終わらないコンテンツとは、世界的・国民的支持を受けているなどの理由で、製作会社や作家などが長期的に作品や関連コンテンツを発表し続けているコンテンツである。また直接の作品は終わっても、長く親しまれる場合は、終わらないコンテンツとなりうる。主に商業作品・シリーズ物などに使われるが、必ずしもはっきりしない。
概要
作品自身が、発表後大人気を博したり、直接消費されなくても情報として流通したりすることは、いわゆる人気作品ではまま見られる。その中でも、特に作品発表当時からファンだった人から一生涯を通して愛し続けられるような作品は、「終わらないコンテンツ」として実感される。
似たような概念としては、歴史的風雪に耐えた「古典作品」やあらゆるジャンルを超えて作家や消費者から“元ネタ”として知られる名作、定番などがある。
また、主観的なものとして「自分の中では永遠」という意味で、使われる事もある。
終わらないコンテンツの「終わり」
終わらないコンテンツ自身も、映画やドラマやアニメでの演者や小説漫画等連載している作家の限界・死没などにより「終わり」を迎える事が通常である。しかしながら、その作品の精神を受け継ぎ、他の演者や作家等による新たな発表を通じて、「終わらないコンテンツ」として蘇る事がある。この場合、「再解釈」を通したオマージュ、リバイバルなどがある。
「大人の事情」
終わらないコンテンツは、一定程度はファン自身による熱い支持によって支えられているが、膨大な関係者を背景にした「大人の事情」により、長い間続くものもある。その場合、長期的展開により上述のような、途中でやむを得ず演者を変更したり、作風をガラリと変えたりして、新規ファン獲得を目標とするなど必ずしも古くからのファンの欲望に適わないときもある。また逆に、作家や制作スタッフ自身もどこかしら限界を抱えつつ、“ネタ切れ”などに直面して、その事がファンにとって不本意と受け止められる場合もある。この場合「終われないコンテンツ」と称されることがある。
例
映画では、「男はつらいよ」シリーズがドラマシリーズから派生して全48作という異例の長期シリーズとなった。作品自体は新規発表という形は終わったが、映画の中の「寅さん」は現在も親しまれている。似たようなものとしては、「幸福の黄色いハンカチ」の人気から生まれた黄色いハンカチを結びつける現象は、聖地巡礼のような形などで残っている。特撮作品では、東宝の「ゴジラ」シリーズは“怪獣”の代名詞となるほど確固たる地位を獲得し、元ヤンキースの松井秀喜選手の愛称となるほど、多くの人が知るものとなっている。世界的なものとしては、「スター・ウォーズ」シリーズがよく知られており、その世界観やキャラクター展開は幅広い作品へ影響を与えている。
アニメでは、漫画原作の「ドラえもん」や「サザエさん」のTVアニメシリーズが、声優の世代交代を経て、現在まで続いている。両者とも家族関係や友人関係の一つの日本でのモデルとして認知されるなど、その影響力は単なる娯楽作品を超えたイメージ作りを果たしている。
ゲームでは、ゲームボーイソフト「ポケットモンスター」が1996年の発表直後から爆発的人気を起こし、その後アニメや関連商品・派生作品の発表が立て続けに起きて、世界中で「Pokemon」として通じる言葉となっている。ゲームシリーズは現在も新シリーズが続いている。また同じく任天堂の「マリオ」は「ドンキーコング」で初登場以来、任天堂作品に幅広く登場し、スーパーマリオブラザーズを中心として広くプレイされている。こちらもPokemon同様に世界中で知られている。
漫画では、「ドラえもん」は原作者である藤子・F・不二雄の没後も幼少期に読まない人はいないというほど、本屋や図書館で陳列・所属され、多くの人に親しまれている。他には週刊少年ジャンプの「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が1976年から2016年まで半世紀近く連載され、その間にアニメ化などを通じて「両津勘吉」というキャラクターが広く知られ、現在も一個の人格として親しまれている。
他に伝統芸能や落語、教科書に載るような小説や音楽などの作品は「古典」として名指され、制度化される事がある(教養など)。
物理的に終わりがない
一部のクラシック音楽や前衛音楽の中には、終止符がない・指示通りにすると極端に長いなどの理由で、物理的に終わりがないとも言える作品がある。例として、「ロングプレイヤー(LongPlayer)」は、演奏が終わるまで1000年かかるようになっており、2000年1月1日の開始後から現在も続いている。
また、ゲーム内の目的のために一定のプレイを繰り返さねばならないように手段が目的と化した「作業ゲー」や元々明確なゴールを想定していないゲームなどプレイに終わりが見えないものも指すことがある。
関連項目
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