた経歴を持つ。なお、北西端は独立運動で知られたアチェ州があったが、スマトラ島沖地震で壊滅的打撃を受けたために、それを期に和解した。メダン、パレンバン、プカンバル、バンダールランプンという大きな都市がある。将来的にジャワ島とを橋で結ぶ計画があるらしいが、現大統領はそれを棚上げしてしまったため、開発は頓挫した。なお、ジャワ島の間にあるスンダ海峡は数多くの海底火山があり、美しい自然を作り上げた一方で、ときに歴史に名を残すような大噴火を起こしたりもしている。
- メダン
スマトラ最大の都市であり、マラッカ海峡沿いにある。オランダ植民地時代にプランテーション作物で繁栄した都市であり、華人やジャワ人の移民労働者が多い。また、『唐行きさん』と呼ばれる私娼が多く出稼ぎに出た地でもあり、その後も日本人が多く滞在するようになった。 - パレンバン
スマトラで2番めの都市であり、同じくマラッカ海峡沿いにある。油田とともに開発、発展した都市であり、そのため日本軍の奇襲を受ける(しかし、無傷で製油所を占領しており、これはパレンバン空挺作戦と呼ばれている)、日本軍の軍資として重宝された。 - バンダールランプン
ジャワ島との玄関口に当たる都市であり、人口は急増している。
カリマンタン島(ボルネオ島)
別名「ボルネオ島」。マレーシアとブルネイ側はボルネオ島、インドネシア側はカリマンタン島と呼んでいる(つまり、信濃川と千曲川のような関係)。世界で3番めに巨大な島であり、面積は日本国の約2倍近く。東西に両国の国境が置かれ、北側はマレーシア(一部ブルネイ)、南側はインドネシアとなっている。
熱帯雨林の貴重な動植物の宝庫であるとともに、鉱産資源が豊富で、そのため開発と保護に揺れている。ポンティアナック、バンジャルマシン、サマリンダという中心都市があるが、人口100万以上の大都市はない。また、ボルネオ側と比較すると自然が厳しいため、コタキナバルのような世界的なリゾート地も少ない一方で、油田が多く発見されており、今後の発展が期待されている。
2019年にジャカルタからの首都移転に関する話が話題となり、カリマンタン島への移転が予定されていることが発表された。しかし現在の首都の維持費に加えて移転の費用もかかり、さらに2020年は新型コロナウイルスへの対応に追われることになったため、本格的な移転はまだ先と見られている。[5] [6] [7]
バリ島・ロンボク島
ジャワ島やスマトラ島は知らなくても、この島は知られているというぐらい、観光地として有名な島。元々はバリ・ヒンドゥーの拠点だったが、イスラムの移民流入によってテロも多発している。しかし、歴史的な踊りと音楽、史跡や美しい海が多くの人を惹きつけ、デンパサルを中心に数多くの観光客が訪れ、特にオーストラリア人と日本人の観光が多い。ロンボク島はその東側にある島であり、バリが治安悪くなったので、その代わりに開発が進み、一躍観光の島となった所である。だが、地震が頻発しており、観光客も被害を受けたりしている。
スラウェシ島・ハルマヘラ島
通称「ラージK」と「スモールK」で、その名の通り、アルファベット大文字のKに島の形状が似ていることから名付けられた。東インドネシアの中心地であり、見た目は辺鄙な場所だが、価値の高い香辛料が採れたため何度もこの土地をめぐって戦争が起きている。なお、ハルマヘラ島は火山が多い自然の島で、ムスリムが多く住む。また、この島の最北端にはメナドというリゾート都市があり、日系人が多く住み、日本を黄金の国と信じているなどやたら日本への憧れが強い。
- マカッサル
スラウェシ島の中心都市で、人口は100万人以上と、ジャワ、スマトラを除いて最も多い。旧市名はウジュンパンダン。香辛料を初め、黒檀などの香木、真珠など貴重なものが数多く採取されたため、歴史上、数多くの標的となった。現在も、その複雑な歴史のためにイスラムとキリストの過激派同士の衝突が絶えなく起きており、渡航は危険である。なお、その郊外でM7.5の大地震が起き、内陸部なのに液状化した地下水の噴出によって津波が起き、集落を飲み込んだという、世界中の科学者が想定しない大惨事が発生した。
リアウ諸島
シンガポールに近い位置にある島嶼群で、シンガポールとの玄関口であるバタム島、リゾート地として名高いビンタン島などがある。中でもバタム島は自由貿易地域となっており、電子、機械、造船など数多くの産業が爛熟し、人口も100万人を超えている(面積は横浜市ぐらい)。なお、余談だがバタム島の中心地はナゴヤといい、名古屋市とは無関係ではないらしいが、市名の由来は不明。
ニューギニア島
世界で2番めに大きい島であり、その広さは日本の2倍以上。東経141度線より東側がオセアニアのパプア・ニューギニア、西側がインドネシア領となっている。パプア島という言い方やインドネシアではイリアン島という言い方もある。その過酷な自然とまるで乏しい資源から、歴史上価値を持たれなかった島であり、単純に植民地主義の犠牲者。一方で、あまり侵略もされなかった(できなかった)ために、大自然と動植物の宝庫で原住民が多く暮らしていたりもするが、インドネシア側はジャワ人が多く入植をした。
ティモール島
ロンボク島の更に東に位置する、スンダ列島に位置する島。島の東側が東ティモールとして独立したことで知られる。小さな島だが、白檀の島とも呼ばれ、その香木をめぐって数多くの国家が支配、占領してきた歴史を持つ。その白檀加工が島の経済を支えているが、インドネシアが納める西ティモールは所得が低いため人口流出が著しい。
フローレス島
ロンボク島とティモール島の間にある小スンダ列島の島。インドネシアでは珍しく、カトリック教徒が多いことで知られる。3つの火山湖を持つクリムトゥ山やマウメレ、リウンなどのダイビングスポットがあり、観光客にも人気がある。このフローレス島の西側にあるのがコモドオオトカゲで有名なコモド島である。
スンバワ島
ロンボク島とフローレス島の間に位置する火山の島。とりわけ、有史史上の大噴火を起こしたタンボラ山が知られ、それまで4000m以上あった標高が現在は2800mとなってしまっている。イスラム教徒が多い。競走馬産地として知られ、特に世界でも珍しい少年競馬が行われているが、色々と倫理的な問題も提起されている。また、沿岸は波が高く、フローレス島とともにサーフポイントが多い。
関連動画
関連項目
- 国の一覧
- アジア
- 東南アジア
- 東ティモール
- ジャワ島
- バリ島
- スラマッパギ
- デヴィ・スカルノ
- AKP・モクタン
- マヤ・プトゥリ
- コモドドラゴン
- リオック
- KRLジャボタベック
- ババル島事件
- スマトラ島沖地震
脚注
- *ただしアチェ州などのようにイスラム法(シャリーア)による罰則を適用している自治体もある。キリスト教徒にむち打ちの刑を執行したこともあり、国際社会から非人道的として非難を受けている。
- *インドネシア基礎データ | 外務省
- *オーストラリア陸軍主催の国際射撃競技会『AASAM』スナイパー競技部門で陸上自衛隊チームが優勝 (デイリーニュースオンライン 2018.05.07 10:34)
- *豪州における射撃競技会(AASAM19)陸上自衛隊部隊の参加状況について (陸上自衛隊 2019.03.27)
- *インドネシア、首都移転先はカリマンタン島 (BBCニュース 2019年8月27日)
- *首都移転、費用が課題 大渋滞解消狙い計画 インドネシア (毎日新聞 2020年8月23日)
- *インドネシア、首都移転計画棚上げ コロナ対応を最優先 (ロイター 2020年8月20日10:23 午前)
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