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阿部慎之助(あべ しんのすけ、1979年3月20日-)とは、千葉県出身の元プロ野球選手(捕手・一塁手)である。2024年より読売ジャイアンツの一軍監督を務める。
概要です!
読売ジャイアンツ #83 一軍監督 |
|
---|---|
阿部慎之助 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県浦安市 |
生年月日 | 1979年3月20日 |
身長 体重 |
179cm 95kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 一塁手、捕手 |
プロ入り | 2000年ドラフト1位(逆指名) |
経歴 | |
選手歴 コーチ・監督歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
五輪 | 2000年、2008年 |
WBC | 2009年、2013年 |
プロ野球選手テンプレート |
安田学園高等学校、中央大学を経て2000年のドラフト1位で読売ジャイアンツを逆指名して入団する。
2001年シーズンの開幕戦で出場。巨人では23年振りの新人捕手開幕スタメンを果たす。
2002年は日本一の立役者となり、サヨナラ打を何本も打ち、「サヨナラ慎ちゃん」と呼ばれるようになった。更にその際のヒーローインタビューでは「最高です!」とよく言っていた。
2004年には4月に16本塁打(月間本塁打記録プロ野球2位タイ)を放ち、5月12日には「開幕33試合で20本塁打」という世界記録に並ぶ。最終的には33本塁打だったが、巨人の捕手で30本塁打を記録したのは阿部が初めてである。
2006年には打率が3割を切り本塁打も自己最低となる10本に終わったが、キャリアハイとなる盗塁阻止率.443を記録。
2007年には主将に任命され(以降2014年まで主将を務める)、李承燁の故障で第72代目の4番打者にもなった。また、自身初の100打点を記録。捕手の100打点は2003年福岡ダイエーホークスの城島健司以来で史上4人目、セリーグの捕手では1950年大洋ホエールズの門前眞佐人以来で史上2人目。
2009年には第2回WBCに出場した。
レギュラーシーズンでは9月18日にジャイアンツの捕手としては初となる通算200本塁打を達成。リーグ2位の32本塁打を記録し、3連覇に貢献。7年ぶりの日本一にも貢献し、日本シリーズMVPを受賞した。一方でセス・グライシンガーが先発の時は鶴岡一成に先発マスクを譲っていた。
2010年には9月11日の対広島東洋カープ戦で捕手としては野村克也、田淵幸一に次いで3人目のシーズン40本塁打を達成。巨人の捕手、また左打者の捕手としては史上初。最終的に44本塁打を放った(捕手のシーズン本塁打としては歴代3位タイ)。
2011年は負傷もあり出遅れたが、5年連続で20本塁打を打った。また、9月29日には連続守備機会無失策記録のプロ野球新記録1709を達成。
2012年は主に4番として起用され、史上最多タイとなるシーズン3度の月間MVPを受賞するなど打撃守備ともにチームを引っ張り、自身初のタイトルとなる首位打者と打点王を獲得。シーズン打率.340は捕手としてはNPB史上最高(1991年に古田敦也が.340をマークしたが、阿部は.3405、古田は.3398)、打点王はセ・リーグの捕手としては初。
本塁打27本も東京ヤクルトスワローズのウラジミール・バレンティン(31本)に次いで2位。[1]
また巨人監督の原辰徳と共に、選手としては2000年の松井秀喜以来12年ぶりに正力松太郎賞を受賞し、リーグMVPにも輝くなどキャリアハイを記録した。
日本シリーズでは澤村拓一の球を受けていたが、サインミスされたことで頭をたたき、このことで澤村が締まって日本一を掴むきっかけとなった。
2013年には、第3回WBCの代表キャプテンとして出場。更に4番と正捕手も兼任した。2次ラウンドでは1イニング2本塁打を記録するなど好調であったが、準決勝のプエルトリコ戦ではチャンスに打てず、チームも3連覇を逃した。
レギュラーシーズンもチームの主砲としてホームランを打っていたが、終盤9月に帯状疱疹を患い、まともに投げられなくなる程の状態に陥る。その後は出場機会が怪我のため激減し、打撃不振に陥った。最終的には打率.296と3割を割ったが(それでもセ・リーグ6位)、本塁打は統一球の改善により去年より多い32本(リーグ3位)、91打点(3位)でシーズンを終えた。なお本塁打は日本人では両リーグ通して1位だった。
ポストシーズンでは怪我を抱えながらの出場となった。クライマックスシリーズ・日本シリーズ共にマスクを被り続けたが打棒は奮わなかった。また味方から大事なところにボールをぶつけられる等アクシデントも起こった。
2014年は深刻な打撃不振に陥ったが後半に復調。6月7日の埼玉西武ライオンズ戦で松井秀喜を抜く巨人での通算333号を達成(王貞治、長嶋茂雄、原辰徳に次いで4位に浮上)、またこの本塁打で捕手として史上5人目の1000打点を達成した。
2015年からは一塁手にコンバートする。開幕戦からファーストで出場していたが、FA移籍してきた相川亮二の故障により4月3日の阪神タイガース戦から捕手の守備につくようになった。7月1日の広島東洋カープ戦で通算350本塁打を達成。
2016年はコンディション不良で開幕を二軍で迎えたが、5月31日に一軍に昇格。この日のオリックス・バファローズ戦で逆転2ランホームランを放ち、勝利に貢献した。捕手には小林誠司が就いていたため、一塁手として91試合に出場。規定未達ながら2012年以来の打率3割をマークした。また、プロ入り後初めて捕手として出場のないシーズンとなった。シーズン終了時点で2000本安打まであと83本とした。
オフには鈴木尚広が引退したため、巨人生え抜き最年長選手・生え抜き現役最長選手となった。
2017年は捕手のポジションを小林誠司に譲り一塁手に専念、内野手登録となる。5月20日の横浜DeNAベイスターズ戦で通算2000試合出場、8月13日の広島東洋カープ戦で史上49人目の通算2000本安打を達成した。
2018年は岡本和真の台頭で代打での出場がメインになる。95試合の出場に留まったが、入団後18年連続で二桁本塁打を達成した。オフに捕手への復帰を表明した。
2019年は捕手登録となったが、実際は小林誠司、西武からFA移籍してきた炭谷銀仁朗、大城卓三の3人体制となり、代打での出場となった。6月10日の中日ドラゴンズ戦で史上19人目の通算400本塁打を達成する。5年ぶりの優勝を決めた翌日に原辰徳監督と話し合い、思っていることが一致したことから現役引退を表明する。9月25日に会見を行い、「優勝できたこと、400号を打てたこと、坂本勇人がキャプテンになって初めて優勝できたことで肩の荷が降りた」とコメントした。9月27日の横浜DeNAベイスターズ戦(本拠地最終戦)では4年ぶりに捕手として出場し、一番球を受けたいと語ったスコット・マシソンと澤村拓一の球を受け、2回には澤村をたたこうとして握手を交わして一塁の守備に就いた。その後中川虎大からレギュラーシーズン最後のホームランを放った。9月28日の東京ヤクルトスワローズ戦では申告敬遠で終わったが、「球史に残るんじゃないかな」とコメントした。
福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでは第1戦でホームランを記録したが勝ちに結び付かず、それどころか4連敗でソフトバンクに日本一を許した。巨人ナインから胴上げされた後は、ソフトバンクのナインからも胴上げされ、現役生活に別れを告げた。11月1日に任意引退選手公示された。
2282試合の出場で打率.284、406本塁打、1285打点と巨人の捕手として数多くの記録を打ち立てた現役時代だった。
引退後です!
2019年10月23日には巨人の二軍監督に就任することが判明した。
2021年二軍公式戦全日程終了後より一軍作戦コーチに配置転換され、2022年はそれに兼任してディフェンスチーフコーチを務めた。
2023年シーズンは一軍ヘッド兼バッテリーコーチに就任。シーズン最終戦終了後、同年限りで退任する原辰徳監督より来年度の一軍監督に指名され、10月6日に正式に就任した。背番号は83。
人物です!
顔立ちが天才バカボンのウナギイヌそっくりである。
以前は蔑称としてウナギイヌと呼ばれていたが、あまりにそっくりなため近年では普通に愛称として用いられている。
近年は単にうなぎと呼ばれることも多く、凡退時は養殖うなぎ、安打時は天然うなぎなどと呼ばれる。
余談だが、広島東洋カープの秋山翔吾も同様のニックネームを持つ。
応援歌です!
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
巨人 | 応援歌のピコカキコ一覧#28 | 8542 |
成績です!
年度別打撃成績です!
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001年 | 巨人 | 127 | 428 | 386 | 40 | 87 | 18 | 0 | 13 | 44 | 3 | 2 | 2 | 31 | 7 | 79 | 9 | .225 | .293 |
2002年 | 127 | 511 | 446 | 62 | 133 | 26 | 0 | 18 | 73 | 4 | 4 | 3 | 46 | 12 | 81 | 10 | .298 | .377 | |
2003年 | 94 | 371 | 314 | 46 | 95 | 15 | 1 | 15 | 51 | 1 | 3 | 4 | 40 | 9 | 52 | 7 | .303 | .392 | |
2004年 | 108 | 436 | 379 | 61 | 114 | 22 | 1 | 33 | 78 | 0 | 1 | 0 | 43 | 13 | 87 | 6 | .301 | .391 | |
2005年 | 130 | 534 | 476 | 56 | 143 | 16 | 0 | 26 | 86 | 0 | 0 | 6 | 51 | 1 | 78 | 15 | .300 | .365 | |
2006年 | 129 | 497 | 452 | 39 | 133 | 26 | 2 | 10 | 56 | 0 | 4 | 2 | 35 | 4 | 76 | 8 | .294 | .349 | |
2007年 | 140 | 580 | 499 | 72 | 137 | 20 | 0 | 33 | 101 | 1 | 3 | 10 | 57 | 11 | 76 | 17 | .275 | .355 | |
2008年 | 125 | 484 | 428 | 60 | 116 | 27 | 0 | 24 | 67 | 1 | 4 | 0 | 44 | 8 | 66 | 17 | .271 | .350 | |
2009年 | 123 | 462 | 409 | 63 | 120 | 20 | 2 | 32 | 76 | 1 | 2 | 7 | 31 | 10 | 87 | 9 | .293 | .357 | |
2010年 | 140 | 569 | 498 | 85 | 140 | 27 | 2 | 44 | 92 | 0 | 1 | 1 | 58 | 11 | 91 | 8 | .281 | .368 | |
2011年 | 114 | 437 | 390 | 45 | 114 | 21 | 0 | 20 | 61 | 1 | 2 | 1 | 35 | 9 | 66 | 12 | .292 | .363 | |
2012年 | 138 | 556 | 467 | 72 | 159 | 22 | 1 | 27 | 104 | 0 | 2 | 8 | 69 | 9 | 47 | 11 | .340 | .429 | |
2013年 | 135 | 529 | 422 | 81 | 125 | 17 | 0 | 32 | 91 | 0 | 0 | 6 | 86 | 15 | 59 | 8 | .296 | .427 | |
2014年 | 131 | 526 | 459 | 49 | 114 | 24 | 0 | 19 | 57 | 1 | 0 | 2 | 58 | 7 | 77 | 16 | .248 | .340 | |
2015年 | 111 | 419 | 343 | 44 | 83 | 14 | 0 | 15 | 47 | 0 | 0 | 4 | 64 | 8 | 84 | 9 | .242 | .370 | |
2016年 | 91 | 387 | 335 | 43 | 104 | 13 | 0 | 12 | 52 | 0 | 1 | 3 | 44 | 4 | 55 | 8 | .310 | .394 | |
2017年 | 129 | 512 | 455 | 41 | 119 | 13 | 0 | 15 | 76 | 0 | 1 | 7 | 41 | 8 | 67 | 13 | .262 | .329 | |
2018年 | 95 | 223 | 198 | 22 | 49 | 6 | 0 | 11 | 46 | 0 | 1 | 1 | 21 | 2 | 55 | 6 | .247 | .324 | |
2019年 | 95 | 192 | 158 | 15 | 47 | 8 | 0 | 7 | 27 | 0 | 0 | 2 | 28 | 4 | 23 | 1 | .297 | .411 | |
NPB:19年 | 2282 | 8653 | 7514 | 996 | 2132 | 355 | 9 | 406 | 1285 | 13 | 31 | 69 | 885 | 152 | 1306 | 190 | .284 | .368 |
通算守備成績です!
機構 | 守備位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 捕逸 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 捕手 | 1667 | 12094 | 991 | 58 | 132 | .996 | 73 |
一塁手 | 453 | 3555 | 173 | 29 | 275 | .992 | - |
タイトル・表彰・その他です!
タイトル | ||
---|---|---|
首位打者 | 1回 | 2012年 |
最多打点 | 1回 | 2012年 |
最高出塁率 | 1回 | 2012年 |
表彰 | ||
ベストナイン | 7回 | 2002年、2007年-2014年 |
ゴールデングラブ賞 | 4回 | 2002年、2008年、2013年、2014年 |
最優秀バッテリー賞 | 6回 | 2002年(上原浩治)、2007年(高橋尚成)、2008年(セス・グライシンガー) 2009年(ディッキー・ゴンザレス)、2012年(内海哲也)、 2014年(菅野智之) |
月間MVP | 6回 | 2004年4月、2009年9月、2010年6月、2012年6月・8月・9月 |
オールスターゲームMVP | 2回 | 2007年第2戦、2010年第1戦 |
日本シリーズMVP | 1回 | 2009年 |
MVP | 1回 | 2012年 |
正力松太郎賞 | 1回 | 2012年 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 13回 | 2003年、2004年、2006年-2015年、2017年 |
関連動画です!
関連コミュニティです!
関連項目です!
- プロ野球選手一覧
- 2000年度新人選手選択会議
- 読売ジャイアンツ
- 侍ジャパン
- アベノミス
- 最高です - ヒーローインタビューでの決まり文句
- September - 登場曲、「ホームラン、阿部慎之助」のコールでお馴染み
外部リンクです!
脚注
- *もし上回っていれば2004年福岡ダイエーホークスの松中信彦以来、セリーグでは1986年阪神タイガースのランディ・バース以来、球団としては1974年の王貞治、捕手としては1965年の野村克也以来2人目の三冠王になっていた
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