吾輩が利根である!
吾輩が艦隊に加わる以上、もう、索敵の心配はないぞ!
利根(とね)とは、大日本帝国海軍に所属した利根型重巡洋艦1番艦「利根」をモデルとした、ブラウザゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する艦娘(かんむす)である。
いざ!概要だな!
利根姉妹の姉。ビシッ!!とこちらを指さした立ち姿が非常に可愛…凜々しい。ちなみに服装は妹の「筑摩」とほぼ同じだが、胸回りは妹よりも控えm(空爆) 絵師曰く「お姉ちゃんの利根は妹の筑摩よりも小さいです。いろいろと。」
ちなみに利根型の服装や艤装が左右非対称なのは、史実にあるとおり前甲板に砲をまとめ、後甲板は飛行甲板のみという潔さを表現したためだそうである。
その特徴はなんといっても言葉遣い。自分のことは「吾輩(わがはい)」と呼び、語尾に「~じゃ」と付ける年寄りくさい年期の入った物言いをする。
妹の「筑摩」のことは、「筑摩のやつより、また強くなってしまったな」(改造時)、「まだまだ、筑摩には負けん!」(夜戦時)、「当然じゃ、筑摩のやつよりより少しお姉さんなのだからなっ」(MVP時)といったセリフから、半ばライバル視していることが読み取れる。妹はあんなに姉を慕っているというのに、やはり胸で負けているかr(砲撃)お姉さんぶる姉とそれを立てる妹というのもまた、悪くないものである。
なお、中破時は着ている服のほとんどが無くなってしまう。わずかに残った布地を押さえて涙目で恥じらう姿は非常に嗜虐心をそそらr(大破)
攻撃時のセリフの1つが「馬鹿な、カタパルトが不調だと!?」(下記のミッドウェー海戦を踏まえたセリフなのだが)であり、攻撃しているのか攻撃を受けているのかわからない。
髪型は白いリボンでまとめたツインテール。長さとしてはショートツインの「川内」とロングツインの「五十鈴」の中間である。
ステータスについては最大値を他の重巡・航巡たちと比較すると
索敵:利根型が79、その他49~59
火力:摩耶・鳥海が78、利根型は76、その他は70~77
雷装:高雄・愛宕・妙高と利根型が79、その他は59~74
対空:摩耶が89、利根型は79(他は59~69)
とその他の能力含め、全体的に高レベルな能力を持つ。利根姉妹に能力の差はないんだね。以前は火力が妙高型・高雄型より少し低めであったが、上方修正されほぼ誤差の範囲となった。
以下、轟沈時のセリフについてなので反転。
轟沈時のセリフ「百万年の昼寝だな・・・」は、一航艦司令も務めた大西瀧治郎海軍中将が終戦時に自決したときの辞世の句「これでよし百万年の仮寝かな」からと思われる。ちなみに大西中将は「利根」に乗った事は無く、なぜその辞世の句が「利根」に使われているかは不明。
利根チェッカー
「うむ。そうだ。小まめな近代化改修が勝利をもたらすのじゃ!」
「利根」型を近代化改修の材料(いわゆるエサ)にすると、4種類のパラメータ(火力・雷装・対空・装甲)全てが上昇する。これを利用して、とりあえず材料に指定してみることで、改修対象の艦娘の数値がまだ上げられるかどうかを確認するのが誰が呼んだか「利根チェッカー」(あるいは「利根チェック」)である。
「近代化改修」時、各パラメータが既に改修上限値になっているかどうかは近代化改修に使う艦船をセットするまで判らない。このため、まずどのパラメータに上がる余地があるかを確認したうえで、改めてそのパラメータを上げられる艦をあてがうのが効率が良い。その確認用に最適なのが1隻で4種のパラメータ全てが上がる艦であり、その筆頭である「利根」の名を取って「利根チェッカー」と呼ばれていた。
なお、上記の通りチェッカーとしては4種類全てが上がる艦娘なら誰を使っても(複数の艦を指定しても)良いのだが、「利根チェッカー」と呼ばれる理由としては、無改造状態で近代化改修のエサに使って4種類全てが上昇する艦娘が「利根」「筑摩」「夕張」の3人のみであることが挙げられる。(改造にすれば4つ全て上がる艦娘はそこそこ多いが、まず育てる必要がある分面倒である)そのため、「夕張」を使う提督からは「夕張チェッカー」と呼ばれることもあるが、夕張はレアドロップ艦なため彼女をチェッカーに使用する提督は少ないと思われる。一方、なぜか「筑摩チェッカー」とは呼ばれることはあまりない。
チェッカー利用の問題点としては、仮の措置とは言え近代化改修のエサとして俎上に上げる必要があるため、ロックをかけることができず(ロックを掛けているとエサの対象として表示されない)、うっかりそのまま近代化改修して装備もろとも消滅してしまう恐れがあることである。対策としては、ロックの付け外しをしなくてもよいようにメインで育てる(取っておく)利根はロックしたままにしておき、二隻目以降をチェッカーと使えばよい。
2013年10月23日のメンテナンスで、「改装(近代化改修)において各パラメータが既に最大値に達している場合、改装値のフレームに「max」表示UIの追加されました。」(運営の発表原文[1]ママ)という機能が搭載され、利根チェッカーはその必要性を失った。しかし、結局「近代化改修」項目をクリックしないと最大値に達しているかどうかわからないので、利根チェッカーが不要になっても使い勝手としては微妙である。その後、11月27日のメンテナンスで、改装画面上で「他」(第1~第4艦隊以外)の艦については、全パラメータが最大値になっているときに「改修MAX」のアイコンが付く(これにより、全Maxのときは「近代化改修」項目を押さなくても判る)ように、さらに改良されたが、このアイコンがレベル表示の上に被さるように出るため、一部の提督からは「レベルが見えない」と不評である。
そうだ、吾輩の改二こそが最強なのじゃ!
この時のために、カタパルトは整備したのじゃ!
2014年4月23日のアップデートで筑摩改二とともに追加。必要レベルは重巡トップの70に加えて特殊海域攻略で入手できる勲章と交換で手に入る「改装設計図」を使う事で重巡洋艦→航空巡洋艦への艦種変更になる。
同じ航空巡洋艦の最上型の4人と比較すると水上機の搭載機総数は1機少ないものの、スロットの割り振りが特殊で最大9機の搭載が可能であり兵装の組み合せ次第で最上型と同等の航空攻撃力が期待出来、かつ砲撃力も維持出来る万能ぶりを発揮する。
また以前からトップクラスだった索敵値がさらに向上、素の状態で筑摩改二と共に正規空母を凌ぐ高さを誇る。アップデートによる索敵の重要性が増したこと(新海域でのルート固定・観測射撃等)で運用の幅が広がった。
火力は重巡系統で5位タイの77(鳥海改二85・羽黒改二84・妙高改二80・鳥海改78)、雷装も9位で82(妙高改二88・鳥海改二86・羽黒改二他5人84・筑摩改二83)、対空は5位で82(摩耶改二106・摩耶89・筑摩改二&那智改二83)、装甲は2位タイの79(プリンツ・オイゲン改82)と、改二実装から1年以上経過し、他の重巡に続々と改二が実装されている2015年6月の時点でも、飛び抜けたものこそ無いが未だにハイバランスな能力を持つ。
改二により姉妹で多少の差別化がなされており、利根は耐久・運が上回り、筑摩は雷装・対空で上回っている。
純粋な火力では生粋の重巡の改二である妙高・羽黒・鳥海に敵わないのだが、利根は航空巡洋艦であるが故に「熟練艦載機整備員」を装備する事ができる。
重巡は戦艦における徹甲弾のような装備を持たず[2]、弾着カットインや夜戦連撃の条件を崩して主砲副砲を積み増ししないと火力の底上げができないのだが、2014年夏イベントで実装されたこの装備はカットイン装備などに影響を及ぼさないその他装備でありながら火力+10と言う中口径主砲よりも強い火力を持つ。これを装備すれば、火力単品でもトップ、火力+雷装の夜戦火力値でもトップになれるのだ。ついでに射程も「長」に延びる。
ただし、これを装備すると主砲×2・艦載機×1・整備員 でもう装備スロットが埋まってしまい、電探などを積むスペースが無くなってしまう。命中に不安がある場合や、索敵値によるルート制御が厳しい海域ではこの装備では出撃することができないので注意。[3]
衣装もこれまでのショートルックのワンピースと後部甲板を模したニーソックスから、大きく開いたスリットから健康的な足が見えるチャイナドレス風のロングスカート(甲板デザインはこちらに移行してる)に変更している。また腕や脚に取り付けていた艤装も2本のアームを介して背中で背負う形になっており、夕張や阿賀野型姉妹に近いスタイルになっている。
なお、姉妹揃ってスリットからおパンツらしきものが微塵も見えないことから、にわかに「はいてない」疑惑が上がっていたが、2018年11月22日にアーケード版にて利根改二が実装された際に「はいている」ことが判明した。白!白です!
また改二状態のみだが、イベントAL/MI作戦終了後は上記の台詞通りカタパルトの調子も問題なくなった。でも秘書艦時はやっぱり気にしてる。
ほう、これはなかなかの史実じゃな
「利根」は1934年、最上型軽巡の5番艦として起工した。
重巡は山の名前、軽巡は川の名前・・・と言うのが原則になっている日本海軍軍艦命名規則において、重巡なのに川の名前が付いているのはこのためだが、1936年に日本はワシントン・ロンドン両軍縮条約を脱退したために艦船保持の制限が無くなり(主砲の大きさにより艦の総排水量≒隻数が制限されていた)、建造中だった最上型軽巡の5番艦と6番艦は再設計された。ここに改めて利根型重巡洋艦が登場し、1番艦が「利根」、2番艦が「筑摩」となった。つまり、やたらとお姉さんぶっている「利根」は実は「鈴谷」や「熊野」の妹分だったのである。ちなみに、利根型は書類上は最後まで軽巡のままであった。
利根型重巡の特徴としては、4基ある主砲を全て前甲板に集め、後甲板は水上偵察機用の飛行甲板にしたことが挙げられる。これによって搭載できる偵察機が6機とそれまでの重巡の2倍になり、安全性も向上[4]した。
「利根」が「吾輩が艦隊に加わる以上、もう、索敵の心配はないぞ!」と豪語するのも、その「航空巡洋艦」(艦これ上の分類ではない)としての性能あってのことである。
ただし、この時代の索敵では、偵察機を飛ばせば自動的にデータがリンクされて入手できるわけがなく、偵察機のパイロットの技量に大きく依存していたことは明記しておく。
1940年9月17日、姉妹艦の筑摩と第八戦隊を編成。第二遣支艦隊の一員として日華事変に参加し、同年10月6日まで華南方面の警備任務に従事した。
太平洋戦争の開戦時は「筑摩」と共に第一航空戦隊に組み込まれ、緒戦の真珠湾攻撃に参加した。「利根」と「筑摩」から発艦した水偵はハワイ湾内の偵察を行い、後の攻撃隊のお膳立てを行っている。 真珠湾からの帰路は第二次ウェーク島攻略作戦にも参加し、以降は南方を転戦する。
2月19日、ポートダーウィン攻撃に参加。4月5日にはインド洋機動作戦に参加して第一航空戦隊を支援した。
1942年6月、帝国海軍の分水嶺となったミッドウェー海戦に参加する。このとき、「利根」のカタパルトの1基が故障して水偵の発進が遅れる事態が発生した。その後30分遅れで発進した利根搭載水偵4号機が米軍に発見され、戦闘が開始された。この「利根」のカタパルト不調による米機動部隊発見の遅れこそがミッドウェー海戦の敗因の一つであるとされてきたが、最近では遅れずに発進していたら逆に機動部隊を見つけられず、遅れての発進が吉となった、というのが定説となっている。よって、上述の「カタパルトが不調じゃと?」というセリフは好調・不調どちらの証明とも取れるのである。この時、この敵艦隊を発見した「利根」の水偵は敵艦隊の位置を間違えて報告してしまうミスをしている(位置を間違えた原因として搭載機材の調整が間に合っていなかったという説が存在する)。
ミッドウェー海戦の惨敗後の6月28日、アリューシャン方面の作戦に参加。その後「利根」はソロモン方面に進出し、第二次ソロモン海海戦や南太平洋海戦に参加する。
1943年に入るとトラック島を基地としてマーシャル諸島やカロリン諸島で活動。しかし、機関部に故障が見つかり、第8戦隊旗艦を一時「筑摩」にバトンタッチして呉で修理を行った。修理が終わってからは一時的に第16戦隊に配属され、インド洋で通商破壊作戦に従事。ビハール号事件[5]が起こったのはこの間の1944年3月である。
1944年6月にマリアナ沖海戦後参加後、10月には「筑摩」と一緒に第7戦隊に異動。そこには姉ともいえる最上型重巡3番艦「鈴谷」4番艦「熊野」がいた(この時既にさらに上の姉にあたる2番艦「三隈」はミッドウェー海戦において戦没し、1番艦「最上」は修理のため戦列を離れていた)。この第7戦隊所属としてレイテ沖海戦に参加し、シブヤン海海戦で爆弾1発を被弾し、さらに敵航空機の猛攻を受け落伍した戦艦「武蔵」の護衛としてその場に残るが、艦隊司令部より「艦隊に復帰せよ」の命令を受け断腸の思いでその場を離れ、「武蔵」の最期には立ち会えなかった。
翌日のサマール沖海戦では重巡部隊の一員として突撃する。敵艦載機の反撃により「熊野」「鈴谷」「鳥海」そして妹の「筑摩」が次々被弾・落伍する中、「羽黒」とともに食い下がり、敵護衛空母に射撃を浴びせ命中弾を与えている。さらに、煙幕が薄れた先に敵空母4隻が遁走するのを発見。追撃に移ろうとしたが、この時敵艦隊に充分な打撃を与えたと判断した「大和」が「集マレ」と命令。「利根」はこの命令を無視し「羽黒」と統制魚雷戦を仕掛けるつもりであったが、「羽黒」座乗のの第5戦隊司令部は応じなかった。「利根」からの「ワレ右舷ニ魚雷三本アリ、統制魚雷戦ニ参加ス」「敵空母四隻ニ対シ共同魚雷戦ヲ行ヒタシ」と2度に渡る必死の誘いを黙殺した「羽黒」は命令通り反転。追撃の好機を前にしながら「利根」も涙を呑んで反転することとなった。
なおこの時落伍した「筑摩」はその後再度の空襲により沈み、「利根」は唯一の妹を失った。
大戦末期には他の大型艦同様に搭載すべき航空機と燃料が尽き、江田島の海軍兵学校の練習艦としてあてがわれ、最終的には海上砲台として呉軍港防空の任を果たした。陸上から切り集めた木や枝で擬装したがこれは効果が薄く、米軍機から「艦の植木が枯れています、そろそろ取り替えてはいかが」と皮肉のビラを撒かれ「利根」乗員は地団駄踏んで悔しがったが、油切れではどうにもならなかった。
そして7月24日と28日の米艦載機の攻撃によって合計11発の爆撃を受け、最期まで奮戦し続けるも大破着底した。
艦体は1948年までに現地で解体され、その資材は戦後の復興に一役買った。現在、「利根」最後の場所となった広島県の能美島には利根の慰霊碑と記念館(軍艦利根資料館)が建てられている。また、母港・舞鶴の海軍墓地にも妹・筑摩と連名の慰霊碑が建造されている。
ちなみに、「利根」の名を持つ艦としては二代目(初代は1910年竣工の防護巡洋艦)。現代では、三代目の「利根」として、海上自衛隊所属のあぶくま型護衛艦6番艦「とね」が活動中である。
静画か? 動画か?
通常~改
※史実紹介にあった「ビハール号事件」は後編に収録。非常に重い内容なので視聴の際は冒頭の注意を参照。
うむ。そうだ。小まめな関連コミュニティが勝利をもたらすのじゃ!
関連項目は兵站や準備こそが大事なのじゃぞ?
- 艦隊これくしょん
- 重巡洋艦(艦これ)
- 利根型重巡洋艦(第八戦隊)※最上離脱・三隈戦没後、「第七戦隊」(鈴谷・熊野)に編入
- 利根(艦これ)
- 筑摩(艦これ)
- のじゃロリ ロリではないぞ、失敬な。
- 井口裕香 / 井口艦隊
- bob / bob艦隊
- 三菱長崎造船所(建造地)・舞鶴っ娘(母港) ※いずれも「筑摩」と共通
艦娘たちの戦後 - 呉軍港空襲終戦組 | ||
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脚注
- *https://www.dmm.com/netgame/social/community/-/topic/=/cid=100/tid=922/page=1のNo.612の書き込みを参照
- *無い事は無いが、火力+1がオマケでついているだけの対空機銃である
- *なお実装当初から心配されている事だが、装備の名前からして本来は艦載機で攻撃する空母に装備するためのものであり、砲撃と併用する航巡に装備させて砲撃オンリーで戦わせる使い方は想定外=修正対象でそのうちできなくなるのではないかと心配されている。
- *これまでの重巡では主砲とカタパルトの配置が近くなってしまい、実際に「妙高」や「高雄」では主砲砲撃の爆風で水偵が破損する事故が起こっている。
- *英国商船ビハール号を沈めた後、捕虜にした乗組員104名のうち80名余りを虐殺したという事件。戦後になって内容が明らかになり、利根艦長と第16戦隊の司令官が軍事裁判で裁かれ、捕虜殺害を命じたのが誰であるのか明らかにされぬまま司令官が死刑になっている。一説によると、当時の最高責任者が病没していたため、次位の司令官が責任を問われ死刑になったとされる。
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