南北戦争(Civil War/American Civil War)とは、1861~1865年にアメリカ南部と北部の州の間に起きた戦争である。
なお、朝鮮戦争やベトナム戦争など、南部と北部の戦争は意味的には「南北戦争」と呼ぶことができるものの、日本では「南北戦争」はほぼアメリカの南部と北部の戦争を指す。WikipediaやPixiv百科事典ほか様々な辞書・百科事典でも曖昧さ回避とはなっていないため、この記事でもアメリカの南北戦争を取り扱う。
曖昧さ回避(戦争以外)
- 麻雀のローカル役。詳しくは「麻雀のローカル役一覧」に図付きの解説があるのでそちらを参照。
概要
Civil War、つまり内乱だが、南軍の視点で見れば、連邦政府の横暴にたえかねて起こした独立戦争、ということになる。アメリカ合衆国憲法では州の離脱を禁じているので南部の独立を認めるわけにはいかず、決定的な戦争になった。もしこの戦争に負けていたら、いまのアメリカはなかったわけで、この50万人もの人間が戦死するという未曾有の大戦争を勝ち抜いたリンカーンはワシントンに次ぐ名誉を与えられ、ワシントンDCにリンカーン記念堂が作られた。アメリカ合衆国の主権はこれで万全なものとなり、これ以降南部の独立に類似する試みは無い。[1]
背景
戦争が起きた主な原因として、奴隷制や貿易に対する南部と北部の考え方の違いが挙げられる。
南北戦争の際の南部の州は「奴隷州」、北部の州は「自由州」と呼ばれている。南部には綿花のプランテーション農園が広がっており、その栽培に奴隷が多く使われていたため、奴隷制は南部の産業にとって重要だった。一方、北部は工業化を成し遂げていたため、北部の雇い主にとっては衣食住の世話が必要な奴隷よりも、一般的な工場労働者の方が好まれていた。そのため、北部では奴隷制を不要とする世論が多かった。この奴隷制に対する考えの相違が戦争の一因となった。
また、貿易の面では、南部は綿花をイギリスに対して多く輸出したいため自由貿易を望んでいた。しかし、北部にとってはイギリス製の工業製品がアメリカに流入してしまい国内工業と競争してしまうため、輸入品に関税をかける保護貿易を望んでいた。このような貿易に対する考え方の違いも戦争が起きた原因である。
経過
1860年に奴隷制に反対していたリンカーンが大統領に当選すると、南部諸州が相次いでアメリカ合衆国から脱退し、「アメリカ連合国」の建国を宣言した。同年4月にリンカーンが大統領に就任した後、北部にあったサムター要塞が南部軍に攻撃されたことで、南北戦争が始まった。
戦線はアパラチア山脈の東と西に分かれており、それぞれ東部戦線・西部戦線と呼ぶ。しばらく東部戦線は一進一退の状況が続いていたが、1863年にリンカーンが奴隷解放宣言を出したことで、既に奴隷制を廃止していたイギリス・フランスが北部を支援するようになり、徐々に戦局も北部が優位になっていった。同年のゲティスバーグの戦いの後、リンカーンはゲティスバーグで「人民の、人民による、人民のための政治」のフレーズで知られる演説を行った。
1865年には連合国の首都とされていたリッチモンドが陥落し、南軍は西へ退却したが、アポマトックス・コートハウスの戦いで南軍の名将であるリー将軍がついに降伏した。その知らせを聞いた南軍の他の指揮官や兵士たちも次々と武器を降ろしていった。
戦後
その後アメリカは再び合衆国としてまとまり、奴隷制は廃止された。
……が、黒人はしばらくの間小作人として働き、貧困の状態が続いた。また、解放されたはずの北部においても、黒人が投票に行こうとすると白人らによって追い出されるなどしており、実際にはとても平等などと呼べない状態が維持されていたようである。
また、南部の州と北部の州の確執が完全に失われたわけではなく、現在に至るまで引きずっているところもあり、問題の終結は終りが見える様子がないままとなっている。[2] [3]
我々は第二の南北戦争に向かっているのだろうか?
その他
- リンカーンは、暗殺されていなかった場合、"白人より劣った黒人"をアフリカまたは別の国に強制送還する計画なども立てていたとされ、黒人の歴史家からは「黒人に対する冷笑的なジョークや民族的な中傷をする白人至上主義者であった」という冷たい評価がされている。
- 南北戦争中においてもインディアン(アメリカ先住民)と白人の戦いは続いていたが、この時期ほとんどの人間が南北戦争に傾注していたため、東部と西部の状況は注目されなかった。この時期に起きた事件としては、インディアンの女子供が陵辱や殺害を受けた「ベア川の虐殺」、武装解除した無抵抗のインディアンを虐殺した「サンドクリークの虐殺」などがある。
- 南北戦争中、奴隷制度廃止論者や北部各州の有志により結成された秘密結社は「レールロード」 (Underground Railroad)」として知られている。彼らは、南部の黒人奴隷たちを密かに脱出させ、別の州や外国へ亡命させる手助けをしていた。彼らの活躍は黒人奴隷たちにとって自由の象徴とされ、レールロードの手引きにより30,000人~100,000人が脱出したと推測されている。[4]
- レッドネック(南部出身者)の中には、第二次大戦のあいだですら北軍の将軍ウィリアム・シャーマンから名付けられたM4中戦車/シャーマンに乗ることを拒否したり、戦後の日本人に「ヤンキー(北部出身者)どもをぶっ殺してくれてありがとうよ」と感謝をした者が出たといわれている。
- 近年では、ノースカロライナに設置されている南軍兵士の像が、群衆によって引き倒され破壊されたことが映像に残っている。 [5]
関連動画
ゲーム
おまけ(麻雀)
関連項目
- 世界史
- アメリカ合衆国
- アメリカ連合国
- エイブラハム・リンカーン
- 奴隷
- ジョニーが凱旋するとき
- リパブリック讃歌
- 風と共に去りぬ
- アンティベラム
- ピンカートン探偵社 [6]
- War of Rights - 南北戦争を題材にしたゲーム
- Ultimate General Civil War - 南北戦争を題材にしたゲーム
- シビル・ウォー アメリカ最後の日
- 米墨戦争
関連リンク
脚注
- *「アメリカの行動原理」橋爪大三郎 PHP 2005 pp.68-69
- *米国に浸透する白人至上主義の実像 (Business Journal 2018.03.19)
- *南北戦争の再燃? 揺れるアメリカの選択【木村太郎のNon Fake News#3】 (ホウドウキョク Aug 28, 2017)
- *最も利用されたとされる1810~1850年の間での推測。公式の国勢調査ではその数は6,000人程度とされている。
- *Seven arrested in toppling of Confederate statue in North Carolina (CNN 2017.08.16)
- *世界的に知られている私立探偵社・警備会社。リンカーン大統領の暗殺計画を未然に阻止したアラン・ピンカートンによって設立された。南北戦争ではリンカーン率いる北軍の側についたとされる。ちなみに1999年にスウェーデンの警備会社に買収されたため現在はそのアメリカ法人になっているとか。
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