クリストフ・フォン・ミヒャールゼン(Christoph von Michaelsen)とは、「銀河英雄伝説」の登場人物である。
概要
外伝『螺旋迷宮』に登場するゴールデンバウム朝銀河帝国貴族・軍人。帝国暦379年の生まれで、極位極官は中将・軍務省参事官。軍人としては前線指揮官より軍官僚に向き、本省勤務が長かった。
伯爵家の次男として生まれ、自身も男爵の位にあったが、親族との間で財産をめぐって争いがあったという。帝国暦442年、自身の執務室で射殺されているのを発見されたことで記録に残っている。
ミヒャールゼン提督暗殺事件
暗殺事件の発生は、帝国暦442年10月29日のことであった。
この日、ミヒャールゼンは士官11400名にもわたる人事異動発表当日の軍務省参事官室で執務を執っていた。昼ごろ、ハウザー・フォン・シュタイエルマルク大将がミヒャールゼンに面会しているが、13時15分に辞去している。同20分頃には、参事官室を出、第一次発表に沸く省内を見て肩をすくめていたという。さらには14時頃、軍服姿の人物が参事官室を出たという目撃証言もあった。
そして14時30分過ぎ、デスクに向かったまま頸すじを撃ちぬかれているミヒャールゼンの遺体が発見される。第一発見者はフリートベルクという大佐で、第二次発表の人混みに押し出され、開放されていた扉から偶然参事官室によろけ込んだことでの遺体発見であった。
当然、暗殺事件についての捜査は行われたが、当日唯一の面会者であったシュタイエルマルク大将からは有用な証言は得られず、また人事異動発表の混乱の中であったこともあり捜査は難航。長期の捜査もついに功を奏さず、犯人は不明のままとなった。
この暗殺事件は、帝国軍史のなかでも不名誉な記録の一つとして残されている。
帝国と同盟を結ぶ諜報網
ケーフェンヒラーによる調査
帝国暦430年代なかば、クリストフ・フォン・ケーフェンヒラーという人物がミヒャールゼンの補佐についていた。ミヒャールゼンは同じクリストフというファーストネームから、この若い佐官を何かと気にかけたという。そのケーフェンヒラーはその後コーゼル艦隊の情報参謀に転じ、帝国暦436年、第二次ティアマト会戦に参加することとなる。
この第二次ティアマト会戦に先立って、ケーフェンヒラーはコーゼルと対面し、ミヒャールゼンから何か後ろ暗い相談を持ちかけられはしなかったか、という質問を受けた。そして、何もなかった、と答えたケーフェンヒラーに対し、コーゼルはこう語を重ねた。ミヒャールゼンは、統帥本部にあいたいくつもの穴のありかを知っているようだ、と。
これは、ミヒャールゼンが帝国軍内のスパイ網に関わっている、ということを示す恐ろしい示唆であった。ケーフェンヒラーはこののち第二次ティアマト会戦で同盟軍の捕虜となり、さらに惑星エコニアの収容所のなかでジークマイスター提督なる亡命者の情報を、そして知己であるミヒャールゼン提督の訃報を知ることになる。そして彼はミヒャールゼンとジークマイスターとの間にある繋がりを見出し、この疑惑についての研究調査を進めていくこととなる。
その結果得られた、ミヒャールゼンのスパイ網についての疑惑の詳細については、まず記事「マルティン・オットー・フォン・ジークマイスター」を参照されたい。
ミヒャールゼンに隠された謎
さて、ミヒャールゼンは、貴族社会への不信感からジークマイスターの秘密組織に加わり、”銀河帝国の歴史上、もっとも優秀で危険な反国家的スパイ網”を作り上げた。これを受け、ジークマイスターはミヒャールゼンに組織の指揮を任せると、かねてから憧れていた同盟へと亡命する。帝国暦419年のことであった。
そしてふたりは、得た情報を同盟軍に提供しはじめた。やがてジークマイスターが同盟の英雄ブルース・アッシュビーと提携すると、アッシュビーはミヒャールゼンからの玉石混交の情報を最大限に活用し、帝国軍に対して連戦連勝を挙げるようになったのだ、とケーフェンヒラーは推測している。ミヒャールゼンもまた見事な手腕で帝国軍内の防諜監視をくぐり抜け続けたが、帝国暦436年ごろにはついに帝国軍首脳部に自身の存在を突き止められたとみられる。ミヒャールゼンの粛正は必至であった。
しかし、そうなる前に第二次ティアマト会戦が発生する。この戦いでスパイ網の調査にあたっていたコーゼル大将含む60名以上の将官が喪われると、帝国軍首脳部はもはやミヒャールゼンを追うどころではなくなった。ミヒャールゼンもまた、組織を一時冬眠させて機を見ていたものとみられるが、この戦いでアッシュビーが戦死したこともあり、ジークマイスターも引退、オルガナイザーと情報選別者を失った彼のスパイ網の能力も低下していった。
こうして、ミヒャールゼンは帝国暦442年、突然の死を迎える。ケーフェンヒラーはこの暗殺に関して、コーゼルとも知己であったシュタイエルマルクが何らかの形でミヒャールゼンの死に関わっていたのではないか、と推測しているが、真相は定かではない。
関連動画
関連項目
- 0
- 0pt