夏侯惇とは、三国時代の武将である。
概要
夏侯惇。字は元譲。
曹操の配下の一人。同じく曹操に仕えた夏侯淵は従兄弟。
ちなみに曹操の父親は夏侯氏からの養子であり夏侯惇は曹操とは血の繋がった親戚となる。
(裴松之の注によると曹操の父が叔父との記述があり、血縁的には曹操とはかなり近いと思われる)
殆どの方が知っての通り、曹操挙兵時からの古参でありよき相談相手である。
臣下の中で唯一、曹操の寝室に入る事を許されていた事からも、全幅の信頼を受けていた事が分かる。
だが、それに胡坐をかくことは一度も無く、後に偉くなった曹操自ら対等の特別待遇にしようとしたが、
あくまで彼は固辞し臣下として曹操に接し節度を守ったのである。
14歳の頃学問の師を侮辱した男を殺害し名を知られるようになったエピソードに見られるように、激しい気性の持ち主であった一方清廉な人柄でも知られており、余分な資産は人に配り、研究熱心な行いもあり部下や領民に慕われていた。
魏国の重職を歴任したにも関わらず、彼の陵墓の副葬品は一振りの剣だけだったという。
三國志等のゲームや漫画では、武勇に優れた猛将に描かれる事が多い。しかし、前線での戦闘は苦手で、実際は民政や後方での実務で多くの功績を残している。どちらかと言えば、武官と言うよりも文官に近かったのではないだろうか。
人の心を掴むのが上手く、積極的に農業、インフラ整備を指導するなどの庶民派ナイスガイ。
それを象徴するエピソードは多く、特に彼がミスをした場面において部下は(主君である曹操も)全力で彼を助けている。
困っていたら助けずにはいられない。そんな母性をくすぐる人気(じんき)が彼には存在していたのかもしれない。
(蒼天航路の「兵卒の夏侯惇です」はこうした背景から作られたと見てもおかしくない)
左目の眼帯
隻眼の武将として世間で有名である。
ちなみに左目を失ったのは呂布との戦いの最中のこと(ただし、目を食べたと言うのは演義の創作)。
以後曹操が、夏侯淵と区別するために『盲夏侯』と呼ぶことがあったがそれが非常に気に入らなく、鏡で自分の顔を見るたびに叩き割っていたという。相当のコンプレックスがあったようである。
運命めいた最期
曹操の後を追うように同じ年に彼の天命も尽きる。
大将軍に任命されてからたった一月程度しか経っていなかった。
旗揚げの時から付き従った彼の亡骸は後の曹叡の時代に曹操と同じ廟園に祀られた。
この3行の記述だけでも彼の曹操への忠誠の深さを思い描くのに十分すぎるファンは多くいると思われる。
ニコニコ動画において
惇兄の相性で親しまれている。
三国志関連の動画で魏(とくに曹操)を取り扱っている場合は高確率で登場する。
ちなみに、一番再生数の多いのは恋姫無双の春蘭さん夏侯惇。(2008年11月現在)
極度の曹操フリークとなる場合は『孟ヲタ』の称号を授与されている。
基本的に曹操へのツッコミ役としてのキャラ付けの模様で、時々ツンデレ化する。
しかし作品のフリーダム度が加速し続けると魏の唯一の良心と言われるまでの苦労人と化す。
(只でさえいろんな才能が溢れかえる魏なので尚更と言ったところであろう)
だが、上にも書かれている通りのナイスガイなので多くのキャラクターが彼に振り向いてくれる事もあり、
立場は苦労してる分、結構おいしいと見てもおかしくない。というか普通においしい。
ただし、真人間のキャラが立ちすぎて正史にみられる迷子になったりとか
敵に捕まるなどといったトラブルメーカー的な物はさほど見られないようである。
関連動画
関連項目
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