ツインターボとは、1990年代前半に「破滅的なバカ逃げ」というレーススタイルでマニア的人気を博した、非常にファンの多い競走馬である。
(自動車エンジンの「ツインターボ」の項目をお探しの方は即刻ターボチャージャーの記事を参照)
主な勝ち鞍
1991年:ラジオたんぱ賞(GIII)
1993年:七夕賞(GIII)、オールカマー(GIII)
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この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘については 「ツインターボ(ウマ娘)」を参照して下さい。 |
がいよう
1988年4月13日、北海道静内町に生まれる。父母ともに重賞での勝ちはなく、お世辞にも血統は優れてはいなかった。
牡馬にもかかわらずかなりの小柄。レースで走れば、周りの馬より一回り小さい馬体で非常に目立った。新馬戦以外では、生涯通して常に420kg~400kg台であった。デビュー初戦から逃げの戦法をとり、競走生活を終えるまでただひたすら逃げ続けた、小さな逃亡者[1]。4歳(旧表記。以降も同様)時のラジオたんぱ賞で重賞を初勝利し、セントライト記念・福島記念を2着と善戦。古馬になってから七夕賞・オールカマーを制す[2]。晩年は上山競馬に移籍。勝ったのは初戦のみで、他のレースは全て2~8秒遅れての最下位もしくはブービーであった。
引退後は宮城県で種牡馬となるが、98年心臓発作のため11歳で急逝。
産駒は既に引退し、その血は残っていない。
まあそんな能書きはツインターボの魅力を語るに際してどうでもいいことなので、関連動画を見なさい。
ツインターボ。
彼が一度走れば、スタンドからは笑いが沸き起こり、向こう正面に達する頃には地鳴りのような歓声に変わる。レースが決する頃には、皆ターボのことなんてすっかり忘れている。なぜか?
ツインターボは、ゲートが開くと同時にロケット花火のように飛び出し、ペースなどという単語を微塵も感じさせない破滅的な大逃げを打つ。その末に逆噴射を起こし、ともすれば故障発生にしか見えないようなムーンウォークを見せ、最後は歩いてゴール板前を通過する。彼の古馬時代はほとんどがそのような競馬ばかりであり、勝ったレース以外では、掲示板にすら載っていないどころか、惜しいというにも憚られる惨敗。古馬の戦績はたったの25戦3勝である。そんな愚直な競馬しかできなかった一介の逃げ馬が、善戦続きの4歳時より、惨敗続きの古馬時代に人気を呼んだ。21世紀の競馬ファンならば、確実に首をひねるであろう不可解な逆転現象である。
一体、ツインターボの魅力とは何なのか。
それは、ターボを心から愛するファンが答えてくれるはずである。
「何故こんな馬が好きなのか?」とファンに訊けば、彼らは口を揃えて言うだろう。
「だって、見ていてゾクゾクするじゃないか」
「それでこそツインターボでしょう?」
そう、ツインターボとは「様式美」なのである。
美しくも儚い大逃げと、その直後の急激な逆噴射、それがツインターボの競馬であり、勝ち負けを争うレースとは別世界の物語なのである。
近年の日本競馬界が侵されている「スローペース症候群」。スタートからテレテレと走り、最後の直線に向いたらヨーイドン! そのような競馬ばかりが目立つようになって久しくなった。みんながみんな同じことをしたら、特徴も何もなくなってしまう。毎度毎度レースを見れば同じような展開ばかり。
そんな時代に現れた逃げる救世主、それがツインターボ。後方で牽制しあう有力馬を尻目に、どこ吹く風とばかりに破滅的なペースでガンガン加速していく。「ターボについていったらおしまいだ。どうせ最後はバテて歩くんだから」と考えて控えたら、もうそこはツインターボの桧舞台。ネタ馬扱いされていた馬が、良血の強豪馬に泡を吹かせる――そんなマンガのような胸のすくレースを夢見て、今日もターボの逆噴射を眺める。その夢がいつか、現実となる日が来ると信じて。そんな彼の姿を、ファンは敬意を表して「師匠」と呼んだ。
そして彼は、七夕賞とオールカマーで、その夢を2度も現実化させた。ツインターボが伝説になった瞬間であった。
ただし、この話にはオチもある。
夢のような重賞2連勝、その期待は天皇賞(秋)においてツインターボというネタ馬を3番人気にまで押し上げた。
結果は言わずもがなのビリッケツ。これ以上無い負けっぷりであった。
ターボの死から20年が経とうとしている現在も、競馬ファンは未だにターボを愛し、オールカマーの逃げっぷりを堪能している。JRAが行った「20世紀の名馬アンケート」では、GI未勝利ながら91位にランクインしたことからも、その根強く深いファン層が見て取れるようである[3]。
時代は変わり、21世紀になった。私達は数々の名馬に酔いしれ、数々の個性派に笑い、時には感動すら覚えている。
だが、これからいくら新しい個性派が出てこようとも、永遠の大将格として、ツインターボはこれからも未来永劫愛され続けることだろう。
ファンに笑われながらも、
勝つため、そして生き残るため、
不器用に愚直に1990年代を駆け抜けたツインターボ。
その短い生涯は、
強烈で鮮烈で美しい、
胸躍る『大逃げ』の代名詞として、
サイレンススズカと共に語り継がれている。
けっとうひょう
*ライラリッジ 1981 鹿毛 |
Lyphard 1969 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Goofed | Court Martial | ||
Barra | |||
Riverside 1966 鹿毛 |
Sheshoon | Precipitation | |
Noorani | |||
Renounce | Big Game | ||
Refreshed | |||
レーシングジイーン 1982 鹿毛 FNo.3-e |
*サンシー 1969 黒鹿毛 |
Sanctus | Fine Top |
Sanelta | |||
Wordys | Worden | ||
Princesse d'Ys | |||
マウタジョウオー 1977 鹿毛 |
*ファバージ | Princely Gift | |
Spring Offensive | |||
ハードホープ | *ダイハード | ||
メジロホープ | |||
競走馬の4代血統表 |
曾祖父はカナダの歴史的な名馬兼種牡馬ノーザンダンサー、祖父もフランスで短距離をメインにGⅠ制覇含む6勝を挙げているリファールとここまでは素晴らしい血統。しかし、父ライラリッジは米国で条件戦で13戦2勝を挙げた程度の実績しか残せなかったものの、半姉にGI3勝のRiverqueenがいる良血を買われて日本で種牡馬入りした。産駒はツインターボ以外に重賞勝利馬はいない。
母レーシングジイーンは11戦1勝。産駒は他に中央で4勝したゲーリーミナレットなどがいる。
母父サンシーはフランスで走りグレフュール賞、ノアイユ賞のほかジョッケクルブ賞2着など14戦6勝。代表産駒にハギノトップレディなどがいる。
かんれんどうが
かんれんこうもく
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- サイレンススズカ - 逆噴射しない方
- シルポート - 逆噴射する後輩
- パンサラッサ - かつては令和のツインターボとも呼ばれた、大逃げ馬の後輩
脚注
- *武豊が騎乗して後方からの競馬になった帝王賞を除く。
- *晩成と勘違いされやすいが、4歳時は割と粘りの効く「馬体の小ささの割に力強さもある逃げ馬」であり、後年のピーキーなレースぶりに比べてむしろ熟練していた感さえある。
- *他にGI級未勝利馬でランクインしたのはステイゴールド(のちに海外GI勝利・34位)、ナイスネイチャ(71位)のみ。後年のJRAの人気投票でも、本来なら対称馬が増えたことで大半の競走馬の順位が下がる中、2010年は85位、2015年は58位と常に上がり続けていた。同様の事例は、他にサッカーボーイとステイゴールドのみ。
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