エミリアーノ・マルティネス(Damián Emiliano Martínez Romero, 1992年9月2日 - )とは、アルゼンチン出身のサッカー選手である。
イングランド・プレミアリーグのアストン・ヴィラFC所属。サッカーアルゼンチン代表。
アルゼンチン・ブエノスアイレス州マル・デル・プラタ出身。フルネームはダミアン・エミリアーノ・マルティネス・ロメロ。愛称は「ディブ」。日本のサッカーファンからは「エミマル」と呼ばれている。
2020年代に入ってアルゼンチン代表の正GKに定着すると、2021年と2024年のコパ・アメリカ連覇、2022 FIFAワールドカップで優勝と相次いでビッグタイトル獲得に貢献。さらにその両大会で最優秀ゴールキーパー賞に選出されており、2022年には最優秀FIFAゴールキーパーにも選ばれ、2023年にはヤシン・トロフィーを受賞。世界的なGKの仲間入りを果たしている。
クラブキャリアでは若くしてアーセナルFCに引き抜かれたものの、出場機会がなかなか訪れず、長らく様々なクラブをレンタルでたらし回しされている。2020年にアストン・ヴィラへ移籍し、ようやくプレミアリーグで定位置を掴むことができた。また、貧しい家庭で生まれ育ち、サッカーに必要な用具を買いそろえることが困難だったという苦労人である。
一方で2022 FIFAワールドカップ決勝後の不適切な行為の連発、相手選手を侮辱したり、挑発するなど言動がたびたび炎上する問題児としても知られている。また、PKの際には体をくねくねさせて相手を煽る行為で知られている。とはいえ、サイコパスのようなメンタルの強さはプレーに反映されており、PK戦においては異常なまでの強さを発揮する。
ブエノスアイレス州マル・デル・プラタで1992年に誕生。兄を含めた4人家族で父親は湾岸労働者、母親は清掃婦だった。両親は兄弟を養うために懸命に働いたものの、家庭は貧しく、サッカーに必要なスパイクやウェアを買う経済的余裕がないこともあり、幼くして「両親にどれほど負担をかけているか」を目の当たりにしていた。父親は「試合に行く金がないこともあり、子供の頃の彼をスタジアムに連れていけないこともあった。金があれば、もう少し肉を買ったり、電気代やガス代を支払った方がよかったから。」と話している。
小さい頃からフットサルが好きだったが、当時兄から「おまえゴールキーパーな」と言われたことがきっかけでGKを始める。その後、他のポジションをやろうという気持ちが起こらないほどGKとしてシュートを止めることに夢中になっていた。
12歳となった2004年にCAインデペンディエンテの下部組織に入団。頭角を現すようになりU-17アルゼンチン代表に選出されると、2009年の南米U-17選手権での活躍がスカウトの目にとまり、アーセナルFCのトライアウトを受ける。当初はアーセナルへは行かずにインデペンディエンテと契約を延長するつもりだったが、予想外にアーセナルから入団オファーが来る。迷いに迷うことになるが、最終的に貧しい家庭を支えるために18歳での渡英を決断する。
2010年7月、労働許可証の発行が認められ、イングランド・プレミアリーグのアーセナルFCと正式に契約を交わす。最初はユース契約としてスタートするが、2年後の2012年にはプロ契約を結ぶ。
しかし、トップチームではなかなか試合に出場することができず、5月に実質4部リーグであるEFLリーグ2のオックスフォード・ユナイテッドFCへローンで加入。それでも試合に出場できたのはリーグ戦1試合のみだった。
2012-13シーズンにアーセナルに復帰。しかし当時のアーセナルはウカシュ・ファビアンスキ、ヴォイチェフ・シュチェスニーが在籍していたため第3GKという立場で、ベンチ入りすらままならない状況にあった。2012年9月26日のEFLカップ3回戦のコベントリー・シティ戦でアーセナルでの公式戦デビューを果たし、続く4回戦のレディング戦でも出場機会が訪れるが、この試合で5失点したこともあり、試合に出場したのはこの2試合のみとなった。
2013-14シーズンはEFLチャンピオンシップのシェフィールド・ウェンズデイに再びレンタル移籍する。定位置確保とまでは至らなかったものの、公式戦15試合でゴールを守る。
2014-15シーズンにアーセナルに復帰。2014年10月22日のUEFAチャンピオンズリーグ グループステージ第3節アンデルレヒト戦でゴールを任され、CLデビューを果たす。その後11月22日のホームでのマンチェスター・ユナイテッド戦で負傷したシュチェスニーに代わって途中からゴールを守り、プレミアリーグデビューを果たす。このとき第2GKだったダビド・オスピナも負傷したことから、プレミアリーグとCLで合計6試合に出場。特に、11月26日のCL第5節ボルシア・ドルトムント戦では完封勝利に貢献し、UEFA選出による週間最優秀選手に選ばれる。シュチェスニーとオスピナが復帰してからは再び第3GKに戻るが、2015年3月20日にチャンピオンシップのロザラム・ユナイテッドに緊急のレンタル移籍。8試合に出場する。
2015-16シーズンはチェルシーFCからペトル・チェフが加入したこともあり、チャンピオンシップのウルヴァーハンプトン・ワンダラーズへレンタル移籍する。加入後すぐに正GKの座を掴み、シーズン序盤の15試合に出場するが、大腿部の負傷により数か月の離脱を余儀なくされると、復帰後もレギュラーを取り戻すことはできず、一度も出場機会は訪れなかった。
2016-17シーズンはアーセナルで1年間過ごすことになるが、チェフとオスピナの牙城を崩すことはできず、プレミアリーグ2試合に出場したが、第3GKという立場を脱することはできなかった。
2017-18シーズンは初めてイングランドを離れ、スペイン ラ・リーガのヘタフェCFにレンタル移籍する。しかし、ホセ・ボルダラス監督からの信頼を得ることはできず、ラ・リーガ5試合、公式戦7試合の出場にとどまり、レンタル期間は終了。後にヘタフェ移籍を最悪だったと語っている。
2018-19シーズンはアーセナルに戻ったが出場機会は訪れず、2018年1月23日にチャンピオンシップのレディングFCへレンタル移籍。加入後、ポジションを掴むとアストン・ヴィラ戦でMOMを受賞するなど活躍する。
2019-20シーズンはペトル・チェフが引退したこともあってアーセナルに残留。新加入のベルトン・レノの控えという立場ではあったが、国内カップ戦やUEFAヨーロッパリーグではゴールを任されていた。新型コロナウィルスによる中断期間が空けた2020年6月20日にレノが負傷によって長期離脱。これによってプレミアリーグでもゴールを守るようになると、ハイパフォーマンスを披露。ビルドアップ能力ではむしろレノを上回っており、最後の9試合を8失点に抑えている。8月1日のチェルシーFC戦でもビッグセーブを披露するなどゴールを守り、アーセナルのタイトル獲得に貢献。優勝セレモニーでトロフィーを掲げた後、歓喜で涙を流す一幕もあった。シーズン終盤の活躍は印象深く、レノの復帰後もマルティネスにゴールを任せるべきだという意見も多く、アーセナルの正GK論争が起こる程になっていた。
正GKとしての活躍が期待された2020-21シーズンだったが、ミケル・アルテタ監督との話し合いで正GKの確約を得られなかった。8月29日のFAコミュニティシールドのリヴァプールFC戦でPK戦の末に勝利し、タイトルを獲得したのを最後に実に11年間を過ごしたアーセナルに別れを告げる。
2020年9月16日、プレミアリーグのアストン・ヴィラFCへの完全移籍が発表される。契約期間は4年。加入してすぐのリーグ開幕戦シェフィールド・ユナイテッド戦に早速スタメンで起用されると、PKストップなど印象に残る活躍を披露し、完封勝利に貢献。これによってディーン・スミス監督からの信頼を得ると、長らく戦列を離れていたイングランド代表のトム・ヒートンからポジションを奪い、正GKの座を射止める。自身のキャリアで初となるリーグ戦全38試合に出場し、シュートセーブ数3位(15本)、防いだゴール数では2位(9.71点)、さらに、ブラッド・フリーデルが記録した数字に並び、クラブタイのシーズン15クリーンシートを記録。ヴィラサポーターの選ぶ2020-21シーズン最優秀選手にも選出される。
2021-22シーズンも引き続き正GKとしてプレー。この年はエースだったジャック・グリーリッシュが退団したこともあってチームは開幕11試合でわずか2勝と低迷。シーズン途中にスティーブン・ジェラードが監督に就任してもマルティネスの立場は揺らぐことはなかったが、最終的に14位と苦しいシーズンとなる。
2022-23シーズンはチームの副キャプテンに就任するが、この年もヴィラは開幕から低迷し、降格圏まで沈む苦しいスタートとなる。2022年10月にはジェラード監督が解任となり、ウナイ・エメリが監督に就任。12月に2022 FIFAワールドカップで優勝し、そのときの卑猥なパフォーマンスやキリアン・エムバペを侮辱した一連の言動に対してエメリ監督から苦言を呈されることになる。ワールドカップ後、チームへの合流が遅れ、復帰後は正GKに戻るがしばらくは不安定なパフォーマンスとなり、2024年2月23日の第18節古巣アーセナル戦では1点ビハインドで試合終盤のCKの場面で攻撃に参加し、カウンターからゴールを奪われる。このことからエメリ監督からまたも苦言を呈されることに。しかしその後は復調すると、エメリ監督のもとで見事に生まれ変わったチームのUEFAヨーロッパカンファレンスリーグ出場権獲得に貢献。2023年4月1日のプレミアリーグ第29節チェルシーFC戦ではアストン・ヴィラでの100試合出場を達成し、同時にクラブ史上最速の100試合での34クリーンシートを達成している。
2023-24シーズンは前年後半以上の快進撃を見せるヴィラの最後の砦として君臨。強気なプレーと最高峰から積極的に声を出し、好調のチームを鼓舞する。2023年12月6日のプレミアリーグ第15節マンチェスター・シティ戦では、アーリング・ハーランドの二度の決定機を防ぐなどビッグ―セブを連発。三冠王者相手の完封勝利に大きく貢献する。2024年4月18日、UEFAカンファレンスリーグ準々決勝のLOSCリール戦ではPK戦で2本のPKをストップし、準決勝進出に貢献。プレミアリーグでは34試合でゴールを守り、守護神としてアストン・ヴィラの躍進を支え、41年ぶりとなるUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献する。
2024年7月21日、アストン・ヴィラとの契約を2029年夏まで延長。2024-25シーズンからは自らの希望によって背番号を代表と同じ「23」に変更する。
2009年にU-17アルゼンチン代表に選出され、2009 U-17南米選手権では印象に残るパフォーマンスで準優勝に貢献し、アーセナル移籍へと繋がる。その後はU-20代表にも選出されていた。
2011年6月の親善試合で負傷したオスカル・ウスタリの代役としてフル代表に初めて招集されている。それから8年後の2019年10月にも召集されるが、出場機会は訪れなかった。
2021年6月、三度目の代表招集を受けると、6月3日の2022 FIFAワールドカプ南米予選のチリ戦でゴールを任される。実に初招集から10年越しのアルゼンチン代表デビューとなった。その直後に開催されたコパ・アメリカ2021でもレギュラーを掴み続けると、コロンビアとの準決勝ではPK戦で3本をセーブする大活躍を見せる。なお、このPK戦でコロンビアの選手を煽りまくって主審から注意されるなど、悪童ぶりを発揮している。決勝ではネイマールを擁するブラジルをクリーンシートに抑え、アルゼンチン代表の28年ぶりのタイトル獲得の立役者となる。さらに、この大会の最優秀GKに贈られるゴールデン・グラブ賞も受賞。この大会以降、代表の正GKに定着する。
2022年6月1日、イングランドのウェンブリーで開催された欧州王者イタリアとのフィナリッシマ2022でも完封勝利に貢献し、代表での2つ目のタイトルを獲得。
2022年11月から開催された2022 FIFAワールドカップ カタール大会でも全試合にフル出場。初戦のサウジアラビア戦では2失点を許し、大金星を献上するが、その後の2試合は連続完封。PK戦までもつれ込んだ準々決勝のオランダ戦では、フィルジル・ファン・ダイクとステフェン・ベルハイスのキックを連続ストップし、ベスト4進出に貢献。歴史的な大激闘となった決勝のフランス戦では、キリアン・エムバペにハットトリックを許したものの、延長戦終了間際のランダル・コロ・ムアニの決定的なシュートを左足1本で防ぐスーパーセーブによってアルゼンチンを救う。そして得意のPK戦では、キングスレイ・コマンのキックを完全に読み切ったうえでストップ。このPK戦はクネクネダンスや相手を煽り過ぎてイエローカードを貰うなど完全に「エミマル劇場」と化していた。PK戦を制したアルゼンチンは36年ぶり3回目のワールドカップ優勝を達成。立役者となったマルティネスは、アルゼンチン人として初の大会最優秀ゴールキーパーに送られるゴールデングローブ賞に選出される。また、この大会の活躍が決め手となり、2023年のヤシン・トロフィを受賞。
2024年6月にアメリカで開催されたコパ・アメリカ2024でもアルゼンチン代表の正キーパーを務め、PK戦に突入した準々決勝のエクアドル戦ではエースのメッシが失敗するという大ピンチの直後、2本連続でPKをストップするという脅威の活躍で流れを引き寄せ、準決勝進出に大きく貢献。大会では全6試合でゴールを守り、失点わずか2、準決勝と決勝はいずれも完封と無類の安定感を発揮。コパ・アメリカ連覇に貢献し、これで代表正キーパーに定着してから3大会連続でビッグトーナメントを制覇。さらに2大会連続でゴールデングローブ賞を受賞。
2024年9月27日、コパ・アメリカ2024の優勝トロフィを股間に当てたこととW杯南米予選のコロンビア戦でカメラマンが持つカメラをキーパーグローブで殴った行為が問題視され、FIFAからW杯予選2試合の出場停止処分を受ける。
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2011-12 | アーセナル | プレミアリーグ | 0 | 0 | |
オックスフォード(loan) | EFLリーグ2 | 1 | 0 | ||
2012-13 | アーセナル | プレミアリーグ | 0 | 0 | |
2013-14 | アーセナル | プレミアリーグ | 0 | 0 | |
シェフィールド・ウェンズデイ(loan) | EFLチャンピオンシップ | 11 | 0 | ||
2014-15 | アーセナル | プレミアリーグ | 4 | 0 | |
ロザラム・ユナイテッド(loan) | EFLチャンピオンシップ | 8 | 0 | ||
2015-16 | アーセナル | プレミアリーグ | 0 | 0 | |
ウルヴァーハンプトン(loan) | EFLチャンピオンシップ | 13 | 0 | ||
2016-17 | アーセナル | プレミアリーグ | 2 | 0 | |
2017-18 | アーセナル | プレミアリーグ | 0 | 0 | |
ヘタフェ(loan) | ラ・リーガ | 5 | 0 | ||
2018-19 | アーセナル | プレミアリーグ | 0 | 0 | |
レディング(loan) | EFLチャンピオンシップ | 18 | 0 | ||
2019-20 | アーセナル | プレミアリーグ | 9 | 0 | |
2020-21 | アーセナル | プレミアリーグ | 0 | 0 | |
アストン・ヴィラ | プレミアリーグ | 38 | 0 | ||
2021-22 | アストン・ヴィラ | プレミアリーグ | 36 | 0 | |
2022-23 | アストン・ヴィラ | プレミアリーグ | 26 | 0 | |
2023-24 | アストン・ヴィラ | プレミアリーグ | 34 | 0 | |
2024-25 | アストン・ヴィラ | プレミアリーグ |
195cm85kgというGKとして申し分のない恵まれた体格の持ち主で、長い手足、強靭なフィジカルを持つショットストッパー。安定感の欠如を指摘された時期もあったが、トップリーグでレギュラーポジションを掴んでからは毎試合見事なプレーを続けている。
抜群の反射神経と判断の良い飛び出しでゴールを守るだけでなく、空中戦でも強さを誇る。足元の技術も大きな武器。ボールを持つ際にも焦らず、冷静に見方の位置を確認することが可能で、長短のパスを織り交ぜながらビルドアップで大きな役割を果たしている。
シュートストップに関してはもちろん反応とアジリティという身体的に突出しているのも大きいが、相手の事をしっかりと観察しており、シュートコースを読み切ったうえでビッグセーブを連発している。メンタルも強く、大舞台でも動じることなく自分のペースでプレーでき、強気で声を張り上げてチームメイトを鼓舞し続け、積極的にコーチングもおこなっている。
コパ・アメリカや2022 FIFAワールドカップでPK戦での無類の強さは有名になったが、心理的戦術やゲームマンシップを利用して相手のペナルティーテイカーの注意をそらし、威嚇したり、わざと怒らせて失敗を誘発させている。一方でマルティネスのペナルティに対するアプローチは、スポーツマンシップに欠けているとして批判を集めている。
2022 FIFAワールドカップ優勝後のセレモニーでゴールデングローブを受賞した際、トロフィを股間に充てて男性器を思わせるようなパフォーマンスを披露して批判を受ける。なお、このパフォーマンスを隣で見ていたカタールの要人の冷ややかな視線とセットで見ると何とも言えないシュールさがある。ちなみに、この1年前のコパ・アメリカで最優秀GKを受賞したときも同じようなことをやっている。
さらには優勝後のロッカールームでは「エムバペは死んだ」とキリアン・エムバペを侮辱するチャントを歌い始める。流石にこれはやり過ぎだと主将のリオネル・メッシからたしなめられている。
にも関わらず、母国での優勝パレードではエムバペに見立てた人形におむつを履かせ、サポーターに見せびらかし、これでもかという程エムバペを侮辱。これにはフランスのファンはもちろん、母国アルゼンチンですら「代表から追放しろ」という非難の声が寄せられた。
これらの一連の行動について、本人は全く反省しておらず、「フランス人のブーイングが酷かったからそうしたんだ。傲慢な態度に我慢ができなかった」と語っている。何はともあれ、サッカー界の新たな悪童として世界中に認識されることになった。
2023年にフランスでヤシン・トロフィの受賞を受けた際は、当然ブーイングを浴びていた。
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最終更新:2024/11/30(土) 01:00
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