社会大衆党 | |
しゃかいたいしゅうとう - Social Mass Party |
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基本情報 | |
公用語名称 | 社会大衆党 |
国・地域 | 日本 |
本部所在地 | 東京府 |
成立年月日 | 1932年7月24日 |
解散年月日 | 1940年7月6日 |
機関紙 | 社会大衆新聞 |
国際組織 | -- |
シンボル | ○○党旗・○○党歌 |
公式サイト | -- |
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社会大衆党(しゃかいたいしゅうとう)とは、かつて存在していた日本の無産政党である。略称は社大党。1932年に結党された。戦前の無産政党の統一政党であり、また無産政党の中で一番規模が大きかった政党である。
ちなみに現在沖縄県で活動している地域政党の沖縄社会大衆党とは関係が無い。
概要
満州事変以後、無産政党内において急進的な国家社会主義派に転向する政治家が多く出現していた。それにより孤立するのではないかと危機感を覚えた全国労働大衆会と社会民衆党が1932年(昭和7年)7月24日に合同して社会大衆党を結党した。この際に無産政党の統一がなされた。
1937年(昭和12年)に行われた第20回衆議院議員総選挙では反ファッショに対する期待により36議席を得て無産政党初の第3党になった。これに伴いとある社会思想家・自由主義者は本格的な社会党が日本にも誕生したとして賞賛の声を上げた。
三反主義(反資本・反共・反ファシスト)と反軍主義を訴えていたが次第に右傾化していき、「広義国防論」の軍部を支持したりファシズムを容認する政策を打ち出したりしていた。
1940年(昭和15年)7月6日、大政翼賛会設立のために自発的解散した。補足だが、戦後結党した日本社会党にはかつての社会大衆党のメンバーらが有力幹部になったりしている。社会党ではもちろん右派の立場だった。
機関紙は社会大衆新聞であり、1940年2月まで発行されていた。
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関連項目
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