人権屋とは、社会運動などに於いて人権の擁護を掲げる者に対して、非難の意を込めて呼ぶ言葉である。人権ゴロ、人権ヤクザとも。
概要
人権屋と言っても、もちろん人権は売ってませんよ。人権は非売品です。
社会運動、刑事事件などに於いて、人権の擁護を主張するもののうち、「その主張する人権が自分の都合よく解釈されたものであったり、政治的主張のために使われている、また特権を主張するために人権を掲げている」ような者(個人・組織団体)を指す言葉であるとされる。
例えば、
- その主張する人権が外国人や移民、犯罪者、貧乏人、LGBTQなど、いわゆるマイノリティーや社会的弱者とされている人々に限定していて、マジョリティーや非弱者の権利を重視していないように見える
- フェミニズムやLGBTQの権利など、「煙たい」「どうでもいい」と感じる人も少なくない人権運動を展開している。むしろ注目されて大迷惑。
- なりすまし。当事者が騒ぐならまだしも、当事者とは全く関係のない人間が堂々とその名前や身分を騙って「差別だ!」「出ていけ!」 「金払え!」と声高に主張し、漁夫の利を得ている悪質な事例もある。
- 主張している差別がでっちあげに見える/または実際に捏造している
- 企業団体に対し、「我々への無理解」「我々と知りながら差別的な対応を取った」を口実とし、謝罪・賠償の要求、活動/資金協力の強制、関連書・啓発書籍等を売りつける場合もある。→ クレーマー
- 「お前が言うな」状態。自分や自国の状況・行為を棚上げした主張。
- 活動に対して反論や反対の態度をそのまま差別問題へすり替え糾弾する。(正論であっても関係ない)
- 現地活動では過激な主張、騒音、混雑、張り紙、ゴミの散乱、違法駐車などマナーが皆無。
- 大まかな主張はするが、詳しい質問への回答、具体的に何をすれば良いのかを答えられない。
- 結果的に過剰な金銭、賠償、特権の要求。(脅迫にならないよう遠回しに示唆する場合を含む)
- 組織団体の場合、違和感がある
- 組織団体の資金の流れが不透明。バランスが合わない。
…といったときに、「奴らはまともな人権運動家や人権団体ではない。ただの「人権屋」だ!」と糾弾する論調で使用される。
なお、なぜか動物の権利(アニマルライツ)の活動家に対して使われることもあるが、訴えているのが「人」権ではないので言葉としては不正確である。
その他、
「香港人や中国人、朝鮮韓国の人は差別・弾圧されている」
「沖縄から在日米軍は出ていけ!人殺しの自衛隊は銃持って歩くな!」と訴える人権活動に対して、
「中国が行っているウイグルやチベットの差別・弾圧は批判しないのか」
「その元凶となってる中国にも文句言えよ、いつも領空侵犯・領海侵犯しまくりだぞ」といった「あっちでも差別は起きているのになぜここの差別にだけ非難するのか! この人権屋!」という論調で使用されたり、または部落差別に対する運動に対して「部落民を優遇しろということか! この人権屋!」という論調でも使用されることもある。(→プロ市民)(→ダブルスタンダード)
確かに一部だけの差別・弾圧のみではなく世界中の差別や弾圧も非難するべきであるし、「差別がある」と主張して反対者を異常に攻撃したり利益をかすめ取ろうとする者たちも皆無ではないと思われ、人権活動の主張を見たら一見正しそうに見えても「その人権は一体誰の人権だ?」と考えることも無駄ではない。
ただし、「人権活動」と見ればすぐにを「人権屋!」と条件反射のように攻撃することもまた、考え物ではある。多くの強権的な政府において、政府に対して人権擁護を訴える活動は、えてしてそういった声の元に弾圧されている。たとえば上記のウイグルやチベットの例で言及された中国でも、政府の人権弾圧に反対する人権派弁護士が逮捕拘留されたりしている。
また、自身の何らかを批判された時に、直接指摘に真摯にこたえるのではなく「じゃあこれはどうなんだ」と話題をそらすことを「Whataboutism」という。日本国内の外国人の人権問題について論じている人に、相対して外国人の人権について論じることを全くせずに「中国のウイグル問題やチベット問題はどうなんだ! この人権屋!」とだけ返すことも典型的な「Whataboutism」である。確かにウイグルやチベットは国際的に対応していくべき人権問題であるかもしれないが、「その問題があるから、それが解決するまではわが国内の人権問題などは無視していいのだ」という理屈に賛同する人は、そう多くは無いだろう。
さらに、上記の「フェミニズム」や「LGBTQの権利」を「煙たい」と評する例のように、「煙たい」「どうでもいい」と感じる人が多いからと言って「そんな権利は擁護する必要が無い」「そんな権利を主張するのは人権屋だから耳を貸す必要などない」と主張するのも、かなり乱暴な論理であるといえよう。
「人権活動」を行う人に「本当に正当な活動だろうか」と批判的して吟味することは無駄ではない。しかし十分な吟味をせず「あれは人権屋だ」というレッテルを貼って「彼らの主張は耳を貸すに足らない」と断じてしまうのはあまりにも安易な行為でもある。
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