セントクリストファー・ネイビス 単語


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セントクリストファーネイビス

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基本データ
正式名称 セントクリストファー・ネイビス連邦
Federation of Saint Christopher and Nevis
国旗
国歌 おお美しきよ!
公用語 英語
首都 バセテール(Basseterre)
面積 262km²(界第188位)
人口(’23) 約4万7千人(世界212位)
通貨 東カリブ・ドル(XEC, EC$

セントクリストファー・ネイビスFederation of Saint Christopher and Nevis)とは、中米カリブに浮かぶ西インドに属する小アンティル諸内にあるセントクリストファーとネイビスからなる立である。
セントキッツ・ネービス(Saint Kitts and Nevis)という通称が広く用いられており、同政府も通称を正式名称の一つであるとしている(後述)。

インターネット普及率86.96%世界第二位2004年ITU調べ)という驚異的な数字叩き出した知られざるITである。そのためか、海外の反応シリーズの一部動画でやたらと日本アニメに詳しかったりする。

概要

土であるクリストファーとネイビスは1493年にコロンブスが上陸した際に名づけられた。欧州からの本格的な入植があった1624年以後、イギリスフランスが領有権を巡って対立したが、ヴェルサイユ条約で領が確定し、イギリス自治領を経て1983年9月19日独立を果たした。

徴的国家元首に英国王を戴く国連邦の一であり、イギリス連邦の加盟である。また、カリブ共同体(CARICOM)と東カリブ諸機構(OECS)に加盟している。外交姿勢は親米の穏健路線。台湾承認でもある。
地域安全保障システムに参加しており、独自の軍隊は持っていない。日本大使館は設置されておらず、在トリニダード・トバゴ大使館が同を兼轄している。

植民地時代はサトウキビ栽培が要産業の農業だったが、ハリケーン被害砂糖価格の変動により利益が出なくなり、2005年7月をもって砂糖の生産を中止した。
現在観光砂糖以外の農産品、オフショア金融の振に努めている。また、電気機械の組み立てでアメリカ合衆国との取り引きが多い。
2001年米国同時多発テロで一時は観光業が減少したものの、堅強な経済成長と低い失業率を維持している。

世界遺産「ブリムストーン・ヒル要塞」

セントクリストファー首都から北の海岸線に沿った丘陵地にあるブリムストーン・ヒル硫黄の丘)要塞は17世紀から18世紀にかけて建設され、当時のイギリスの西インド攻略拠点地として「西インドジブラルタル」と呼ばれた。
1782年のフランス軍の侵攻では戦地となった。
イギリス覇権確立した19世紀にハリケーン被害を受けそのまま放棄されていたが、1965年国立公園なったことで修復された。現在ブリムストーン・ヒル要塞国立公園としてユネスコ世界遺産に登録されている。

島名の由来

セントクリストファー島(セントキッツ島)

アジアへの西航路を探索していたクリストファーコロンブスが1493年11月12日に発見、上陸した。自身の名前の由来であるクリストファー名にしたのが始まり。

クリストファー(人名)の愛称がキッツであることから、セントキッツの通称で呼ばれるようになった。また、民はキティシャンとも呼ばれる。

ネイビス島

コロンブスらがを見た時、最高峰の山の頂がで覆われており、それをと勘違いしたことからを意味するスペイン語のニエベ(Nieve)を捩ってネイビスと名づけられた。民はニビシャンとも呼ばれる。

地理

カリブの西インドに属する小アンティル諸内のリーワードに位置する小さな。セントクリストファー(セントキッツ)とネイビスの2からなり、総面積高知県高知市とほぼ同じである。どちらも火山であり、山岳地帯には標高1000m前後の休火山がある。の周囲は珊瑚礁が多い。両とも地のほとんどが植民地時代に開墾されサトウキビになっている。

歴史

西暦 出来事
1493年 クリストファーコロンブスを発見、上陸する。
1624 英国貴族トーマスワーナー卿の入植者団がセントキッツに本格的な入植を開始。
1625年 フランスの入植者団が入植開始。以後、両者の対立が続く。入植者たちによって先住民虐殺されどいなくなる。
1627年 入植者が中央、入植者が北部と南部とする分割条約が締結される。
1628年 入植者がネイビスにも入植する。
1664年~ イギリスフランスの間でセントキッツの争奪戦が化する。
1713年 ユトレヒト条約でイギリスの領有権が確定する。
1782年 フランスがセントキッツに侵攻。戦の末、フランス勝利する。
1783年 ヴェルサイユ条約でイギリスに返還される。
1861年~ セントキッツ、ネイビス、近隣のアンギラが一つの植民地として管理されるようになる。
1932年 セントキッツ・ネイビス・アンギラ労働党(SKNLP)が独立キャンペーンを行う。
1956年 セントキッツ、ネイビス、アンギラが別々の植民地になる。
1958年 イギリス領西インド連邦に加盟。
1967年 セントキッツ・ネイビス・アンギラとしてイギリス自治領になる。アンギラがこの組みに反対し、単独で独立宣言した。
1969年 アンギラ政府がアンギラ共和の成立を宣言する。ただし、派遣されたイギリス武装警官隊に血投降し植民地統治下に復帰。
1980年 アンギラがセントキッツ・ネイビスから分離。アンギラ自治領になる。
1983年 セントキッツとネイビスがセントクリストファー・ネイビスとしてイギリスから独立
1989年 ハリケーン「ヒューゴ」により深刻な被害が出る。
1998年 ネイビスの分離独立を問う住民投票。賛成票数が2/3に僅かに届かず分離は否決される。

モーフィアス・グロクスター事件(米国P2P規制裁判)

2001年P2PソフトMorpheusKaZaAGroksterに対して映画業協会・全レコード協会が起こした著作権裁判のこと。被告になったグロスター社(Grokster)は、クリストファー・ネイビスに本拠を置くソフトウェア企業であった。

当初、連邦地裁は2度にわたりP2Pソフトのそのものに違法性はネットワーク上で発生する著作権に対しサービス運営企業責任を負わないとする判決を出していたのだが、2005年最高裁で「P2Pソフト製作側にもユーザーの違法行為に対する法的責任がある」とする映画レコード会社が勝訴した。

この判決によりP2P企業著作権を侵するファイルの交換の責任を問われることになり、P2Pソフトの配布と運用の停止が相次いだ。なお、グロスター社は現在閉鎖されている。

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