「100万円クイズハンター」とは、1981年9月28日から1993年10月1日まで、テレビ朝日と一部系列局等で毎週月曜日から金曜日の午前中に30分間放送されていた素人参加型のクイズ番組である。全2942回。
番組が終了した1996年にPC用で、1998年にはプレイステーション用でゲームソフトも発売されていた。
2012年には19年ぶりの復活特番が3回放送され、うち1回は本放送時代には実施されなかったテレビ朝日系列全局での放送が行われた。
概要
司会は俳優・柳生博。また、女性アシスタントが1人(2~3年周期で交代)付いており、柳生が時折行う問題のミニ解説に相槌を打ったり視聴者プレゼントの紹介などを行っていた。出題は2代目の中村真子(まさこ)が開始翌年から番組終了まで11年間担当。独特のハイトーンによる早口気味のアナウンスが特徴であった。
番組の冒頭で柳生が毎回キャッチフレーズとして「生活の句読点、クイズハンターです。」と言っていたように、参加者や視聴者層は、午前中の家事を終えて一息ついた主婦を主にターゲットとしていたが、学校が休みの時に当時の小学生や中学生が午前中見ていた番組としてNHK教育テレビの各種番組と並んで語られることも多い。
番組は、(難易度こそ低かったが)正統派の早押しクイズ番組であるが、自分の手ではなく自席に立てられたゲームセンターのモグラ叩きで使われるようなハンマーを抜き取ってボタン代わりのマットを叩くことで回答権を得るスタイルが最大の特徴であった。
基本的にローカル番組扱いをされており、系列局でも名古屋テレビ放送、朝日放送(関西地区ではサンテレビやKBS京都で一時放送されていたこともあった)、九州朝日放送といった一部の大都市圏の局では全く放送されなかった。一方、80年代を中心に系列外の局へ一時的に番販ネットされるケースが見られたほか、東日本や九州を中心にこの頃続々と開局したテレビ朝日系列の新局のほとんどが本番組をネットしたことから、初回から最終回まで放送されていた地域は関東などごく一部に限られる反面、どこかの時期では放送されていたという地域は意外と多い(番販ネットが打ち切られた後にテレ朝系新局が開局して放送が再開されたケースもあった)。地方での予選会も時折開かれていた。
参加者は右から、赤、緑、黄、青の各色のボックスに分かれる。放送開始から長年個人戦を基本として、夏休みや冬休みになると行われた小学生や中学生の子供と親が組んでの「小(中)学生親子大会」などの特別企画でのみペア戦が行われていたが、番組末期の1992年3月から放送終了まではペア戦のみとなる。個人戦時代は回答者のほとんどが主婦だったのが一変し、夫婦、親子、兄弟姉妹、友達、職場仲間などのペアによる出場となったことで男性の回答者も多くなっていった。
平日午前のローカル枠としてはそれなりに安定した人気のあった番組だが、マンネリ化と不況による商品集めの行き詰りもあり1993年10月、12年間の放送にピリオドを打った。しかし、後半戦では獲得賞品の争奪戦が行われるというシビアさを包むかのように、一族揃って応援席に陣取って熱い応援を送ったり、前半戦でなかなか答えられない回答者に柳生自らマスコットのぬいぐるみを置きに行って「応援団だ!がんばれ!」と励ますなど、柳生博の司会により作り出されたアットホームな雰囲気は今でも語り継がれるほどの伝説の番組と言える。12年間の全賞品の金額換算総額は38億円相当であったという。
番組のタイトルは、放送開始当初、テレビ朝日では9:30~10:00の放送だったことから、ダジャレで「9時半だ!クイズハンター」となったのが由来。1985年10月以降は一部のネット局を除き10:00~10:30となった。
番組の流れ
前半戦はパネルに書かれているジャンルを選択し、それにちなんだ問題が出題。正解すると当該ジャンル表示がフェードアウトした後に表示された賞品が獲得できるシステム。うち1枚には、後半戦で自分が有利になる特別なハンマー「ゴールデンハンマー」も隠されていた。なお、回答者全員が答えられなかった場合、対象とされた賞品は視聴者プレゼントにあてられた。
CMを挟んだ後半戦は、マスコットの顔が描かれた早押しランプだった回答者の背後のセットがグルリと回転し、モニターと各回答者間を結ぶベルト状の電光表示が登場。正解すると他の回答者から賞品を横取りする争奪戦「ハンターチャンス」に変わる。前半でゴールデンハンマーを獲得した回答者は柳生(時々アシスタント)が解答席に出向いてハンマーをゴールデンハンマーに交換し、それを使って参加。また、特典としてゴールデンハンマー獲得者のみの専用クイズも1問出題された。
最高得点を取った回答者がチャンピオンとなり、ハワイ旅行が当たる「チャレンジゲーム」への挑戦権を獲得。3つの箱の中からひとつを選び、特製巨大ハンマーで叩くと、フラダンスの女の子(=ハワイ旅行獲得)、和服の女の子(=国内旅行クーポン券獲得)、海賊の男の子(=ハズレで番組マスコットのぬいぐるみ)の人形のいずれかが出るゲームを行ってエンディングとなった。
収録番組であったがほぼ録って出しであったため、時間が押しているとチャレンジゲームが終わるやいなや柳生が慌てて番組を締めるということがよくあった。
中期以降基本ルール
前半戦は全20問。第1問は柳生がジャンルを選択。正解すると賞品を獲得し賞品の金額がそのまま得点となる。以降は正解者が次のジャンルを指定する。正解者なしの場合は柳生の裁量でジャンル選択者を指名した(概ね成績の低い回答者を指名していた)。
なお、「親子大会」の時のみジャンルのパネルの上半分10枚の背景が赤、下半分10枚の背景が通常の緑に色分けされ、はじめは子供だけで赤いパネルの10問に挑戦、それが終わると「ハンマーチェンジ」としてハンマーを親に渡し、親だけで緑のパネル10問に挑戦する形式が取られていた。(ハンターチャンスは全員にハンマーが渡されて親子どちらも回答できた)
不正解の場合、問題が読み切られていない場合は問題の続きが読まれてから残る3人による早押しで解答権が得られたが、2人目も間違えると正解者なしとなった。一方、問題が読み切られてタイムオーバー前のカウント音が鳴っていた場合は1人間違えたところで正解者なしとなった。
2回不正解で1問休みのペナルティとなり、解答権のない間はハンマーを倒す。正解者なしの場合、パネルに隠された賞品は獲得者なしとなり、マル得賞品として視聴者プレゼントになった。そのパネルにゴールデンハンマーが入っていた場合はゴールデンハンマーもなしとなった。
前半戦で賞品を獲得出来ず0点で終わった場合はその時点で失格となり、後半戦ではその席は空席となり、代わりに番組のマスコット人形が置かれた(0点でも参加賞的な賞品がもらえた)。
後半戦のハンターチャンスは全員参加の4問(のち5問)とゴールデンハンマー専用問題が1問出題される。ハンターチャンスで正解すると他チームの賞品を1つ横取りできる。当然得点もそのまま移動するので、展開によっては最後に高得点の賞品を1つ取るだけで一発逆転でチャンピオンとなるチャンスがあった。
途中チャイムが鳴って出題されるゴールデンハンマー問題はゴールデンハンマーを持っている回答者のみ回答できる(チャイムが鳴るタイミングは展開に応じて前後していた)。まずどの賞品を横取りするか指定し問題に挑戦。正解すれば賞品横取り、ただし不正解や答えられないと指定した賞品を持っていた回答者から逆に賞品を横取りされる。
不正解の場合の2人目の解答権の扱いは前半戦と同じだが、後半戦は2回不正解の時点で残りの問題の解答権を失う。また、途中で獲得賞品を全て取られて0点になった場合も解答権を失い、いずれも退場はしないものの最後までハンマーを倒したままゲームセットまで待つこととなった。
最終問題「ラスト・ハンターチャンス」終了時点で賞品の数に関わらず最高得点のチームがチャンピオンとなりハワイ旅行を賭けたチャレンジゲームに挑戦した。
賞品
賞品は1万点ほどのギフトセットから10万点オーバーの高級レストランの食事券や温泉旅館宿泊券、さらに20万点オーバーの宝石や反物と幅広かった。
ハンターチャンスになると正解者の応援席からは「この賞品を獲って!」という意味で「青の南国ホテル~!!(の宿泊券)」とか「緑のダイヤ!!」といったガチな声援アドバイスが飛び交うのが番組の大きな名物であった。一方、夏休みの親子大会ではゲームソフトのセットやおもちゃが欲しい子供を無理矢理親が制止して宿泊券や宝石で獲得する光景がよく見られた。
主な定番賞品は「ココ山岡ダイヤモンドリング」「高級着物」「ホテル八田宿泊券」「ハトヤ宿泊券」「ホテル三日月宿泊券」「ネピアトイレットペーパー」「東鳩製菓のお菓子詰め合わせ」「べに花一番ギフトセット」「ラドー高級時計」「後楽園ゆうえんちの入園券と乗り物券」「全国共通お米券」など多種多様であった。なお、単価の安い賞品は大量のセットものにして他の賞品と釣り合う程度に金額を引き上げていた。
ただし、当時は公正取引委員会の取り決めによりクイズ番組に出場して得られる賞金・賞金の総額は100万円までとの規定があった(番組終了後の1996年4月に1000万円へ引き上げ)。このため、ハワイチャレンジの獲得分も含めて金額換算で100万円以上の賞品を獲得した場合、実際には100万円以内に納まるよう持ち帰る賞品を調整しなければならなかった。なお、100万点を超えたチャンピオンに対しては、柳生からエンディングで「『100万円』クイズハンターなので、100万円超えた分はお返しいただきます」とチャンピオンに告げることが多かった。
放送開始当初、ハワイチャレンジに挑戦するのは「チャンピオンになると次回の出場権も得て、最終的に3日連続でチャンピオンになった場合」、後に「月~木のチャンピオンが集結する金曜のチャンピオン大会でチャンピオンになった場合」と、複数回出場することが必須になっていたことから、1回の放送だけでは仮に全ての賞品を獲得しても100万点を超えることはなく、複数回出場したチャンピオンで成績が良ければ合計で100万点を突破するケースが見られる程度だった(チャンピオン大会時代は終了後に2回出場による合計得点も発表していた)。
しかし、1985年10月の放送時間の10時スタート以降移行を機に毎回のチャンピオンがハワイチャレンジに挑戦する形式に変更、さらにバブル経済に入って物価も上昇し賞品も高額化(一見10万点オーバーが基本だったように思える宿泊券でも、初期は10万点を切るものもあった)したことで、1回の放送で総額100万円以上、さらに番組終盤には総額200万円以上の賞品が用意されるようになり、100万点を越えてしまうケースが時折みられる状況になったため、獲得した賞品の一部を持ち帰られなかったチャンピオンも比較的いたものと思われる。
余談だが、番組当初は100万点を越えることはめったにないという判断か、回答席に設置された横パタパタ式の得点盤は6桁で999,999点までしか表示できないようになっており、100万点を超えてしまうと表示がおかしくなるため(例:106万5,400点だと『¥065,400』)、その場合に備え得点盤と同一書体の「1」と書かれた札が用意されており、実際にそうなった場合は柳生が解答席に札を貼りに行くケースが見られた。
しかし、賞品の高額化で前半戦だけで100万点を突破するケースになると、ハンターチャンスで得点が増減するケースに対応できないことから(その場合は前半戦で一旦「1」を付けてもハンターチャンスの際には外していた)、1991年に得点盤を改修し「¥」の部分も横パタパタ化、前述の例でも「1,065,400」と表示できるようになった。
ゲームソフト化
1993年、富士通パソコンシステムズが、Macintosh/Windows95ハイブリッド版のゲームソフトを発売。出演のために試験を受けて、合格をしてから番組出演という、本家並みの演出が用意されていた。
1998年には同じメーカーがプレイステーション用ソフトとして発売。番組の雰囲気をそのまま再現することに成功している他、司会の柳生博もポリゴンモデル、および本人の肉声付で出演している。
クイズ出題は、当時テレビ朝日のアナウンサーだった丸川珠代(現・自民党所属の参議院議員)が担当。
なお、丸川自身も、放送末期に臨時で出題を担当したことがあるだけでなく、当作発売の1年前にあたる1997年に、こちらも富士通パソコンシステムズから発売された『パネルクイズ アタック25』のゲームソフトのCMにも出演している。
19年ぶりの復活特番
2012年9月23日の16:00~17:25(一部局を除く)にテレビ朝日系列で19年ぶりの復活特番が放送された。前日の9月22日の午前中には関東ローカルで、当時の番組スタッフが現在の柳生博を訪ねて、1987年11月に放送をされた放送1500回記念のタレント大会を見ながら番組の思いを語ってもらった、番組の最後には新司会者・立川志の輔にエールを送っていた。
司会は柳生博ではなく、落語家・立川志の輔とテレビ朝日・堂真理子アナウンサーが担当した。
回答者はタレント親子ペアとなるが、当時の番組システムやBGM、商品を極力再現、ナレーションも12年間担当をした中村真子を起用するほどの徹底振りである。放送当時は、ディレクターで制作会社・泉放送制作の部長職にある人物も番組のスタッフとして働いていた。
ルールも2012年版では、AブロックとBブロックに分かれてハンターチャンスで1位と2位となったチームが、最後のハンターチャンスで競うというものである。
放送時間は、殆どのテレビ朝日系列局では16:00~17:25に放送をされたが、青森朝日放送、東日本放送、広島ホームテレビ、鹿児島放送では2時間先行をして14:00~15:25に放送された。また朝日放送では当日は野球中継のため10時間遅れで24日の26:23~27:51で放送をされた。
また、2ちゃんねる・テレビ朝日実況板でも盛り上がり、6スレ消費をした。
なお、好評につき同年12月8日、16日の夕方にも2週連続の1時間特番で放送(関東地方のみ)。
謎の韓国版
かつて、日本テレビ「世界まる見え!テレビ特捜部」が「韓国仰天バラエティー出現!」というタイトルで「韓国でクイズ番組がブームになっているが、日本のクイズ番組のエッセンスを流用しているぞ」というリポートを放送、その中で明らかに「100万円クイズハンター」に類似した番組が放映されていると紹介された。
1991年12月9日に開局した韓国の純民間放送局であるソウル放送(現・SBS)が開局翌日の1991年12月10日から1995年4月14日まで、毎週月曜~金曜の9:10~9:40に放送していた「알뜰 살림장만 퀴즈」(google直訳や韓日訳辞典から類推すると「お買い得生活準備クイズ」あたりになるが、「整理整頓クイズ」と略されていた)がそれである。司会はともにコメディアンのキム・ハッレとイム・ミスクの男女コンビで両者は夫婦であった。
回答者は4名の個人戦で赤、緑、黄、青の順の席に座り、応援席に家族が陣取るスタイル。前半戦は20問でモニターに表示された出題ジャンルを選択、正解するとモニターがジャンルから賞品の表示になり、その賞品と金額相当と同じ得点を獲得するというルール。2回不正解で1問休み、20問中1問は商品表示前に「!」マークが表示され後半戦に有利になる「チャンス」がある。そして、後半戦になるとマスコットの顔が描かれた早押しランプだった回答者の背後のセットがグルリと回転し、モニターと各回答者間を結ぶベルト状の電光表示が登場。正解すると他の回答者から賞品を横取りする争奪戦「1等をキャッチ」(google直訳)に変わる。この部分の細かいルールは不明。優勝者には済州島旅行がプレゼントされていたようである。出場者は基本的に主婦だが、時折夫が出場する大会も開かれていたとのこと。
…ということで、セットの作り(彩りはこちらの方が派手だった)、ルールをはじめ、出題の雰囲気(ハンターチャンスの時にまず問題をイメージしたイラストが表示されるところまで同じ)、映像のカット割りといった細部にわたってまで、まるで番組のマニアがいて監修したかのようなそっくりぶり。おまけに、現在は全国ネットワークを有するSBSであるが、地方系列局が開局したのは番組終了後(1995年5月)で、当時は同局の放送エリアであるソウル特別市·仁川広域市·京畿道でしか見られないローカル番組であることまで一緒であった。ちなみに1991年はまだ「100万円クイズハンター」も個人戦形式の終盤期で放送中である。相違点があるのは、
- ハンマーではなくクッション状のこん棒でボタンを叩く
- 正解や不正解のSEが電子音
- ジャンルや賞品の表示パネルがスライド映写機の集合体ではなくテレビモニター
- 解答席の得点表示がマグサインの7セグデジタル
- 前半で「チャンス」が出ると司会者がお約束のリアクションをする
- 前半戦が0点でも後半戦に参加できる
- 「チャンス」の獲得者に対しては後半開始時に紹介があるだけで特別仕様のこん棒には交換しない
- 奪う賞品が指定された際、モニター周囲の電飾はフラッシュせず、いきなり移動先の色に変わる
- 動物ではなく金剛像の子供のようなキャラクターがマスコット
など違うところを探す方があら探しになるレベルであった。なお、優勝者が挑戦するゲームは「クイズハンター」の箱選びとは異なり、2つの大きなサイコロを振り、番号の振られた6×6のマス目に何か所か設置された当たり目と同じ組み合わせを出せば旅行獲得という…これは「愛ラブチャ(ry。
ソウル放送開局当初の人気番組の一つとなり、高視聴率をマーク。当時は主婦層を目当てとし、逆転要素を多分に含んだ形式で豪華賞品の獲得を目指すスタイルは射幸心を煽るといった批判も出たというが、その後通貨危機等の時代の変遷によりこういったタイプのクイズ番組が減ったことで、懐かしむ声も当地のネット上には見られる(なお、視聴者参加型クイズ番組自体は現在も韓国の方が番組数は多い模様)。
「世界まる見え!~」が取り上げたのは「100万円クイズハンター」の終了後で、柳生に対して韓国のこの番組を見せて感想を聞いたところ、「率直に言ってものすごくうれしい、でもゴールデンハンマーを使ってくれたらもっとうれしい」とのことであった(良いと思われたからこそ真似をしたのだろうとの意と推測される)。ただ、柳生は感想を述べる前に「言っていいのかな…」と前置きしているほか、レポートの締めのナレーションの最後に「無許可で…」と述べられていたのでそこはお察しである。
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