山瀬まみとは、1969年10月2日生まれ・神奈川県出身・身長167cm・O型で、特徴的な声、つぶらな瞳とぷにっとした愛嬌のあるロリ顔をもつ元アイドル、現バラエティータレントである。ホリプロ所属。夫は俳優の中上雅巳。
出身は神奈川県平塚市としているが、生まれは埼玉県浦和市。長女で4歳下の弟がいる。
父が転勤族だったため、幼児期を東京都文京区大塚、埼玉県浦和市、東京都豊島区駒込、江東区亀戸、小学生時代を福島県いわき市、埼玉県上尾市、中学生時代を長野県松本市、秋田県秋田市でそれぞれ過ごす。中高時代にかけて何度も路上(原宿等)でスカウトマンから声を掛けられていたが、「所属するなら絶対信頼できる大手の事務所しかない」と思い一切断っていた。
1983年、幼少期からピンクレディーに憧れ、アイドルになりたいという夢を叶えるために、中学1年生の時に第8回ホリプロタレントスカウトキャラバンに応募したが書類選考で落選。
1984年、15歳の時に神奈川県平塚市に転居して以後は父の転勤生活が終わる。山瀬家が平塚市に定住したことからプロフィール上の出身地は平塚市とされている。
1985年、第10回ホリプロタレントスカウトキャラバンに応募。今回は書類審査を抜け、地方予選を勝ち抜き、決勝審査へ。関東地区代表として歌った曲は小泉今日子の「The Stardust Memory」。227点で優勝し、ホリプロスカウトキャラバングランプリ受賞。応募総数12万人の頂点に立つ。次点は中村由真214点、我妻佳代211点だった。
後日山瀬がホリプロの関係者に優勝の要因を尋ねたところ、「優勝は可愛いだけじゃ決まらない。決勝審査の前夜祭で新聞社やテレビ局関係者との質疑応答が良く、他の候補より群を抜いて喋りに長けていたから。」と言われた。その後、芸能活動のため神奈川県立神田高等学校から堀越高等学校へ転校。単身上京しホリプロの寮生活を始める。
1986年3月「メロンのためいき」でアイドル歌手としてデビューする。キャッチコピーは「国民のおもちゃ新発売」。「メロンのためいき」や「セシリア・Bの片想い」などのフリフリな衣装に見られるように、最初は正統派アイドル歌手路線を走ろうとするも、残念ながら歌手としては成功しなかった。
前年におニャン子クラブのような当時異色のアイドルが出現したり、バンドブームの到来によりゴールデンタイムの歌番組の終了が相次ぎ、正統派アイドルの露出の場が減少した厳しい時代であったからかもしれない。
第11回ホリプロスカウトキャラバンにおいて、優勝した伊藤美紀へ、前年度優勝者としてトロフィー授与役を務めたが、授与の瞬間に「一年間(事務所に)一生懸命やってもらったけど、この子が出たら私もう終わりね」と込み上げて大号泣。それを同年10月から始まる新番組「テレビ探偵団」(TBS)のプロデューサーが見ており、レギュラーに抜擢される。
このバラエティ番組への出演をきっかけに歌手活動は次第に縮小し、数年のうちに井森美幸、森口博子、松本明子らと同様、完全にバラドル路線に変更。以降数多くのバラエティ番組に出演し、今でこそポピュラーなバラエティーアイドルタレントの礎を築き、今に至る。
近年ではキンチョウリキッドのCMが強烈な印象を残しているが、イメージに反して歌唱力は非凡。ひとたびマイクを握ると普段の鼻にかかったハスキーボイスはどこへやら、別人のように澄んだ声に変わる。バラード系は鉄板。一聴しただけでは山瀬の歌声とは分からないレベルである。
またホリプロのおかげか、作詞作曲編曲を行ったソングライター陣が非常に豪華。バラドル転向の陰に有名にならなかった隠れた名曲がこれでもかと言わんばかりに揃っている。ちなみにあえて地声に近い歌声を聞ける曲をあげるとしたら奥田民生提供の「ゴォ!」。ニコニコ動画では「スターライト・セレナーデ」だけが有名になりすぎてしまっているが、山瀬まみの神曲はそれだけではないので、そこで立ち止まらずに、ぜひ他の曲も聞いていただきたい。
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最終更新:2024/05/23(木) 23:00
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