正当防衛とは、やむを得ない事情があれば人を殺傷しても無罪になる法制度である。ここでは過剰防衛と緊急避難についても述べる。
概要
犯罪の不成立および減免となる状況を定義した刑法第一編第七章にはこうある。
第三六条 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
2 防衛の限度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
どういう意味だろうか。噛み砕いて解釈していこう。
不正の侵害って?
不正とは正しくないこと、つまり違法行為である。不正の侵害は、相手の行為が違法性のある権利侵害行為である、という意味。つまり、
急迫って?
急迫とは、先述した不正の侵害が現在進行形で行われているということである。過去でも未来でもなく、いままさに目の前で発生している、これが法的に急迫性が認められる状況である。
だから、
というのは、不正の侵害が行われているのが現在ではないので急迫性は認められない。
突き詰めると、たとえばあなたがコンビニで買い物をしているときに強盗が発生して、勇気を振り絞って取り押さえ、結束バンドで後ろ手に拘束したとする。ここまでは正当防衛(というより私人逮捕)の範疇である。だが、ここからさらに犯人に暴行を加えることは、急迫性が認められないことになる。なぜなら、拘束して犯人から抵抗力を奪った時点で、その犯人からの不正の侵害は決着がつき、事態が過去のものとなるからである。
また、あなたが殴られて、その場を立ち去ろうとしている犯人を追いかけて殴り返すことも、やはり急迫性の否定になる。見逃すことで後日さらなる権利侵害を受ける可能性があったとしても、現段階での権利侵害は終了している以上、急迫性は認められない。
権利の防衛って?
「自己又は他人の権利を防衛するため」とあるが、ここでの権利とは、われわれが人間らしく生活を営むうえで法的に保護されるべき利益であり、一般的には生命、身体、財産を指すと考えられている。ちなみに、この3つの権利は等価値ではなく、生命>身体>財産と順位をつけるのが一般的であるようだ。
正当防衛の適用には、防衛の意思があったかどうかも重要な争点となる。不正の侵害から権利を守ろうとするだけでなく、厄介ごとに自ら突っ込んでいく姿勢は、この防衛の姿勢が認められない要因になる。
防衛の意思の有無は口でなんとでも言えるので、基本的には客観的視点から判断されることになる。たとえば、あなたが道で酔っ払いに絡まれたとする。因縁をつけられたのでちょっとイラッとして、
「おう、やるんか? そんなら殴ってみぃや。手ぇ出したら正当防衛で殺すぞ」
と挑発し返したら、キレた酔っ払いに殴打された。それに反撃して病院送りにしたら、これは防衛の意思が否定され、暴行または傷害、あるいは殺人未遂が疑われる可能性が非常に高い。
なぜか?
客観的に見て、酔っ払いに挑発したら殴られるという事態は容易に想像できるし、そもそも絡まれたとしても、付き合わずに逃げればいいだけの話である。反撃以外に適当な手段があるわけだ。攻撃以外になんら手段が残されていない状況でのみ正当防衛が成立するのであって、相手に第一撃を引かせるよう積極的に働きかけ、もって反撃したのであれば、たとえ身を守るためであっても防衛の意思が認められない可能性が高いのである。
やむを得ずにした行為って?
必要性と相当性がある行為が、やむを得ずにした行為である。
必要性とは、それ以外に適当な手段がなかったという意味である。上述のように、実力行使以外に手段を講じることができたのに反撃に転じた場合は、必要性が否定されることになる。
相当性とは、防衛のためにとった手段が必要最小限度であったかどうかが判断基準となる。端的に言えば「やりすぎじゃなかったか」ということである。
たとえば、素手で殴ってきた相手を刃物で滅多刺しにして殺害するのは、相当性が認められにくくなる。また、財布を掏られたのに感づいてその場で犯人を殴打し怪我を負わせることも、「財産を守るためにしては過剰」と判断される可能性がある。生命>身体>財産だからである。
正当防衛と認められるには
総括すると、正当防衛が成立するには、
- 急迫不正の侵害があったのかどうか
- 防衛の意思があったかどうか
- 手段に相当性があったかどうか
この3つの条件をすべて満たしたときに限られるということである。
「いままさに殴りかかられていて、逃げ場もなくて、警察を呼ぶひまもなくて、どうしようもないので素手で反撃した」
という状況くらいでしか正当防衛が認められないことになる。けっこう厳しいような気がするが、正当防衛とは、究極的には殺人をも無罪にする法律であり、本来は違法である行為の刑罰を免除するのであるから、ハードルが高いのは当たり前と言えば当たり前なのだろう。
なお、条文にある通り、自分だけでなく他人が不正な侵害に晒されている際に助ける場合も正当防衛は成立する。
では、具体的に正当防衛を争点にしたケースを見ていこう。
ケース1
会社からの帰路、夜道を歩いていたら、痴漢にわいせつ行為を受けたので、常日頃から携行していた催涙スプレーで撃退した。この場合は正当防衛が認められるだろうか。
催涙スプレーを携行していたのは、痴漢被害に遭う不正の侵害に備えていたわけである。しかし、催涙スプレーをバッグに忍び込ませた時点では、痴漢には遭遇していない。痴漢に遭うかもしれない未来を予期していたのである。これは急迫性が否定されるのではないだろうか。
最高裁判所ではこんな判決が出ている。
「刑法36条が正当防衛について侵害の急迫性を要件としているのは,予期された侵害を避けるべき義務を課する趣旨ではないから,当然又はほとんど確実に侵害が予期されたとしても,そのことからただちに侵害の急迫性が失われるわけではないと解するのが相当であり,これと異なる原判断は,その限度において違法というほかはない。しかし,同条が侵害の急迫性を要件としている趣旨から考えて,単に予期された侵害を避けなかったというにとどまらず,その機会を利用し積極的に相手に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだときは,もはや侵害の急迫性の要件を充たさないものと解するのが相当である。そうして,原判決によると,被告人は,相手の攻撃を当然に予想しながら,単なる防衛の意図ではなく,積極的攻撃,闘争,加害の意図をもって臨んだというのであるから,これを前提とする限り,侵害の急迫性の要件を充たさないものというべきであって,その旨の原判断は,結論において正当である。」
まわりくどい文章だが、つまり、予期して催涙スプレーを持ち歩いていた程度なら、急迫性は失われないので、正当防衛と認められるだろうという主旨である、と読める。行為前の段階の意思ではなく、侵害を受けたときに防衛の意思があったかどうかが重要なのである。またこの判例では、正当防衛を利用して積極的に加害するのはダメだとも述べられている。
ケース2
警察官がパトロール中、リードなしで散歩しているドーベルマンに噛まれ、拳銃を1発、発射し、その犬を射殺した。この場合は正当防衛が認められるのだろうか。
飼い犬は法律上、モノとして扱われる。だから飼い犬を殺した場合は器物損壊罪で起訴されることになる。
しかし、リードなしで犬を散歩させた場合、飼い主は、犬が他者に危害を加える可能性はじゅうぶん予期できたはずである。ドーベルマンはもともとドイツの税金徴収官カール・フリードリヒ・ルイス・ドーベルマン氏が現金を持ち歩く自身の用心棒として作出したとされる犬種である。現代では優秀な軍用犬・警備犬として世界に広まっているだけあって、その出自から、飼い主や家族以外の人間への攻撃性が高く、体格もよいので、素手の人間ではとてもではないが太刀打ちできる相手ではない。
そんな犬に襲われて、反撃の結果殺してしまって、器物損壊の罪を着せられる、というのは社会通念上、好ましい事例とは言えない、よって正当防衛が成立すると裁判官が判断する可能性が高い(絶対ではない)。
ケース3
海上自衛隊のこんごう型イージスシステム搭載護衛艦1番艦〈こんごう〉が、単艦での訓練を終了し、帰港の途についていたところ、尖閣諸島付近を通りかかったとき、外国の船舶が魚釣島に領土侵犯し施設建設に必要な資材を搬入している真っ最中だった。さらに、護衛らしき別の武装船舶が、こちらに向かって搭載兵器の12.7mm重機関銃を発砲。何発か船体に命中し損傷を受けた。
〈こんごう〉艦長は正当防衛として武器を使用し、上陸している外国工作員もろとも武装船舶を攻撃することはできるのだろうか。
正当防衛の成立する条件を思い出していただきたい。①急迫不正の侵害、②防衛の意思、③相当性、これら3つが揃わなければ正当防衛は否定されるのである。
急迫不正の侵害は、いままさに重機関銃の連射を受けているので、クリアできていると考えられる。
防衛の意思と相当性の有無はどうだろうか。
反撃に用いる手段は必要最小限度に抑えることが相当性の判断基準とされている。素手の相手にナイフを使ってはいけないわけだ。
〈こんごう〉の武装は、127mm単装速射砲、ハープーン対艦ミサイル、324mm3連装魚雷発射管、近接防空用20mm多砲身機関砲である。
武装船舶は12.7mm重機関銃しか使っていない。機関銃の相手に大砲やミサイルで反撃するのは過剰防衛と判断される可能性が高い。また、〈こんごう〉のもっとも小さい武器である20mm多砲身機関砲も、12.7mm機関銃より口径がだいぶ大きい。よって、〈こんごう〉の武装ではいかなる火器であっても相当性が否定されると考えられる。
では、〈こんごう〉艦内に64式小銃や9㎜拳銃のような小火器が搭載されていた場合はどうか。64式小銃は7.62㎜弾、9㎜拳銃はその名のごとく9㎜弾を使用するので、敵の使用している12.7㎜機関銃より弱い。これなら相当性をクリアできるのではないだろうか。
正当防衛は不正の侵害を受けている本人だけでなく、不正の侵害を受けている他人を守る場合にも適用可能である。だから、敵に撃たれて負傷した本人はもちろん、撃たれている仲間を助けるために小銃で反撃するのは、正当防衛の範囲内であると裁判官が判断する可能性はある。
しかし、それは明らかに敵が乗員に向けて発砲してきていると客観的に判断できる場合に限られる。敵が乗員でなく、〈こんごう〉の船体にのみ銃撃していた場合、正当防衛にならない可能性ががぜん高くなる。
なぜなら、護衛艦は車や家のような財産の一種であり、そして先述の通り法で保護される権利とは生命>身体>財産なので、財産である護衛艦を守るため、相手の生命を奪うおそれが十分考えられる銃器での反撃は、相当性に欠けると言わざるをえないのである。
なにより、こんごう型は30ノットで走れるのだから、機関がやられでもしないかぎり、反撃以外に「逃走」という手段があるので、「ほかに適当な手段がない」とも言えない。
また、揚陸中の工作員らがこちらに攻撃してきていないのであれば、そもそも不正の侵害がない(領土の主張は国家の権利であって、自衛官個人の権利では無い)ので、上陸した者らへの攻撃=正当防衛は絶対に認められない(領土領海の侵犯があったからといって現場の自衛官の判断で勝手に攻撃できるわけではない)。
よって、当ケースで〈こんごう〉が可能な行動は、「退去勧告を出す」「とっとと撤退する」ことだけである。揚陸作業中の工作員ならびに武装船舶への攻撃は、政府が海上警備行動または防衛出動を発令してからになるだろう。
ちなみに、治安出動、防衛出動、または海上警備行動を発令された自衛隊の部隊は、相手から武器を向けられた時点で正当防衛が可能となる。
まず、治安出動、防衛出動、海上警備行動を発令された部隊の武力の行使にあたっては、警察官職務執行法第七条が準用される。
警察官職務執行法第七条 警察官は、犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当な理由のある場合においては、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる。但し、刑法(明治四十年法律第四十五号)第三十六条(正当防衛)若しくは同法第三十七条(緊急避難)に該当する場合又は左の各号の一に該当する場合を除いては、人に危害を与えてはならない。
逆にいえば、正当防衛もしくは緊急避難の要件を満たしているなら人に危害を与えてもよいということだ。
さらに、自衛隊の権限について定められた自衛隊法第7章第90条にはこうある。
自衛隊法第90条
第七十八条第一項又は第八十一条第二項の規定により出動を命ぜられた自衛隊の自衛官は、前条の規定により武器を使用する場合のほか、次の各号の一に該当すると認める相当の理由があるときは、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で武器を使用することができる。
一 職務上警護する人、施設又は物件が暴行又は侵害を受け、又は受けようとする明白な危険があり、武器を使用するほか、他にこれを排除する適当な手段がない場合
二 多衆集合して暴行若しくは脅迫をし、又は暴行若しくは脅迫をしようとする明白な危険があり、武器を使用するほか、他にこれを鎮圧し、又は防止する適当な手段がない場合
2 前条第二項の規定は、前項の場合について準用する。
(太字編者)
敵が攻撃をしようとしてきている段階で、自衛隊は先制攻撃しても正当防衛として認められるのだ。
フィクションではしばしば「自衛隊は敵から攻撃を受けて被害が出てからじゃないと武器使用が認められない」というような描写が見られるが、限られた状況とはいえ自衛隊は「あ、こいつ敵や!」と現場が判断できれば、わざわざ敵からの先制攻撃を待たずとも武力を行使できるのである。
なお、時の内閣が円滑に治安出動、防衛出動または海上警備行動を発令するかどうかについては、本稿の趣旨からは外れるので言及しない。
過剰防衛
防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
とある。これは一般に過剰防衛と呼ばれている。
たびたび出てきた、素手の相手にナイフで反撃したケースなどが過剰防衛と見なされる一例である。
過剰防衛には2種類ある。質的過剰と、量的過剰である。
素手の相手に凶器を使う、機関銃の相手にミサイルを使うことなどが質的過剰。
相手が無力化したあともさらに攻撃を加え続けることを量的過剰という。
つまり、相当性が認められれば正当防衛、認められなければ(やりすぎたら)過剰防衛である。
正当防衛について勘違いされがちなこと
過剰防衛と見なされると通常どおりの刑罰が科される?
NOである。条文を見るとわかるが、過剰防衛と見なされても、情状酌量されれば通常よりは減刑されることとなっている。過剰防衛は正当防衛の一種なのだ。過剰防衛と見なされた、というより、行為が過剰防衛であると認めてもらった、といったほうが正しいだろう。
「反撃しなかったら死んでただろうけど、それはちょっとやりすぎだよね」というのが過剰防衛である。正当防衛とまでは認められないが、反撃以外に手段がなかったことは確かだし、相当性の確保が出来ないからといって「抵抗もせずに殺されておけ」というのはあまりにひどすぎる。なぜなら正当防衛・過剰防衛を行使されて負傷・死亡した側はそもそも犯罪者だからである。あくまで「やりすぎではあるけど、身を守るための防衛行為だった」のだ。
よって、正当防衛が認められない=完全有罪ではないのである。
暴力を数値化するのはむずかしいが、たとえば、暴漢があなたに100の暴力を振るったとしよう(暴力の数字が大きいほど刑が重くなると考えてほしい)。命の危険を感じたあなたはやむを得ず150の暴力を以て相手を殺害してしまった。裁判の結果、正当防衛にしては過剰ということで過剰防衛が適用されることになった。
これがただの殺人事件ならあなたは150の暴力について罪を問われるのだが、今回は過剰防衛だった。あなたになんの落ち度もないのに相手が100の暴力で先制攻撃してきたのだから、100の暴力で反撃することは正当防衛が成立する。しかし150はやりすぎだった。ということで、オーバーした50の暴力ぶんについてのみ刑が科されるということになる。刑が減軽されるということのイメージはこれでだいたいあってる。
正当防衛を主張する側はそれを証明しなければならない?
仮に、あなたが路上で見知らぬ男性にレイプされかけて、抵抗して突き飛ばしたら、男性が縁石に後頭部を強打して死んでしまったとする。警察にあなたは事情を説明し正当防衛だと主張した。すると刑事がこう言った。
「正当防衛だというのならそれを証明してみろ」
ドラマなどでよく聞く台詞である。では証明責任は正当防衛を主張する側にあるのだろうか。
答えはNO。
正確に言うと、「あなたが正当防衛でなかったことを証明できないかぎり、検察はあなたを起訴できない」である。
というわけであなたに自身の正当防衛を証明する義務はないのだ。なぜなら、あなたが最初から殺意を持って男性を殺害したのか、それとも本当にレイプされかけての正当防衛だったのか、都合よく監視カメラで撮影でもされていないかぎりは立証不可能だからである。
こう書くと「正当防衛だと嘘をついて罪を逃れるやつがいるのでは」と疑問が浮かぶが、現代の司法の基本は「疑わしきは罰せず」である。100人の犯罪者が無罪になってしまおうとも1人の無罪の者を罰しないことを優先すべきだし、無実の証拠がない者を罰するのではなく有罪の証拠がある者のみを罰するのが大原則なのである。
すなわち、有罪の者を無罪にしてしまうことは許されるが、無実の者を有罪にしてしまうことは絶対に許されないわけである。
この法の精神に則り、正当防衛でないと証明されないかぎりは、あなたが罰せられることはないし、あってはならない。
緊急避難
自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
なんだか正当防衛の条文と似ている。ではどんなときに緊急避難が適用されるのだろうか?
あなたの住む町に津波が迫っている。すぐに避難しなければならない。だが走って逃げていては到底間に合わない。波濤がすぐそこまで押し寄せている。
そんなとき、あなたは自転車に乗って逃げている人を見つけた。あなたは彼から自転車を強奪し、それに乗って避難し、一命をとりとめた。しかし、あなたに自転車を奪われた人は津波に呑み込まれて死んでしまった。
この場合は緊急避難が適用され、あなたは無罪になる可能性が高い。なぜならほかに手段がなかったし、自転車を奪わなければ死んでいたことは明白だからだ。
ただし、自転車を強奪するさいに相手を殺害までしていた場合は、まったくの無罪とはならない可能性がある。
また、正当防衛が「不正の侵害をしてきた相手からの防衛」であり、あくまでも相手に非があるのに対し、緊急避難は、「なんの落ち度もない第三者に不利益を押し付ける」行為にほかならないので、正当性が認められるための要件は正当防衛よりとても厳しくなる。
最たるものは、法益の権衡であろう。条文にあるとおり、害があなたと相手とで均衡を保っていなければならないのだ。
正当防衛なら、そもそも相手が悪いのだから、法益の権衡は「ある程度の均衡があること」とちょっと幅を持たせている。やりすぎたら過剰防衛だが、ちょっとくらいなら受けた損害を上回る害を与えていてもかまわないと解釈されるのが普通である。
しかし緊急避難では、法益は完全に均衡が取れていなければならない。かならず、自転車を奪わなかったときのあなたの害より、奪われた相手の害のほうが小さくなくてはいけない。あなたが自転車を奪わなくても避難できていたと証明されたら、緊急避難は認められないということになるだろう。
民法における正当防衛
正当防衛といえば、とくに注釈がなければ、一般的には刑法第三六条を指すが、民法にも正当防衛の条文が存在する。
第七百二十条 他人の不法行為に対し、自己又は第三者の権利又は法律上保護される利益を防衛するため、やむを得ず加害行為をした者は、損害賠償の責任を負わない。ただし、被害者から不法行為をした者に対する損害賠償の請求を妨げない。
2 前項の規定は、他人の物から生じた急迫の危難を避けるためその物を損傷した場合について準用する。
だいたい似たような文面だが、損害賠償が云々というくだりが、刑法の正当防衛との相違点であることに気づくだろう。
例えば、あなたが加害者に暴行を受け続け、身を守るため殴り返したら、拳が相手の眼球に命中し、網膜剥離を起こさせてしまったとしよう。刑法では正当防衛が認められたが、相手が民事訴訟を起こし、その裁判において、民法上の正当防衛が認められなかったら、あなたが敗訴する(=損害賠償を支払う)ことになる、というわけである。
一般論としては、刑法での正当防衛が認められれば、民事裁判でもおなじ判断がなされる蓋然性が高い。しかし刑法と民法では裁判官が違うし、観点も手続きも異なる。よって、刑事責任は負わずにすんでも、民事責任を負わされることになる状況もありうるのである。
具体的なケースとしては、
自動車の運転席に乗っていた被害者に、加害者が執拗に暴行を繰り返したため、被害者は自動車を急発進させた。加害者が民事訴訟を提訴。被害者側の正当防衛は成立しないとの判決が出された(甲府地裁昭和55年11月11日)
ちなみに、上記の網膜剥離の例え話も、実際にあったケースである。
加害者が暴行を加えてきた。被害者は素手で反撃。加害者は網膜剥離を起こした。加害者は損害賠償を求めて提訴した。反撃が強烈であるとして、正当防衛は成立しないという判決が下された。(東京地裁平成3年12月25日)
刑法の正当防衛と民法のそれとの違いをより明確にするために、先述したケース2「ドーベルマンに襲われた警官が拳銃で射殺した」例で考えてみよう。
警察官側になんら落ち度がなかったにも関わらず、職務中に凶暴な猛犬に襲われ、素手ではとうてい抵抗できず、人間より犬のほうが足も速いため逃げようにも逃げられない切迫した状況に追い込まれ、やむなく携帯していた拳銃でドーベルマンを射殺。ドーベルマンは飼い主の所有物であるため、それを殺害した警察官は本来なら器物損壊で起訴されるところだが、生命の危機という不正の侵害があったこと、素手では身を守れない、すなわち相当性があったこと、反撃以外に適当な手段がないので必要性もあったこと、以上、3つの要件を満たしているとして、刑法が定めるところの正当防衛が認められ、警察官は不起訴(もしくは無罪判決)となった。
ところが、本件の発生時、くだんのドーベルマンを放し飼いにしていたのは飼い主本人ではなく、飼い主にドーベルマンの散歩を頼まれた知人だった。飼い主は、「リードなしで散歩させた結果、警察官に愛犬が襲い掛かり、射殺される事態にいたってしまった。ちゃんとリードを着けておけば今回のような悲劇は起こらなかった」として、知人に損害賠償を求めて民事裁判を起こした。愛犬を殺したのは警察官だが、その事態を招来したのは知人であるから、間接的に知人がドーベルマンを殺害したも同然だ、だから賠償責任がある、という理屈である。
なんじゃそりゃと思われるかもしれない。ここでもういちど、民法第720条の2項を確認してみよう。
2 前項の規定は、他人の物から生じた急迫の危難を避けるためその物を損傷した場合について準用する。
ドーベルマンは他人には凶暴な一面を見せる犬種だ。殺傷力もある。そのような犬を、不特定多数の人間と遭遇するであろう屋外において、リードなしで散歩させた場合、第三者に危害を加える危険性があることはじゅうぶん予見できる。さらに突き詰めて、パトロール中の警察官に牙をむき出しにして襲い掛かり、反撃として射殺されることもあるかもしれない。この事態を予測できた(あるいは予測しておくべきだった)のであれば、間接的とはいえドーベルマンを死に追いやる原因を作ったのは知人である、と裁判所が判断する可能性がある。
こうなるとドーベルマンを損傷したのは知人だと認定されるのである。しかし、知人本人は急迫の危難など受けていない。だから、急迫の危難を受けていないにも関わらずその物を損傷したということになり、知人に飼い主への賠償命令の判決が下されることもありうる、というわけである(これはあくまで例え話であって個々のケースによって判決は異なることをご了承いただきたい)。
最後に
世の中は物騒になったと言うが、実際、ただ通勤・通学や買い物の途中に事件に巻き込まれる可能性は0ではない。しかしそのときになって、
「この状況は不正の侵害だし、急迫性も認められるはず、また手段の相当性は……」
「凶器を手に自分を今まさに殺そうとしている事が明白な相手であるが、過剰防衛にならない程度の攻撃をしなくては…」
などと考えている暇や余裕はないだろう。
また、最終的に正当防衛だと認められても、警察に事情を聞かれ、留置場に放り込まれ、調書をとられ、場合によっては地検に出頭と、面倒な手続きが待っているのは必至である。警察とか検察はわりと平気で平日の昼に呼び出したりするので仕事にも支障がきたすだろう。正当防衛を勝ち取ってもそれで経済的に得するわけではない。無罪になったというだけである。
したがって、身の危険を感じたら、正当防衛を錦の御旗に立ち向かうのではなく、まずは「逃げる」「その場を離れる」ことを強くお勧めする。護身術であっても相手との戦闘は最後の手段である。(→護身術)
※もちろん日頃から訓練をしていなければ、発揮できないという理由もある
逃げてもなお反撃せざるを得ない状況に追い込まれ、実際に相手を加害して逮捕されてしまったら、正当防衛である旨を説明し、早急に弁護士を呼ぼう。その道のプロである警察に向こうのホームである警察署に連行されたら、完全アウェーの素人がたったひとりでできることは少ないのである。
最終手段
上記の文章を熟読して
「いかに相手が悪かろうと、加害者の安全を考慮しつつ慎重に応戦しないと犯罪になる」
…と解釈する方もいるかもしれない。
もちろん逃げることが最善策であり、速やかにその場を離れられるのがベストである。
ただし、相手が見知った友人や家族ではなく
殺意に沸いた通り魔であったり、狭い列車内における無差別殺傷事件など、
目の前で発生し逃げ場がなく、自身や他者を加害・殺傷することが明白な状況に限っては
「いざとなれば近隣の物品を武器にする」「手加減は不要」などと覚えておくと良いかもしれない。
…体が硬直して動かない場合もあるため、気休めかもしれないが。
名言
君子危うきに近寄らず
三十六計逃げるに如かず
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