稲田直人(いなだ なおと)とは、
OB | |
---|---|
稲田直人 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県廿日市市 |
生年月日 | 1979年11月6日 |
身長 体重 |
176cm 76kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 2003年ドラフト5位 |
引退 | 2012年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
広陵高等学校では2年夏からレギュラーとなったが、甲子園大会の出場はなかった。
NKK(JFE西日本)では都市対抗野球大会のベスト8入りに貢献し、若獅子賞を受賞した。
2003年ドラフト5位で日本ハムファイターズに入団。背番号は54。ちなみに入団時は遊撃手で、ポスト金子誠の即戦力として期待されていた。
2006年は3年目にして一軍初出場を果たし、ホセ・マシーアス、飯山裕志と併用されながら、33試合に出場した。日本シリーズ第3戦ではスタメン出場を果たす。この日はテレビ朝日系列が中継をしていたが、1・2打席目ともにCM中に凡退、3打席目には代打を出されて途中交代。守備機会もほとんどなく、この試合では画面に映らなかった。これが稲田が「見えない」と言われる由縁となった。
2007年のクライマックスシリーズではファールフライをカメラマン席に飛び込んでのキャッチ等気迫あるプレーや、ヒーローインタビューでは「なまら最高じゃけんのぉ!」(※)とアピールした(※北海道弁の「なまら」(とても等の意味で使われる)と出身地の広島弁を合わせたもの)。
2008年は死球での負傷骨折もあったが、自己最多の99試合に出場した。
2009年は守備固めとして起用されたが、代打打率4割を記録していたため、左の代打としても起用された。
2009年オフ、横浜ベイスターズにトレードで移籍した。背番号は32。
2010年は、8月26日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮球場)において移籍後初打点を挙げるも、その翌日に登録抹消。22試合の出場に留まった。
2011年に背番号が32から00に変更された。この年は61試合に出場したが、オフに戦力外通告を受ける。その後、東北楽天ゴールデンイーグルスに入団した。
2012年は僅か2試合の出場にとどまり、オフに2年連続の戦力外通告を受け、現役を引退した。
試合では、三塁手または一塁手として起用されることが多いが、内野であればどこでもこなす。控えの時でもベンチから積極的に声だしを行い、チームを鼓舞するムードメーカー的存在だった。
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
日本ハム | 応援歌のピコカキコ一覧#1143 | 12836 |
通算:7年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 365 | 595 | 540 | 41 | 137 | 11 | 4 | 0 | 39 | 4 | 31 | 3 | 18 | 3 | 71 | 8 | .254 | .280 |
機構 | 守備位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 一塁手 | 125 | 418 | 20 | 3 | 39 | .993 |
二塁手 | 11 | 10 | 19 | 2 | 4 | .935 | |
三塁手 | 147 | 55 | 146 | 9 | 6 | .957 | |
遊撃手 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/05/14(火) 03:00
最終更新:2024/05/14(火) 03:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。