フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)とは、オランダ生まれの画家である(1853年3月30日~1890年7月29日)。姓名の日本語表記は結構バリエーションがある。36歳でフランスの地方に没した。自殺説が一般的な定説だが他殺説もあると言われる。
概要
感情を率直に現した色彩、赤を多用した独特かつ表現力が高い印象派の画家。波紋を感じる炎のゆらめきの様な曲線が多く「炎の画家」とも呼ばれている。
生前は奇特な行動のエピソードが多く、画家=貧乏、死後に作品が認められる、気難しい、行動がおかしいなどのイメージを植えつけた人でもある。
一時はアルルで、ポール・ゴーギャンと共同生活を送るものの、次第に溝が出来ていった。ゴッホの弟テオドルスは生涯に渡ってゴッホを支えたが、フランスのオーヴェル=シュル=オワーズにて銃による怪我が原因で37歳で没した。
作品は知らないが名前だけは知っている人も多い、それぐらいに世界に認められる天才画家。
一般に女気皆無に思われがちだが、女性と同棲したり、いとこにストーカーしてふられたりしている。
浮世絵の影響
また、ヨーロッパに流失していた当時の日本の浮世絵を模倣した絵も有名である。当時のヨーロッパでは写実主義な絵より印象絵画がちょっとしたブームであった事が伺える。 同じ印象派のゴッホが感銘を受けて模倣したと思われる。元になった浮世絵としては、歌川広重の「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」が有名である。
絵の高騰
第1次世界大戦前後にゴッホの絵が高評価され始め、第2次世界大戦後にゴッホの描いた絵は10倍から100倍にも高騰し、1980年代のバブル景気の日本の安田生命がゴッホの「ひまわり」を58億円で買い取った。「医者ガシェの肖像画」を実業家の齊藤了英がNYのオークションで124億円で落札した。
個人蔵の物もあり、未だに発見されていない物もあると言われ、偽物も多数出回っている。偽物であると言われていた「モンマジュールの夕暮れ」をゴッホ美術館が鑑定した所、2013年にゴッホ本人の絵だと100年ぶりに判明してゴッホファンに衝撃を与えた。
日本にもいくつかゴッホの絵が保管されており(偽物もヤフオクで出回っている)、各地の美術館でも定期的に展示されている。
エピソード
- 癇癪持ちで頑固な性格であり、人との距離感を掴むのが苦手であったとされている。画家になる前は人間関係のトラブルで職を転々としていた。
- 画家として活動していたのは27歳から37歳で没するまでの10年ほど。最初の4年ほどはデッサン(素描)しか描いていないが、約800点以上の油絵、約150点の水彩画、約1000点の素描を描きあげた。
- ゴッホは筆まめというか手紙魔に近く、数多くの手紙が残っているため内面や人となりが現在も詳しく伝わっている。
- 南仏のアルルでゴッホは「黄色い家」と呼ばれる家を借り、芸術家どうしが交流する芸術家共同体を築こうとした。周りの芸術家に誘いを出したが、面倒くさい性格が知れ渡っていたため結局一緒に住んだのはゴーギャンだけだった。ゴッホを支える弟テオが経済的支援を申し出たことが功を奏したようだ。
- 画風や芸術観の違いとゴッホの性格からゴーギャンとの関係はギクシャクし、9週間で破局した。
- かつてフランス海軍に入隊したり株式仲買人をしていたしっかり者のゴーギャンに対し、部屋が片付けられず料理もダメで金遣いが荒いゴッホはとにかく反りが合わなかったようだ。
- 喧嘩のもつれから自分の左耳を剃刀で切り落とし、馴染みの娼婦に送るという奇行に出た有名な事件は今も語り草。耳を切り落としたあとの包帯を巻いた自画像も残っている。鏡を見て描いているので右耳が無いように見えるが、実際に切ったのは左耳。
- ゴッホの親戚のDNAと3Dプリンターで切り落とした耳の複製が展示用に2014年に作られている。DNAを提供したリーウ・ファン・ゴッホ氏(ゴッホの弟テオのやしゃご)はFacebookに耳の複製と写った写真を載せて「耳を貸して」とコメントした。
関連動画
関連項目
- 芸術
- 画家
- ポスト印象派
- オランダ
- フランス
- 浮世絵
- ひまわり
- ポール・ゴーギャン
- エミール・ベルナール
- アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
- ウンガロ (彼の能力により、ゴッホも現実世界に現れる)
- ジョジョの奇妙な冒険 / ストーンオーシャン (ウンガロが登場する漫画及びその部)
- ヴァン・ゴッホ(Fate)
- 夜のカフェテラス
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