珊瑚海海戦とは、大東亜戦争中の1942年5月7日と8日に生起した日本海軍vsアメリカ海軍の戦闘である。人類史上初の空母vs空母の戦闘として有名。勝敗は日本の戦術的勝利、戦略的敗北と言われる。
概要
背景
1941年12月8日に大東亜戦争が勃発して以来、帝國陸海軍は破竹の快進撃を続けていた。マレー沖海戦で英東洋艦隊が誇る戦艦2隻を撃沈したのを皮切りにジャワ沖海戦、スラバヤ沖海戦、バタビア沖海戦、セイロン沖海戦で連戦連勝を収め、東南アジアとインド洋から連合軍を一掃。半年も経たないうちに西太平洋を瞬く間に席巻した。
一方、急激な勢力圏拡大によって日本は敵国オーストラリアの眼前にまで進出する事になり、オーストラリア軍の攻撃を盛んに受けるように。特に厄介なのが重要拠点ラバウルを爆撃圏内に収めるニューギニアの敵拠点ポートモレスビーだった。この目の上のコブを取り除くべく帝國陸軍は海路からの攻略を企図し、MO作戦を立案。海軍に協力を仰いだ。陸軍は真珠湾攻撃やウェーク島攻略作戦で活躍した空母蒼龍、飛龍の参加を熱望していたが、何かかと非協力的な海軍は船団の護衛に小型空母の祥鳳しか付けない嫌がらせをした(真珠湾攻撃からインド洋機動作戦にかけて連戦続きの機動部隊を休ませたい意図もあったが)ため、指揮を執る堀井富太郎陸軍少将が大本営に抗議。すると海軍は渋々セイロン沖海戦から帰投中の新鋭空母翔鶴と瑞鶴を支援に回した。ただ両空母を擁する第5航空戦隊は第1航空戦隊と比べて錬度が低く、訓練を積ませるための配置だったという。
対するアメリカ海軍の内情は実に厳しいものだった。真珠湾攻撃から空母を守る事には成功したが、当時アメリカが保有する正規空母は僅か5隻しかなく、正面衝突を避けるため通り魔的に空襲を仕掛けるしょっぱい反撃しか出来なかったのだ。そんな中、暗号解析により日本軍がポートモレスビーの攻略を狙っている事が判明。中型空母ヨークタウンと大型空母レキシントンを擁する第17任務部隊(司令官:フランク・J・フレッチャー少将)を迎撃に派遣した。
こうして日米の空母が接近し、史上初の空母vs空母の対決が始まった。両軍とも手探り状態での戦闘だったため互いにミスを重ねてしまう事に。
海戦
前哨戦
1942年5月3日、日本軍はソロモン諸島ツラギ島に上陸して水上機基地の設営を開始し、MO作戦の第一段階をスタートさせる。暗号解析により日本側の動きを察知したアメリカ軍太平洋艦隊司令ニミッツ大将は、真珠湾に停泊中のレキシントンに出撃命令を出し、珊瑚海方面にいる第17任務部隊と合流させようとした。ところが、第17任務部隊はレキシントンの合流を待たずに5月4日、ツラギに対して三次に渡る空襲を行って駆逐艦菊月と小艦艇4隻を撃破する。この攻撃がかえって日本側の警戒を引き起こす結果となり、帝國海軍はMO作戦に参加中の空母機動部隊を珊瑚海に向かわせ、翌5日に索敵を実施している。
5月6日午前4時30分、索敵のためツラギから九七式飛行艇が出撃。午前8時10分に第17任務部隊を発見して位置情報を発してきたが、この時日本機動部隊は北へ670km離れたソロモン海で燃料補給をしており、すぐには移動できない状況にあった。やむなく給油中の駆逐艦を放置し、20ノットの速力で南下を開始。第17任務部隊も日本艦隊迎撃のため北上を開始、索敵機を2回飛ばしたが発見できなかった。通報した九七式飛行艇は触接を続け、正午に敵艦隊の編制を打電したが、不運にも第五航空戦隊には届かず「九七式は触接を失った」と判断された。14時30分、MO攻略部隊は反転して北上。機動部隊はもう少し粘って南下を続けたが、敵情を得ず。対する第17任務部隊も日本艦隊を捕捉できず(触接中の九七式飛行艇にも気付かなかった)、18時頃には知らず知らずのうちに130kmの距離にまで近づいていた。
第一戦
5月7日午前5時22分、敵空母発見。翔鶴と瑞鶴から第一次攻撃隊78機が発進し、全力で攻撃を加えた。しかしその正体は米空母ではなく、給油艦ネオショーと駆逐艦シムスであった。猛攻を受けた2隻は沈没した。一方アメリカ軍は午前8時15分に敵空母を発見、90機以上の艦載機を繰り出した。しかしこれは誤報で、何の戦果も無かった。両軍ともミスを犯した後の午前11時、アメリカ軍に最初のチャンスが巡ってくる。グットラーク島南洋に別行動中の小型空母祥鳳と護衛の第六戦隊を発見したのである。連敗続きのアメリカ軍は何が何でも勝利が欲しいと考えており、後先考えず全力を出した。結果、小型空母に90機以上の米軍機が襲い掛かるという壮絶な地獄が生み出された。直掩機は九六式艦戦3機しかなく、怒涛の勢いで攻め寄せる米軍機を止められなかった。それでも祥鳳は次々に投弾される爆弾を巧みに回避。間隙を突いて零戦3機を発進させ、対空砲で敵機2機を撃墜するなど善戦。しかし多勢に無勢、7本の魚雷と13発の爆弾を喰らった祥鳳の船体は真っ二つに折れ、わずか30分で沈没していった。空母の所在を隠すため、フレッチャー少将は1回だけの攻撃に留めた。日本にとって開戦以来初の空母喪失となり、大きな衝撃を与えた。
祥鳳の喪失を知った日本側は基地航空隊を動員して米空母の位置を探り、夕刻に発見の報が届いた。翔鶴と瑞鶴から熟練の雷撃隊を送り、夜間雷撃を仕掛けたが、敵のレーダー網に引っかかって半数の8機を失う。16時45分、帰投中の艦爆隊がロッセル島近海にてヨークタウンを発見。しかし宵闇で視界不良だったのと搭乗員の疲労により翔鶴型と勘違いし、着艦体勢に入ってしまった。ちょうどヨークタウン側も迎撃機の収容作業に入っていて、米軍機の中に日本軍機が混じっている事に気付かなかった。だが16時58分、誘導員がやけに機影が多いと不審に思う。よく観察すると右舷側の編隊が着艦しようとしているが、明らかにアメリカ海軍のやり方ではなかった。確認を取っているうちに3機の艦爆がヨークタウンの飛行甲板に降り立ち、着艦に失敗して右へと旋回していった。ヨークタウンの砲術長も着艦の仕方に違和感を覚え、艦内放送で「着艦準備中の飛行機は味方にあらず!」と絶叫。白兵戦準備の号令が掛かり、ヨークタウンから熾烈な対空砲火が放たれた。ここでようやく艦爆隊も相手がヨークタウンだと知ったが、既に爆弾を投棄していたため逃げる事しか出来なかった。対空砲火は米軍機をも撃ち抜き、3機が犠牲となっている。
第二戦
5月8日、夜明けとともに日米が索敵を開始。そしてほぼ同時に双方を発見する。いよいよ空母vs空母の対決が始まろうとしていた。翔鶴と瑞鶴から発進した69機の攻撃隊は、道中で日本空母攻撃に向かうアメリカの航空隊とすれ違う。だが両者ともに母艦攻撃を優先し、互いにスルーした。午前11時、輪形陣を敷く第17任務群を発見。待ち伏せていた米戦闘機が一斉に襲い掛かってくる。突撃命令を受け、翔鶴隊と瑞鶴隊は二手に分かれる。まず雷撃隊が突入し、魚雷を投下。レキシントンとヨークタウンは身をよじって回避するが、艦型が違う事が災いして陣形に乱れが生じる。そこへ上空から艦爆隊が襲い掛かり、レキシントンに2発の爆弾と2本の魚雷が命中。ヨークタウンにも1発が命中した。レキシントンは大破炎上。艦内に漏れ出したガスに引火し、大爆発が起きる。悲しいかな元戦艦の強靭な装甲が爆発のエネルギーを内部に閉じ込めてしまい、内部が破壊しつくされて航行不能と化す。これが致命傷になった。
少しさかのぼって午前10時30分、翔鶴と瑞鶴のもとへ米攻撃隊73機が到達。しかし攻撃陣形を取るのに手間取り、その隙を突いて瑞鶴がスコールの中へと逃げ込んだ。図らずも攻撃は残った翔鶴に集中。19機の零戦が米軍機を阻むも、それを突破した機体が翔鶴に投弾。これは命中しなかったが、祥鳳の再現と言わんばかりに集中攻撃を受ける。肉薄してきたデバステーター雷撃機に零戦が体当たりし、その身を以って雷撃を防ぐ場面もあったという。翔鶴は巧みに攻撃を避け続けていたが、ついに爆弾2発(3発とも)が命中して大破。戦闘能力を失う。幸い機関が無事だったため、トドメの雷撃を全て回避。全力航行で戦域から離脱していった。夕刻、レキシントンは雷撃処分されて珊瑚海に沈んだ。
日米双方多くの機体とパイロットを喪失。日本側の損害は小型空母祥鳳喪失と翔鶴大破、アメリカ側の損害は大型空母レキシントン喪失とヨークタウン中破であった。損害だけ見れば日本の勝利だが、MO作戦は中止となり撤退。ポートモレスビー攻略という目的は達成できなかった。特に艦載機81機と優秀な搭乗員を多数失った事は痛撃だった。第五航空戦隊は再編が必要となり、続くミッドウェー作戦には参加できなかった。
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関連項目
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