森康二(もり やすじ)とは、日本のアニメーター、絵本作家である。表記は「森やすじ」「もりやすじ」とも。
東映動画時代、宮崎駿、高畑勲らの先輩として数々の後進を育成した伝説的アニメーターである。
概要
1948年、東京美術学校を卒業後、東映動画(現東映アニメーション)の前身である日本動画株式会社に入社。アニメーションの父とも呼ばれる政岡憲三に学ぶ。「トラちゃんと花嫁」(1948年)で動画デビュー。
東映動画設立後の初アニメ作品である短編映画「こねこのらくがき」(1957年)で原画、絵コンテを担当する。以後、大工原章、古沢日出夫らとともに東映動画の中心的アニメーターとして活躍した。後輩に宮崎駿、高畑勲、大塚康生、小田部羊一、奥山玲子、杉井ギサブローなどがいる。
動物のキャラクターを得意としており、日本初の長編カラーアニメ映画「白蛇伝」(1958年)では大工原と2人で原画を担当、大工原が人間のキャラを描く一方、森はパンダなどの動物が活躍するシーンで手腕を発揮した。
1963年の長編アニメ映画「わんぱく王子の大蛇退治」では作画監督を務める。この作品は日本で初めて作画監督が置かれたアニメとして知られる。
その後、TVアニメ「宇宙パトロールホッパ」(1965年)や長編映画「長靴をはいた猫」(1969年)、「どうぶつ宝島」(1971年)の作画監督などを務めたのち、東映動画を退社。
その後はズイヨー映像でTVアニメ「山ねずみロッキーチャック」(1973年)、日本アニメーションで「フランダースの犬」(1975年)などの作画監督およびキャラクターデザインを担当。世界名作劇場シリーズのキャラクターデザインの基礎を作った。
森の柔らかいタッチの絵柄は東映動画の後輩アニメーターに大きな影響を与えた。小田部羊一が作画監督を務めた「アルプスの少女ハイジ」や宮崎駿、のちのスタジオジブリ作品の絵柄にも森の影響が見て取れる。
「森やすじ」、「もりやすじ」名義で絵本の挿絵作家としても活動した。
1992年死去。67歳であった。遺作は、監督、キャラクターデザインを担当した「おおかみと7ひきのこやぎ」(1993年)。
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