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ロングエース

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 こうした強い世代のダービーを勝つには、最後の力くらべに勝ち抜いた数頭の中で、更にまだ普通サラブレッドにはないような底力を発揮しなければならない。それはもう競馬というにはあまりにもしすぎる生命の燃焼である。コダマもロングエースもそんなダービーに勝った。そして確かに競走馬としての生命を燃焼しつくした。コダマやロングエースにの活躍を期待することが酷であると思えるのである。
 ロングエースのダービー
 あれは確かにそんなレースだった。

――山野浩一『続 栄の名(PARTII) ターフに生きた名血・24頭』

ロングエースLong Ace)とは、1969年生まれの日本競走馬黒鹿毛

「デカダービーに勝てない」というジンクスを打ち破って「七夕ダービー」で武邦彦ダービーを贈り、日本初の白毛ともなった、「花の47年組」の三強の一を担った「重戦車」。

な勝ち
1972年東京優駿(八大競走)弥生賞

概要

*ハードドンウインジェスト、*ティエポロという血統。
1958年2000ギニーと英ダービーの勝ちアイルランド種牡馬入り後、持込ハードイツトの活躍などで日本輸入され、ロングエースの他にオークスリニアイン、中長距離重賞3勝、皐月賞春天2着などの活躍をしたロングホークなどを輩出した。ロングエースはその輸入初年度産駒の1頭。
は21戦5勝、1965年の三歳特別でハードイツトを下している。ロングエースは第2
1958年イタリアセントレジャーなどの勝ちで、イタリアセントレジャーの勝ち、半2頭もイタリアセントレジャーを勝っているというイタリアの良血種牡馬としては地方重賞1頭と全然ダメだったがとして優秀で、ロングエースらウインジェスト3兄弟の他にもタニノムーティエタニノチカラ兄弟などを輩出した。
1歳上の半阪神3歳Sなど重賞5勝を挙げたロングワン*サウンドトラック)、3歳下の半ダービー菊花賞2着でスワンSを勝ったロングアスト(*フォルティノ)がいる。

1969年4月2日浦河町岡崎牧場で誕生。オーナーは「ロング冠名を用いた中井長一。
当歳の頃から立格をしていたが、牧場ではそれ以外に特に立つところのないだったという。

※この記事では馬齢表記は当時のもの(数え年、現表記+1歳)を使用します。

世代のエースは俺だ

デビュー~弥生賞:世代のエースを目指して

ロングワンと同じく、東・松田太郎厩舎に預けられたロングエースだったが、入厩当初の評判は全くもって芳しくなかった。3歳から大活躍していたロングワンということで期待されていたが、調教でももっさりとした走りで、小柄なに対して格ばかり大きいロングエースは「ウドの大木」と言われていたという。
しかも3歳時に放してコンクリートで転倒し怪を負ってしまい、デビューも遅れることになってしまう。

しかし調教でなかなか走らないのは、非常に頑固でマイペースな性格だから、ということに松田師が気付き、の気分に合わせてやるようにすると、ロングエースはみるみるその素質を開させ始める。
営の期待も高まり、4歳となった1972年1月29日京都・芝1400mの新馬戦にて武邦彦上にデビュー。このとき既に体重512kgという雄大格で、以後も500kgを下回ることはなかった。4番人気だったが、楽々と先行抜け出しで2身半差の快勝。以降1戦を除いて武邦彦が騎乗することになる。

続いて中ヒヤシンス賞(200万下)、フリージア400万下)と条件戦を楽勝したロングエースは、クラシックし、弥生賞に出走するため関東へ乗りこんだ。
この年の中央競馬は前年末からのインフルエンザの流行で東京中山競馬が開催できなくなったため日程がしっちゃかめっちゃかになっており、京成杯は例年より2ヶ遅れの3月19日弥生賞4月23日スプリングS5月7日、同じ日に福島東京4歳ステークス(現:共同通信杯)、そして皐月賞が例年より1ヶ以上遅い5月28日である。
しかも今度は厩務員ストまで重なり、弥生賞5月14日に延期。仕方ないのでロングエースら弥生賞予定だった面々は、4月29日の4歳オープンに出走することになった。

ここでロングエースはクラシックを争うライバル2頭と初めて顔を合わせる。この年の関西大将とみられていたのは、阪神3歳Sきさらぎ賞京成杯と勝っていたヒデハヤテだったのだが、京成杯人気薄からその2着に入り評価を高めていたのが、サラ系の名血ミラの子孫ランドプリンス。そしてもう1頭が初勝利から4連勝と勢いに乗る関東シノヒカルである。
この日は天皇賞(春)が開催予定で、武邦彦はそちらに騎乗予定だったためランドエースには嶋田功代打騎乗したのだが、ストので結局天皇賞(春)も延期。武邦彦はこのレーステレビ観戦することになった。

ともあれランドプリンス・イシノヒカル人気を分け合って1番人気に支持されたロングエースは、出遅れからやや強引に先行して、そのままランドプリンスらの追撃を々振り切って逃げ切り勝ち。テレビで観ていた武邦彦は、このロングエースの強さに驚き、「自分が失敗なく乗れればダービーを勝てる」と思ったという。

そして改めて弥生賞でロングエースに跨がった武邦彦は、2番手抜け出しからランドプリンスの猛追を寄せ付けず勝。これでデビューから傷の5連勝。ヒデハヤテスプリングSを敗れたあと脚部不安で離脱したこともあり、ロングエースは堂々クラシック大本命へと躍り出ることとなった。

皐月賞・東京優駿:「関西三強」の死闘

迎えた皐月賞。ここでロングエースの対抗として現れたのが、スプリングSを勝ってきたタイテエムである。この2頭で人気を分け合うことになったが、ロングエースは僅差で1番人気に支持された。ランドプリンスが離れた3番人気、イシノヒカルがさらに離れての4番人気。ロングエース、タイテエムランドプリングの3頭が「関西三強」と呼ばれることになったが、人気的にはロングエースとタイテエム一騎打ちだった。
しかし8枠14番という大外だったロングエースは、先行争いでムキになってしまい、武邦彦がどうにかなだめられたのは向こう正面に入ってから。逃げる5番人気ルーエクスプレスを好位で追いかけ、直線抜け出しを図ったが、前半折り合いを欠いたことがいてじりじりとしか伸びず、その上武邦彦に対して外にヨレてしまう。そこへインから猛然と突っ込んで来たのが、過去2戦蹴散らしてきたランドプリンス! さらに大外を捲ってきたイシノヒカルにもかわされたロングエースは、なんとか3着に残すのが精一杯だった。

そして7月9日、「七夕ダービー」と呼ばれることになった東京優駿タイテエム皐月賞7着、NHK杯3着で評価を下げて3番人気に後退し、「関西三強」は武邦彦悲願のダービーがかかるロングエースvs皐月賞ランドプリンスとなった。ランドプリンスが620番、タイテエムが722番と外を引いたのに対し、26番と内を引いたロングエースが1番人気となったが、オッズは4.7倍
これはおそらく2つのジンクスしていた。「デカダービーを勝てない」「6番はダービーの死である。過去38回の日本ダービーで、体重500kg以上のが勝ったことは一度もなかったのである。当日、ロングエースの体重は510kgだった。また6番ゲート過去38回、勝ったはおろか馬券に絡んだすらいなかったのである。

しかし絶対に負けるわけにはいかない武邦彦にとっては、もちろんそんなジンクスなどより、いかにロングエースを実力通りの結果へと導くかの方が大問題だった。好スタートから行きたがるロングエースに対し、やる気を殺がないように必死になだめて折り合いに専念。積極的に逃げがおらず、向こう正面では28頭が横に広がってとんでもない団子状態となる。先行集団の中につけたロングエースに対し、タイテエムが3コーナーからめに進出、ランドプリンスは後方から外を捲ってくる。武邦彦はそれらの動きに惑わされることなくじっと構え、4コーナーから進出を開始した。
直線に入り、タイテエムが抜け出して先頭に立つ。ロングエースは並びかけてきたランドプリンスとともにそれを追い、残り400mでランドプリンスがそのまま外に行ったのに対し、武邦彦インに潜り込んだ。残り300mを切って「三強」が抜け出し、3頭での熾なデッドヒートとなる。1993年BNWダービーを思い浮かべていただければ近い。内に武邦彦ロングエース、中に須四郎タイテエム、そして外に川端義雄ランドプリンス上の3人はが勝っても悲願の初ダービー300mにわたる火散る意地のぶつかり合いは、アタマ差抜け出したロングエースがそのまま押し切ってゴールへと飛び込んだ。

60年代半ばからトップジョッキーとして活躍しながらなかなか八大競走を勝てず「競馬界の七不思議」とまで言われた武邦彦は、この年の桜花賞アチブスター)でようやく八大競走勝利を挙げたのに続いて、悲願のダービージョッキー称号を獲得。とは言ってもレース後は普段と変わらぬポーカーフェイスであったという。
そしてこれ以降はそれまでの憤をらすように大レースを次々と制し、名騎手としての地位を確かなものにしていくこととなった。

「ロングエースは、力をあまして敗けたのではないか」と、私は思ったものだ。長い写真判定があったが、勝ったのは武邦のロングエースであった。武邦の魔術は「五キロ以上のダービーに勝てない」とか「六番ゲートダービーの死」といったジンクスをくつがえした。そのくせ、死闘のあとのインタビューでも、武邦は(他の騎手のように感にむせぶこともなく)例のポーカーフェイスでたんたんと語っていた。「東京は直線が長いんだし、慌てることはないと思いました。先頭に立つのは、ゴールのちょっと手前だけでいいんですから」

――寺山修競馬への望郷』

その後

こうして栄ダービーとなったロングエースだったが、どうやら彼はこのレース燃え尽きてしまったらしい。東に戻ってきたとき、そこにいたのは闘志溢れるダービーではなく、「ウドの大木」と呼ばれていた頃のもっさりとしただった。調教を重ねても、その眼に鋭いが戻ってくることはなかった。

京都新聞杯6着、菊花賞5着、有馬記念8着。翌調教中に脚を痛め、その後はレースに復帰することはなかった。1972年有馬記念はイシノヒカル1973年天皇賞(春)タイテエム宝塚記念ハマノパレード天皇賞(秋)タニノチカラ有馬記念トロンエイトが勝ち、1972年クラシック世代は古の大レースを独占、花の47年組と讃えられた。その中で、栄ダービーであるロングエースは、ひっそりとターフを去っていった。通算10戦6勝。

ダービーは「最も運のいいが勝つ」という。ロングエースの競走生活を振り返ると、インフルエンザクラシックには立った関東がおらず、クラシックの日程の延期でデビューの遅れも大きな不利にならなかった。関西大将ヒデハヤテ皐月賞の前に消え、ダービーライバル2頭が外を引いたのに対して自身は内を引いたなど、確かに運に恵まれた部分は少なからずある。しかし、ランドプリンスタイテエム、イシノヒカルら強力なライバルをねじせて、昭和最強世代のひとつとされる「花の47年組」のダービーという栄を勝ち取ったのは、紛れもなく彼の実力であったと言えるのではないだろうか。山野浩一が記したように、デビュー6戦5勝のがこの1戦で燃え尽きるほどの力を振り絞らなければ勝ち取れなかった栄、それが1972年ダービー称号であったとも言えるかもしれない。

引退後は1975年から、故郷のほど近くにある東部種馬センター現在イーストスタッドの前身のひとつ)で種牡馬入り。内種牡馬不遇の時代ながら、初年度産駒からNHK杯宝塚記念を勝ったテルテンリュウを輩出したことで一定の評価を集め、その後も重賞2勝のスピードヒーローなどを出し、この時代の内種牡馬としては成功した部類の結果を残した。

そんなロングエースの産駒の4世代1979年産駒に、1頭の真っ白が生まれた。ホマレエースという幼名を与えられたそのこそ、日本競馬史上初の白毛ハクタイユーである。ハクタイユーは未勝利に終わったものの、史上初の白毛遺伝子を残すため種牡馬入り。その産駒ハクホウクン白毛としての初勝利を挙げて種牡馬入りし、この時代の内種牡馬にあって、ロングエースの系統はなんと21世紀まで繋がることになったのである。
その後、より競走力に優れた白毛を出すシラユキヒメ牝系の登場でハクタイユーサイアーラインの価値は薄れ、2020年ハクタイユー最後の産駒ハクタイヨー産駒を残さず死亡したことでハクタイユーらびにロングエースのサイアーラインは断絶が確定したが、1960年代生まれのロングエースが、2020年まで直系が繋がる可性が残っていたというだけで凄いことである。

ロングエース自身は24歳の1992年まで種牡馬として供用され(最後の産駒1991年産の2頭)、その後は生まれ故郷の岡崎牧場に戻って余生を送った。1994年3月3日死亡。26歳だった。

血統表

*ハードドン
1955 黒鹿毛
Hard Sauce
1948 鹿毛
Ardan Pharis
Adargatis
Saucy Bella Bellacose
Marmite
Toute Belle
1947 鹿毛
Admiral Drake Craig an Eran
Plucky Liege
Chatelaine Casterari
Yssel
ウインジェスト
1963 黒鹿毛
FNo.5-i
*ティエポロ
1955 鹿毛
Blue Peter Fairway
Fancy Free
Trevisana Niccolo Dell'Arca
Tofanella
*ノルマニア
1956 黒鹿毛
Norman Norseman
Macreuse
Sainte Mesme Le Pacha
Pereire

クロスPharos=Fairway 5×4(9.38%)

主な産駒

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