「不気味の谷(現象)」(英語: uncanny valley)とは、1970年にロボット工学の分野で提唱された経験則である。
(経験則とは、説明することはできないが、経験上そう言えるというだけの規則・法則)
※ 某金メダリストの事ではない。
概要
ロボットや人工生命の疑似生物は、テクノロジーの進歩に伴って、その挙動が日々現実の生物に近づいている。
また合成音声や、実物を再現した3D映像なども、実物と区別が付かないほどに再現が可能となった。
これらバーチャルリアリティーで再現されたもの対し、人の受ける印象はその忠実度と深い関係がある。
実物との忠実度が全くないものに人は印象を受けない。
これが徐々に忠実度があがってゆくと、それにつれて人間は好印象を抱く。
しかし「ほぼ忠実一歩手前」まで忠実度が上昇すると、人間はとたんに嫌悪感を抱くようになる。
さらに忠実度が上がり、実物と見分けが付かないほどになると、人は一転して好印象を抱く。
この関係をグラフに表すとV字型の谷を示すことから(右図参照)、日本ロボット工学のパイオニアの一人である森政弘博士は東京工業大学の教授であった1970年にこれを「不気味の谷現象」と命名した。なお、森博士は1980年代末からNHKと共同で「アイデア対決・ロボットコンテスト」(現在は4部門に分裂)を創始した「ロボコン博士」としても有名である。
不気味の谷の例
CGアニメ映画であるファイナルファンタジー(2001年)は制作費1億3700万ドルに対して全米での興行収入が3200万ドルという失敗作であった。この原因としてしばしば不気味の谷現象は語られる。
また、初音ミクなどのVOCALOIDは不気味の谷現象を回避するために現在の合成音声技術において最大の忠実度をあえて搭載せず、忠実度を下げていると言われている。
批判と検証
不気味の谷現象は実験に基づいた説ではないため、しばしば科学的ではないと批判されてきた。
1970年に森博士が提唱した時点では、人間そっくりのロボットを作ることは不可能だったので単なる仮説にすぎなかったのである。
しかしながら、興行収入が重視される映画、ゲーム、その他キャラクタービジネスでは、例え科学的根拠がないとしても、重要な問題として捉えられている。
そして2011年、カリフォルニア大学サン・ディエーゴ校の認知科学者 Saygin 準教授の研究チームが不気味の谷の存在を脳科学的アプローチで確かめることに成功した[1]。
大阪大学が開発した人型ロボット・リプリーQ2(完全な状態と、機械の一部を剥き出した状態の2種)と、そのモデルとなった女性の計3種類の映像を被験者に観せた所、完全状態のリプリーQ2を観た場合にのみ頭頂葉に高レベルの活動が見られた。
これは「人間のような外見でロボットのような動きをする」という視覚情報がミラーニューロンに伝わり、それが
共感能力の予測限界を超えて処理不能に陥った状態だという。というのも頭頂葉は視覚野の一部と繋がっており、身体運動に際しては共感能力を司るミラーニューロンがあるとされる運動野にも働きかける部位だからである。
ともあれ本格的な解明はまだまだこれからである。今後の更なる研究に期待したい。
デフォルメ的表現と不気味の谷
行的な見地から不気味の谷を回避する手段として、しばしば「デフォルメ」という表現技法が用いられる。
「人間に似せようとするから、かえって違和感が強くなる。ならば人間以外の『なにか』に似せることを着地点にすれば、違和感がなくなるのでは?」
という考え方から、キャラクターをCGで描写する際、その描写するべきビジュアルにデフォルメを加えることがある。
この場合、デフォルメの程度は強いほうが(=人間的な要素が少ないほうが)より好ましいとされる。
人間的な要素を残せば残すだけ、グラフィック技術の限界による「似せても似せきれない部分」が顕著になり不気味の谷に落ちる危険が増すためである。
より非人間的な・非現実的なキャラクター造形を「本物」として設定しておけば、受け手側のハードルは下がるということである。なお、デフォルメの定義が「対象の変形」である以上、不気味の谷現象の前提である「対象との近似」とは相反する関係にあることにも留意されたい。
具体例としては「gdgd妖精s」を挙げることができる。
主要な登場キャラクターはアニメ的な特徴を備えた二頭身の愛らしい造形をしているが、モブや装置として登場するリアル頭身の人間や動物などは、どこか奇妙な感覚を視聴者に抱かせる。
同程度のCG技術を用いながらも、デフォルメによって「類似性」の目指す先を転換させることで、不気味の谷を飛び越えることができることの実例であるといえる。
アニメ、漫画等における不気味の谷現象
「デフォルメ」と「リアリティの追求」は相反関係にあるため、デフォルメという表現そのものに不気味の谷が発生する余地は非常に少ない。
アニメや漫画の美少女キャラを例に挙げると、彼女達のキャラクター造形は「人間の少女のデフォルメ」であり、アニメなどに慣れていない人によっては、そうした造形に対し「非人間的過ぎる」と嫌悪感を抱く場合がある。
逆にアニメ的・漫画的記号を廃し、より写実的に描けば描くほど、非人間的な要素は減じていき、最終的には写真とみまごうほどのスケッチができあがる。
アニメ的・漫画的な絵柄が好きな人にっては面白みがないかもしれないが、この印象の推移においてV字谷を描く転落的変動は、少なくとも普遍的には存在しない。
ある作品が他媒体で展開されるときには様々な表現媒体が存在し、そこには「再現度」というものが存在する。
この「再現度」を追求していくと好意的な印象は高まっていくが、ある一点を境に印象が反転する。
それが邪神モッコス・邪神セイバーに代表される「邪神系」の残念な出来のフィギュアである。
それまではキャラクターの持つ記号性を頼りに「美少女キャラ」と認識できていたものが、中途半端に全体像が似ているが細部が微妙にずれているため、一転して違和感を引き起こすことになる。
(ただし、邪神モッコスに関しては『フィギュアとしての再現度は低くはなく、元となるキャラクター自体が3CG描画によって不気味で無機的なイメージを与えられているため、邪神モッコスを見て抱く印象はこのパターンに当てはまらない』という見解もある)
別のパターンとしては、イベント等に登場する「美少女キャラの着ぐるみ」がある。
人がコスプレするよりは遙かに「再現度」は高いはずなのに、印象の高低差は歴然としている。
これらの細部の練り込みを造形師の技術と愛でクリアし、良質な生産ラインに乗ったとき、印象はまた一転して上昇傾向となり、不気味の谷を越えることが出来る。
これらの印象の推移には「デフォルメの程度=人間の少女との類似性」は関与しない。
四頭身の萌えキャラだろうが、よりデフォルメの浅い八頭身のキャラだろうが関係はない。
問題となるのは「キャラクターの再現度」であり「人間性の再現度」ではない。
そうした誤解に基づく誤用のないよう、注意されたい。
関連動画
関連項目
脚注
- *リアルすぎはNG!? カリフォルニア大学で「不気味の谷」現象の存在が証明される - 日々是遊戯
元記事: Exploring the uncanny valley of how brains react to humanoids - WIRED.CO.UK
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