アグネスレディー 単語


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アグネスレディー

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アグネスレディーAgnes Lady)とは、1976年生まれの日本競走馬鹿毛

河内洋八大競走初制覇を贈り、「河内」とアグネス軍団の名血の礎となったオークス

な勝ち
1979年優駿牝馬八大競走
1980年京都記念()、朝日チャレンジカップ

概要

*リマンド、コマエイカンSallymountという血統。
イギリス重賞4勝を挙げた輸入種牡馬で、ダービーオペックホースオークステンモン、ミスターシービーライバルだったメジロモンスニーマックスビューティ牝馬三冠を阻んだタレンティドガールなどを送り出した。
は持込で、脚元が弱く勝ち上がった直後の条件戦骨折引退、9戦1勝に終わった。アグネスレディーは第4
1959年ジャック・ル・マロワ賞などの勝ち種牡馬としては1971年デンマークダービーGallant Fox1930年アメリカ三冠馬とは当然だが別の)を輩出しているらしい。

コマエイカン馬主が*リマンドの種付けを持っていたため、イコマエイカン産駒は9頭のうち7頭が*リマンドので、しかもこの配合は非常に相性が良く、初グレイトファイター小倉大賞典を勝ち、第2インリマンドは桜花賞2着、第3タマモリマンドは京阪杯を勝っている。そんな良血だったため、アグネスレディーは当時としては相当な高額となる1700万円という値がついたそうな。

1976年3月25日、三石町の折手牧場で誕生。オーナーは「アグネス冠名渡辺孝男。当時は「アグネス冠名を使い始めて2年であり、彼女アグネス軍団最初期のということになる。

※この記事では当時の表記に合わせ、馬齢を数え年(満年齢+1歳)で表記します。

令嬢は偉大な牝祖となる

3歳~4歳(1978年~1979年)

東の長浜三郎厩舎に入厩したアグネスレディーは、アグネス軍団最初の活躍アグネスホープ戦を務めていた久保敏文騎手を迎え、1978年10月8日京都・芝1200mの新馬戦デビュー。ここは2着に敗れたが、3週間後の同条件の折り返し新馬戦を3身半差で圧勝し勝ち上がる。

ただ渡辺オーナーは初戦の負け方が不満だったようで、この2週間後にアグネスホープ菊花賞を15着と惨敗したこともあってか、久保騎手ホープレディーも降となってしまう。
代わってアグネスレディーの上を任されることになったのは、長浜師の友である武田作十郎厩舎所属、当時デビュー5年の若手だった河内洋であった。河内騎手長浜師とオーナーの期待に応え、続く菊賞(400万下)でアグネスレディーを快勝に導き、以降引退まで手綱を取ることになる。

明けて4歳となり、当然ながらクラシックすことになったアグネスレディー。しかし初戦の賞(OP)を3着に敗れると、4歳S(OP)5着、トライアル阪神4歳牝馬特別(現:フィリーズレビュー)も後の桜花賞2着シーバードパークの3着と3連敗。本番の桜花賞ではそのシーバードパークに次ぐ2番人気に支持されたものの、不良馬場に苦しみ、後方から追い込んだものの、15番人気ホースメンテスコの逃げ切りから10身以上離された6着に敗れた。

ここまでのアグネスレディーは重賞勝利の2勝なので、オークスの権利を取りにトライアル4歳牝馬特別(東)(現:フローラS)に向かい、シルクスキーの2着に入って事優先出走権をゲットした。

というわけで迎えた優駿牝馬トライアルを勝ったシルクスキー骨折で回避、桜花賞ホースメンテスコは実況杉本清アナが「逃げ切ってしまいました」と言うぐらいに不良馬場による全なフロック視されていた(最終的に6番人気)こともあり大混戦ムードとなった結果、なんと重賞勝利のアグネスレディーが単勝4.6倍の1番人気に支持される。2番人気が前述のシーバードパークで、3~5番人気重賞勝利なので、まあ本当に本命不在の中で押し出された1番人気という感じであった。
レース本番、515番からスタートしたアグネスレディーと河内洋は、2番人気シーバードパークや3番人気クセミドリを前に見ながら前の外、好位置につけた。そのままスムーズに4で進出したアグネスレディーは、河内洋が手綱を持ったままで直線入口、あっさりと先頭に抜け出す。残り400から河内騎手が追い出すとぐんぐん脚を伸ばし、後続を全く寄せ付けないまま々と押し切って、2着ナカミサファイヤに2身半差をつける勝。混戦を断ち切り、見事に重賞初制覇をオークスで飾った。
デビュー6年河内洋騎手はもちろんのこと、長浜師も渡辺オーナーも、*リマンド産駒もまとめて嬉しい八大競走初制覇。3年前に6着に敗れたインリマンドの辱を果たし、良血を明する勝利となった。

は果敢に相手の神戸新聞杯(この年は中開催)から始動、皐月賞3着・ダービー5着で高松宮杯を勝った実績ネーハイジェットに5身半ちぎられたものの3着。続いて京都牝馬特別で古と初対戦したが、2年前の二冠牝馬インターグロリアに貫を見せつけられての5着に敗れる。
それでも迎えたラスト一冠・エリザベス女王杯では1番人気に支持され、直線で抜け出し押し切りを図ったものの、2番人気ミスカブラヤ(カブラヤオーの全)の末脚に屈して1身半差の2着。

年内ラスト阪神牝馬特別に向かいシルクスキーの4着に敗れたが、オークス勝利エリザベス女王杯2着という成績が評価され、この年の優駿賞(現:JRA賞)最優秀4歳を受賞した。

5歳(1980年)

明けて5歳、果敢に相手の重賞に挑み、まずは日経新春杯から始動。10頭立ての9番人気という低評価に留まったが、勝ったメジロトランザムからは6身離されたものの3着に好走。
続く中開催の京都記念()ではそのメジロトランザムに次ぐ6.2倍の2番人気に支持されると、直線でメジロトランザムとの熾叩き合いをハナ差制しリベンジ達成。を蹴散らして重賞2勝を挙げる。

3月阪神オープン(芝1800m)をテルテンリュウの2着としたあと、中開催の宝塚記念に挑戦したが、ここも不良馬場に脚を取られ、あえなく最下位15着に撃沈。

夏休みを挟み、9月朝日チャレンジカップで復帰したアグネスレディー。9.4倍の5番人気という評価だったが、中団外からレースを進めたアグネスレディーは4も外を回して進出すると、直線で鋭く末脚を伸ばして上位人気勢を薙ぎ払い快勝。杉本清アナ「うわーアグネスレディーこれは強い!」実況する強い内容で重賞3勝を挙げた。

……のだが、このときの表台に渡辺オーナーの姿はなかった。オーナーがどこに行っていたかというと、アグネスレディーに対して78年のリーディングサイアーMill Reefの種付け権利を得るために渡していたのである。事に交渉はまとまりMill Reefを種付けできることになったため、この勝利にアグネスレディーは引退、繁殖入りが決定。12月京都競馬場引退式が行われ、ターフに別れを告げた。

通算18戦5勝 [5-4-4-5]。生涯で掲示板を外したのは桜花賞宝塚記念の2回だけで、引退まで堅実な走りを続けて相手に中距離重賞を2勝と、当時としてはなかなかの女傑であった。

引退後

引退したアグネスレディーはイギリスに渡ってMill Reefを種付けし、その後故郷の折手牧場に戻って繁殖生活を送ることになった。
その初年度産駒ミルグロリーはデビュー直前に競走力喪失の骨折を負ってしまい不出走で種牡馬入りすることになるなど、産駒は期待されながらもなかなか結果を出せなかったが、6番アグネスフローラ敗で1990年桜花賞を制し、2代クラシック制覇を達成。
さらにフローラとしてダービーアグネスフライト皐月賞アグネスタキオンを送り出し、アグネスレディーの牝系アグネス軍団の中核を担う名牝系となった。河内洋騎手フローラとその息子たちも戦を務め、「この血統は本当に騎手としての核になる部分を形成している」と語っている。
またタキオン種牡馬としてダイワスカーレットディープスカイなどクラシックホース3頭を送り出し、クラシック4代制覇まで繋げている。5代制覇はちょっと理そうだが……。

……ただ、孝行アグネスフローラが繁殖生活を送ったのは生まれ故郷の折手牧場ではなく、下の社台ファームだった。なんでも吉田照哉代表が渡辺オーナーに直談判し、渡辺オーナーがその熱意に動かされたのだそうである。
そしてフローラと同様、アグネスレディーも1993年より、折手牧場から社台ファームへと移動することになった。ところがアグネスレディーはそれをものすごく嫌がった。よほど折手牧場から離れがたかったのか、社台のに乗るのを拒否して大暴れ。結局、折手牧場に乗せられて社台ファームに移送された。
しかしそれからほどなく、折手牧場に届いたのはアグネスレディーの訃報だった。社台のの中で暴れ、背骨折したのだという。社台ではをなすことなく、アグネスレディーは天国へと旅立っていった。18歳だった。

レディーの死後、渡辺オーナーの活躍は社台ファームのが中心となり、折手牧場とは疎遠になってしまった。基幹となるような名を2頭も社台に取られてしまった折手牧場だが、現在もイコマエイカンの血を引く繁殖牝馬牧場に残っている。

渡辺オーナー2014年に死去。現在アグネス軍団がごく細々と続けているだけになってしまったが、アグネスレディーの牝系自体は現在も繋がっており、2019年ラジオNIKKEI賞を勝ったブレイキングドーン、2023年カペラSを勝ったテイエムトッキュウなど、令和になってもちょくちょく活躍が誕生している。

血統表

*リマンド
1965 栗毛
Alcide
1955 鹿毛
Alycidon Donatello
Aurora
Chenille King Salmon
Sweet Aloe
Admonish
1958 芦毛
Palestine Fair Trial
Una
Warning Chanteur
Vertencia
コマエイカン
1967 鹿毛
FNo.1-l
Sallymount
1956 栗毛
Tudor Minstrel Owen Tudor
Sansonnet
Queen of Shiraz Bahram
Qurrat-al-Ain
*ヘザーランズ
1957 鹿毛
Tenerani Bellini
Tofanella
Dark Brocade Le Ksar
Light Brocade

クロスHyperion 5×5(6.25%)、Lady Juror 5×5(6.25%)

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残念ながらニコニコには最下位の宝塚記念しか動画がないのでオークスexit朝日CCexitYouTubeで見てください。

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