概要
人間の推論について、正確にはどのようなものが正しい推論であるかを問うのが論理学である。"実際に我々がどのような推論をしているか"の研究は心理学などに属する問題である。その意味では論理学は倫理学などと同じ規範学の一つと言うことが出来る。
物理学を初め自然科学が現実世界のありようを問うのに対し、論理学は推論の形式的な構造を研究するこのことから数学などと合わせて形式科学とも呼ばれる。
(例えば、"電子はすべて青い""ソクラテスは電子である"、よって"ソクラテスは青い"は論理的に正しい推論であるが物理的にはナンセンスな文の集まりにすぎない。)
推論
論理学でいう推論とは、前提となる事柄(事実や主張)から結論となる事柄を導く方式のことである。
前提が正しいとき(現実の世界のありようとは関係なく)結論が正しくなる推論を演繹(法)といい。それ以外の推論を(広義の)帰納(法)という。
通常はその中でも、いくつかの具体的な事柄から普遍的な事柄を導く推論を帰納と言い、
さらに、1日目"太陽が東から昇った",2日目"太陽が東から昇った"・・・1000日目"太陽が東から昇った"よって"太陽は毎日東から昇る"のような推論を枚挙的帰納法(狭義の帰納)という。
数学的帰納法はこの枚挙的帰納法に見た目が似ているのでこう呼ばれるが実際は演繹法の一種である。
歴史
紀元前4世紀:アリストテレスが三段論法を中心とした論理学を確立した。
中世ヨーロッパ:スコラ哲学などにより論理学は研究されていた。
17世紀:ライプニッツにより記号による機械的な論理学(普遍言語)に関する初期の研究がなされる。(記号論理学の走り)
19世紀:ブール、フレーゲ、ラッセルらにより数学の理論を包括的に記述することのできる記号論理が開発され、記号論理学が確立された。
20世紀:数学の記号化が進む中、それまでの数学の論理に致命的なパラドックスが含まれていることが明らかとなった。その中で様々な立場が現れ今日の数理論理学の基礎が与えられた。(数学基礎論の記事を参照)
それと同時期に非古典論理や様相論理といった主流派の論理とは異なる形態の論理も発展していった。
分野
記号論理学:今日の(演繹法に関する)論理学すべては、記号化された形式論理に基づいておりこう呼ばれる。その中でも数学とのかかわりが強い分野を数理論理学と言う。
命題論理:AならばB、BならばC、よって、AならばC、のように命題の内部構造には立ち入らず命題間の関係の記述を主とする論理。
述語論理:すべての整数は素数に分解できる、のように項(対象)に関する記述を含む論理。命題論理を拡張したもの。
直観論理:排中律(肯定又は否定どちらかは常に成り立つ)や背理法(否定の否定は肯定)が成立しない論理。
以上は演繹に関する論理であり記号論理学に含まれる分野である。それらに属さない分野として(広義の帰納法)
仮説と発見の論理(アブダクション)等と言われるものがあり、帰納、類推、仮説、等を積極的に扱う。(科学哲学を参照)
数学との関係
現在の数学は集合論に基礎を置いている。さらにその集合論は論理学に基づいて展開される。
逆に、現在の論理学は集合論(モデル理論)や数学(自然数論や位相空間論等)の諸成果を積極的に取り入れて研究されている。
数学と論理学は非常に近接した分野であるが、密接な関わりを持って研究されるようになったのは実は比較的最近のことである。(数学基礎論を参照)
哲学との関係
(自然)科学との関係
命題論理の基本
- ANDの導入: AであるとBであるからは、AかつBであるを導ける
- ANDの消去: AかつBであるからは、Aであるが導ける。AかつBであるからは、Bであるが導ける
- NOTの導入: Aであると仮定して矛盾が導けたならば、Aであるという仮定を消去してAでないが導ける
- NOTの消去: AであるとAでないからは、矛盾が導ける
- ORの導入: AであるからはAまたはBであるが導ける。Bであるからは、AまたはBであるが導ける
- ORの消去: Aであると仮定してCであるが導け、Bであると仮定してもCであるが導けるならば、Aであるという仮定とBであるという仮定を消去してAまたはBであると仮定してCが導ける
- 含意の導入: Aであると仮定してBであるが導けたならば、Aであるという仮定を消去してAならばBであるが導ける
- 含意の消去: AならばBであるという仮定とAであるという仮定からは、Bであるが導ける
- 矛盾の規則: 矛盾からは何でも導ける
- 古典論理の場合の追加規則: 以下の3つのいずれか(これらは互いに同値である)
古典論理の場合の追加規則が互いに等価であることの証明
以下のように、互いに互いを証明できることから、これらは等価の規則である。
背理法→二重否定の除去
Aでないと仮定する。Aでないでないが言えているならば、NOTの消去により矛盾が導ける。よって、背理法によりAでないという仮定を消去してAであるが言える。
背理法→排中律
(AであるまたはAでない)でないと仮定する。この時、Aであると仮定すると、ORの導入によりAであるまたはAでないが言える。よって、NOTの消去により矛盾が導けるので、NOTの導入によりAであるという仮定を消去してAでないが言える。さらにORの導入によりAであるまたはAでないが言えるので、さらにNOTの消去により矛盾が導ける。ここから背理法により(AであるまたはAでない)でないという仮定を消去してAであるまたはAでないが導ける。仮定は何も残っていないので、AであるまたはAでないは仮定なしに導ける。
二重否定の除去→背理法
Aでないと仮定して矛盾が導けたならば、NOTの導入によりAでないという仮定を消去してAでないでないが言える。ここから二重否定の除去を適用してAであるが導ける。
二重否定の除去→排中律
(AであるまたはAでない)でないと仮定する。この時、Aであると仮定すると、ORの導入によりAであるまたはAでないが言える。よって、NOTの消去により矛盾が導けるので、NOTの導入によりAであるという仮定を消去してAでないが言える。さらにORの導入によりAであるまたはAでないが言えるので、さらにNOTの消去により矛盾が導ける。ここからNOTの導入により(AであるまたはAでない)でないという仮定を消去して(AであるまたはAでない)でないでないが言えるが、二重否定の除去によりAであるまたはAでないが導ける。仮定は何も残っていないので、AであるまたはAでないは仮定なしに導ける。
排中律→背理法
Aであるならば、当然Aである。Aでないと仮定して矛盾が導けたならば、矛盾の規則によりAであるが導ける。Aであると仮定してもAでないと仮定してもAであると導けたのだから、AであるとAでないという仮定を消去しAであるまたはAでないからはAであるが導ける。ところが、AであるまたはAでないは排中律により仮定なしに導ける。
排中律→二重否定の除去
Aであるならば、当然Aである。Aでないと仮定する。Aでないでないと仮定すると、NOTの消去により矛盾が導けるので、矛盾の規則によりAであると導ける。Aであると仮定してもAでないと仮定してもAであると導けたのだから、AであるとAでないという仮定を消去しAであるまたはAでないからはAであるが導ける。ところが、AであるまたはAでないは排中律により仮定なしに導ける。
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関連項目
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