全国高等学校野球選手権大会とは、阪神甲子園球場にて毎年夏に行われる硬式野球の大会である。主催は朝日新聞社と日本高等学校野球連盟。
(全国高等学校軟式野球大会は、同じ兵庫県の明石公園野球場と高砂市野球場が開催地となる。)
この大会のテレビ中継は夏の代名詞でもあり、開催地の名にちなんで「夏の甲子園」の名で親しまれている。
高校野球における硬式の部の全国大会は、甲子園球場における春の選抜高等学校野球大会(以下、センバツ)と夏の全国高等学校野球選手権大会(以下、選手権大会)、国民体育大会(国体)において公開競技として行われる高等学校野球競技、神宮球場で行われる明治神宮野球大会高校の部の4つが存在する。
その中でも、地方予選から各都道府県でテレビ・ラジオ中継があり、母校・故郷の応援で思い入れも強くなる夏の選手権大会は、最も注目される大会である。
また、有望な選手を秋のドラフトで獲得しようと目論むプロ野球のスカウト達にとっても、この大会は候補を絞り込む、あるいは新たな素材を発掘するための絶好の機会となっている。
テレビ・ラジオ中継は、おもにNHK(全試合完全中継)とテレビ朝日系列局(各道県代表の試合を出場校の地元系列局が放送、決勝戦のみ全国ネットで放送。ただし制作局の朝日放送テレビ<近畿圏>はサンテレビ・KBS京都などの独立局と共同で全試合完全中継、BS朝日がそれを受けて全国に生放送、CSのスカイ・Aも録画放送する。2019年からはBS朝日では4K画質による放送も行われ、BS朝日は決勝戦のみ4K専用の映像と実況解説を設けることになる。またダイジェスト番組「熱闘甲子園」をABCとテレ朝の共同制作で全国ネットで放送)が行っている。近年では地方のケーブルテレビ局も中継していることがある。
インターネット配信に関しては地区大会も含めてバーチャル高校野球にて配信。NHKプラスでも配信されるが、権利関係上NHKラジオでの配信のみとなる。
1978年の第60回記念大会以降、現在まで例年の大会では南北北海道と東西東京のみが1道2校、1都2校の代表を選出し、他は全て1府県1校である。それ以前は第40回・50回記念大会で全都道府県1校が出場したのを除き、一部地域ではいくつかの県をまとめて地区代表として甲子園に出場することになっていた。
現行の制度では予選出場校数が25校程度の鳥取県と160校を超える予選出場校がある千葉県や大阪府、愛知県などが同じ出場枠1を争う形になっており、現行体制では地域格差が大きい。そのため、参加校の多い地域では下記の様に記念大会などで2校が選出されたケースもある。
1998年に行われた第80回大会は記念大会と位置づけられ、愛知県、神奈川県などの激戦区から二校が出場した。この年に優勝したのが、松坂大輔、小山良男、後藤武敏、小池正晃といった後にプロ球界で活躍した選手たちを擁する横浜高校だった。
2008年の第90回大会も同様に記念大会となり、北海道と東京都のほかに高校数の多い神奈川県、埼玉県、千葉県、愛知県、大阪府、兵庫県から2校ずつ選出されている。2018年の第100回記念大会は福岡県からも2校選出となり、過去最多の56校が出場する事になる。
広域な地域でまとめて出場校を選ぶセンバツとは異なり、地区大会で優勝した高校はほぼ間違いなく選手権大会に出場できる。ただし不祥事を起こした場合は例外であり、過去には高知県代表の明徳義塾高校が地区優勝を果たしたものの出場を辞退し、準優勝に終わった高知高校が出場したケースがある。第90回大会でも群馬県代表の桐生第一高校の野球部で不祥事があったが、出場を取り消し・辞退するまでには至らなかった。ただ、一部の批判などが重圧となって出たのか、1回戦敗退してしまった。
地方大会には、それぞれ地方大会なりの開催地があり、球場は地方によって異なる。
プロ野球の公式戦が組まれている球場や、実際にプロ野球チームが本拠地を置いている球場も開催地に選ばれる。
愛知県大会はナゴヤドームを決勝などの会場にしており、猛暑における熱中症への理解がまだ少なかった当時は「高校生には豪華すぎる」と揶揄される場合も(2008年以降は使用されず)。最近では大阪府大会で京セラドーム大阪を会場としており、開会式直後の2試合はドームでやることになっている。北海道ではエスコンフィールドでも同様のケースが採用された。
東京代表は東東京、西東京とも新宿区の明治神宮球場周辺を開催地としており、決勝は神宮球場、神宮第二球場を使用する場合がある。
兵庫県大会ではかつて阪神甲子園球場を会場に使っていたこともあるが、2004年を最後に甲子園での県大会は行われていない。
地方によっては甲子園球場より広いグラウンド、甲子園球場より高いフェンスの球場で戦わなければいけない。特に東西東京、宮城、広島の代表選出は両翼101mを超える球場が使われている。場所によっても、両翼が100m級(千葉マリンスタジアムなど)が使用される場合があり、俊足ランナーが三塁打を狙える分、長距離ヒッターがホームランを狙えないケースが多い。
1958年、夏の甲子園。秋田商、八女を下して迎えた準々決勝。富山県代表の魚津に延長18回、実に25奪三振を奪うものの、0-0のまま引き分けに終わり、大会初の延長引き分け再試合が適用された。
しかし、再試合でも板東は登板し、魚津を完投勝利で下した。その後も準決勝で作新学院を破ったが、決勝の柳井戦で力尽き、準優勝で終わった。
だが、その時の大会通算奪三振数は83で、これは未だにどの高校のどの投手からも破られていない。
荒木大輔、桑田真澄、松坂大輔、斉藤祐樹、田中将大、菊池雄星ですら記録を破ることはできなかった。
1979年8月16日に行われた最高試合と呼ばれた試合である。
箕島はこの年春の第51回選抜高等学校野球大会で優勝しており史上3校目、公立高校としては初の春夏連覇がかかっていた。戦力も石井毅-嶋田宗彦のバッテリーに箕島自慢の機動力を生かした打線が充実。
対する星稜も、エースの堅田外司昭に音重鎮らの打線が充実していた。この試合に勝利した箕島はそのまま同大会を制覇。その箕島を最も苦しめた星稜はその健闘ぶりが逆照射的に認識されることとなった。
試合が動いたのは4回表星陵の攻撃で一死後、星陵の3番北安博が安打で出て、続く4番の川井のヒットエンドランで一塁走者・北が三塁へ。川井も盗塁で二塁へ。投手の堅田の適時打で星陵が1点を先制。
しかしその裏、箕島の先頭の上野山が安打で出塁。北野の送りバントが失敗するが、上野敬三のヒットエンドランで一塁走者・北野が三塁へ。森川の適時打で箕島が1ー1の同点に追いつく。
試合はもつれ込み延長12回の表、1死後星陵の6番音の安打と四球で走者をためると8番の石黒の2塁ゴロを箕島のセカンド上野山がトンネル、その間に走者が1人生還し2ー1で星陵の勝ち越し。
しかし続く12回裏箕島は簡単に2死、続く1番の嶋田が打席に入る前に尾藤監督に「ホームランを打っていいですか」と言いカウント1ー0から左翼のラッキーゾーンへの同点本塁打で箕島が同点に追いつく。
試合は16回表、1死後死球と投手の堅田の安打で走者を貯めて、その後の打者の投手ゴロで走者の堅田がアウトになるが、星陵の7番山下の適時打で星陵が3ー2で勝ち越し。
しかしその裏箕島は簡単に2死になり打席に入った森川が1塁ファールフライを打ち上げ今度こそ万事休すかと思われた、しかしその年から敷かれた人工芝がグラウンドの土との少しの境が出来ており、星陵の1塁手加藤が転倒、無情にも球はファールグラウンドに落ち箕島は命拾いした、再び打席に入った森川はカウント2ー1から左翼スタンドへの起死回生の同点本塁打を放ち箕島は3ー3の同点にする。
そして延長18回の裏、この回で点が入らなければ引き分け再試合となる所で箕島は先頭の辻内が四球で出塁し、1死後4番の北野も四球で出塁、そして5番の上野が適時打を放ち2塁走者の辻内がヘッドスライディングで生還し、箕島のサヨナラ勝ちとなった。
試合時間は3時間50分で試合開始時刻が16時06分で試合終了時刻が19時56分となった。
1982年の夏の甲子園に突如現れた怪物打線。時代を先取りした筋力トレーニングと徹底した打撃練習で1974年に導入された金属バットの特性を最も活かしたチームである。
6戦で85安打を放つなどバントをしない積極的なスイングは「やまびこ打線」と呼ばれ、高校野球に革命をもたらした。
当時「大ちゃん旋風」だった荒木大輔を擁する早稲田実業を準々決勝で14-2と打ち崩し快勝、全国を驚かせる。
決勝では機動力やバントを駆使した緻密な野球を身上とし、高校野球の主流である「広商野球」を作りあげた広島商業を相手に初回6得点と打線が爆発。結局12-2で初優勝を飾った。
翌年1983年春も制し史上4校目の夏春連覇を達成。5試合で34得点2失点という圧倒的な強さで夏も優勝候補筆頭に挙げられる。
しかし、下記に記してある通り準決勝で当時1年生のKKコンビを擁するPL学園に0-7で敗退。史上初の3季連続優勝は幻となった。
また、準優勝した1974年の春の選抜では野球部員が11人しかいなかった時もあり、「さわやかイレブン」とも呼ばれていた。
1983年~1985年まで甲子園を沸かせた桑田真澄と清原和博のコンビ。
桑田はこの3年間で20勝を挙げホームランも清原に次ぐ6本、清原も3年間で40安打、歴代最多の13本のホームランを放っている(成績は春の選抜込み)。
1年の夏では準決勝で夏春夏の3季連続優勝を狙う池田を7-0、決勝では清原のホームランもあり横浜商を3-0で破り優勝、2年の夏は取手二高に延長戦の末4-8で敗れ準優勝だったものの、3年の夏に宇部商を4-3で下し優勝を果たした。
このときのPLは夏3回、春2回の甲子園全てに出場し、
夏優勝2回、準優勝1回
春準優勝1回、ベスト4が1回
というとてつもない成績を残しており、1985年の夏2回戦では東海大山形を相手に毎回得点の29-7というスコアを記録している。
なお、KKコンビが卒業した2年後の1987年には史上4校目の春夏連覇も達成している。
1992年、ラッキーゾーンが撤去され両翼が広くなってから初めての甲子園であるセンバツ第64回大会。
広い両翼と浜風に阻まれ、本塁打が狙えなくなる中、本塁打を連発する球児がいた。
その有り余るパワーから『ゴジラ』とあだ名された星稜高校の主将、松井秀喜である。
松井は今大会の初戦で2打席連続の本塁打を放ち、2回戦目でもまた本塁打を決め、ドラフト会議の有力候補にもなる程に注目の的となっていた。
そして同年の夏の甲子園。
全国制覇を狙いに来ていた星稜は初戦の長岡向陵を11-0で下し、勢いに乗っていた。
この試合を観戦していた明徳義塾の監督である馬淵史郎は、松井の高校生離れしたバッティングを目の当たりにし、星稜と当たる事になった第2回戦のミーティングである指示を下す。
それは「松井と勝負をせず、5番、6番打者と勝負する」という策だった。
そして迎えた8月16日の星稜対明徳義塾。
馬淵監督の指示通り、明徳義塾のエース河野は1回表の松井の第一打席を敬遠する。
しかも、故意四球と感づかれないようにキャッチャーを座らせたまま四球を投げるという徹底ぶりだった。
3回表の第二打席も同じく敬遠。が、観客は感づいたのかこの時から河野が1球を投げるごとにスタンドがどよめくようになる。
5回表、1死1塁で迎えた松井の第三打席。
「1塁にランナーが居る状態で敬遠は流石にないだろう」
球場の観客は誰もがそう思っていた。
だが、またしても河野は松井を敬遠。疑念は確信へと変わった。
3-2と明徳義塾1点リードの7回表の第4打席。
観客席からは「勝負!勝負!」の怒号が響く中、またもや河野は松井を敬遠。
この時、星稜側はおろか、明徳義塾側の応援席からも「土佐っ子なら正々堂々と勝負しろ!」という野次まで飛んでいた。しかし、明徳義塾はこの策を変えることはなかった。
9回表の松井の第5打席も当然のごとく敬遠。
ところが、観客の怒りは頂点に達し、堰を切ったように野次と怒号に包まれるという、高校野球では史上まれに見る異様な雰囲気となった。
しかも、星稜側のスタンドからはメガホン等の応援用具が次々投げ込まれ、明徳義塾側からもナインに向かい「帰れ!」「殺すぞ!」という怒号が飛び交う始末になってしまった。
これを危険と見た審判はタイムを掛け、ボールボーイや星稜の控え選手たちが投げ込まれた物を片付けに走った。松井はこの風景を1塁で憮然と見ていた。
その後、松井が2盗を決めチャンスゾーンにランナーを進めるものの、次打者の月岩は凡退。
1点差を逃げ切り、明徳義塾の勝利となったが、明徳義塾の校歌斉唱時にもブーイングが止まず、負けた方の星稜に盛大な拍手が贈られるという異常な事態となってしまっていた。
この出来事をきっかけに明徳義塾には「悪者」のイメージが付いてしまい、イメージの払拭に四苦八苦し、世間では高校野球における敬遠や勝利至上主義に対する議論が湧き起こった。
余談だがあの試合から21年後、テレビ番組の企画として、河野対松井の「幻の第6打席」が実現した。
結果はあの時とは違い、河野がフルカウントを全力で投げ切っての四球に終わった。
勝負の後、両者は笑顔で握手を交わす。あの時のわだかまりは完全に消え去っていた。
1996年、夏の甲子園第78回決勝戦。古豪同士の決勝で起こった「奇跡」である。
熊本工業(熊工)は、かの川上哲治や前田智徳などを輩出した野球の名門高校であり、春夏合わせて40回以上出ている。
松山商業(松商)は、野球殿堂を数多く輩出し、大正~平成のすべての元号で優勝している唯一の高校。特に夏に強いことから夏将軍と呼ばれている。
ともに走攻守申し分なく強く、ここまで勝ち上がってきたが、前評判では松商有利の展開になるだろうといわれていた。
その通り最初は松商が1回表で一気に3得点を挙げて有利に立ったが、熊工がじわじわと攻めて、9回裏には熊工6番澤村が同点ホームランを放ち、最終的には延長戦へと入り込む。
そして10回裏で松商が1アウトの状態で満塁策をとり、熊工3番本多の打席。ここで松商監督、澤田が動く。右翼の新田と矢野を交代させた。
この交代した矢野勝嗣は、強肩でまじめで練習を数多くしている生徒だったが、暴投が多く、よく監督やクラスメートから怒られていた。
いざ試合が再開し1球目、本多は甘く入ったスライダーを振り抜き、ボールは右翼側に大きく飛んで行った。確実にホームランの弾道だったが、浜風に強く戻される(実況アナもそう語っている)。ちょうどそこにいた矢野がフライになったその球をキャッチすると、3塁にいた星子がタッチアップをする。誰もが熊工の勝利で終わると思っていた。
しかし矢野の中継なしでキャッチャーに投げたボールは、暴投気味だったが、浜風に乗って加速し、ちょうどキャッチャーのミットに入る。そのミットに星子のヘルメットが当たりアウトとなる。結果的にダブルプレーとなった。
試合は終わらなかったのである。
まるで漫画のような展開である。
星子は信じられないような表情を浮かべホームベースに倒れこみ、犠牲フライを確信し一塁手前でバンザイをしていた本多は、そのまま呆然と立ち尽くした。なぜあの深い位置からの返球でアウトになったのかと、球場は興奮とどよめきにしばらく包まれた。そして熊工側の観客は悲鳴を上げ、松商側の観客と松山市内の街で中継を見ていた人間は歓声を上げていた。
そのあと奇跡のバックホームを見せた矢野は二塁打を放つなど大活躍。結果【松商6-3熊工】という松商の優勝という形で幕を終えた。
この奇跡のバックホームはいまだに白球の記憶では毎年放送されている。なお、主人公の矢野は現在愛媛朝日テレビのスポーツキャスターとなり、愛媛のニュース番組の顔となっている。星子は現在地元の熊本でスポーツバー「たっちあっぷ」を経営しており、店には当時着ていたユニフォーム、そして矢野のユニフォームが飾られている。
1998年夏の甲子園第80回を数える記念大会に際し、エース松坂大輔を筆頭に小池正晃、後藤武敏、小山良男と錚々たる面子を擁し史上5校目の春夏連覇を狙う神奈川県横浜高校。
しかし、眼前には一筋縄ではいかない強敵が待ち受けていた。
所謂「松坂世代」の猛者たちである。
といった(挙げればキリがないが)後にプロで輝かしい活躍をする選手が揃っていた。
数々の強豪校を打ち破り、決勝ではノーヒットノーラン(!)をやってのけた松坂をして人々は
"平成の怪物"
と呼んだのである。以下、特筆すべき試合を挙げる。
・PL学園対横浜
上重聡(現日本テレビアナウンサー)擁するPL学園と横浜高校の死闘。
春の甲子園では2-3で敗れた雪辱を誓うPL学園は、序盤から松坂を攻めたて3-0とするが、
そこは王者横浜、5回表には同点に追いつく。その後は両者一歩も譲らず一進一退の攻防となる。
(上重は7回からの登板)
そして運命の延長17回、横浜・常盤の2ランホームランにて勝負有り。
松坂は17回、250球を1人で投げ切った。
「ハンカチ王子」として人気が出た斎藤佑樹と現・東北楽天ゴールデンイーグルスの「マーくん」こと田中将大(第1戦は途中出場)の24イニングに及ぶ激闘の決勝戦。
2006年夏の甲子園決勝、第1回大会からの出場校である名門早稲田実業と73年ぶりの夏3連覇を狙う王者駒大苫小牧、運命の対決は、投手戦となった。駒大苫小牧は2年生の菊地が先発だったが、3回裏にチャンスを作られ、すぐさま田中に交代する。
試合は8回表に駒大苫小牧が三木のホームランで先制。しかし、裏に早稲田実業が1アウトから三塁ランナーをホームに生還させ、1-1の同点となる。
試合はそのまま点が入らず延長へ。結果、決着がつかずに1-1のまま引き分け再試合となった。これは1969年以来の決勝引き分け再試合だった。
第2戦。駒大苫小牧は前日と同じ菊地が再び先発するも、1回に即田中へリリーフ。早稲田実業は斎藤が先発した。
試合は1回、2回と1点ずつ積み上げ、2-0で早稲田実業がリード。しかし、6回に駒大苫小牧が三谷のソロホームランで1点を返し、2-1となる。
その後、すぐさま早稲田実業は追加点をあげ、3-1と再び2点差。さらに7回裏に1点追加で4-1と突き放す。
9回表、駒大苫小牧は中沢が2ランホームランを打って1点差とする。2アウト・一打同点の場面で打席は田中。投手斎藤との対決の結果、斎藤は三振を奪い、早稲田実業が4-3で優勝を成し遂げた。駒大苫小牧は3連覇を逃す。
2007年、2001年以来6年ぶり2回目の出場を果たした佐賀北高校。
開幕初戦で福井商業を4-1で倒し、2回戦に駒を進める。
しかし、2回戦の宇治山田商業戦では5回に現・読売ジャイアンツの中井大介らに一挙4点を一気にとられ、2-4と不利なスコアとなってしまう。
だが、6回、7回に1点ずつ奪って4-4と同点に。試合はそのまま延長へ。
佐賀北は再三チャンスを掴むも、結果、凡退などで延長15回引き分け再試合となった。
しかし、2日後に組まれた第2戦では打線が爆発し、先制はされたものの、6回に3点、7回に4点をとるなどして9-1で宇治山田に勝利。
3回戦は前橋商業を相手に5-2で勝利し、2003年の鳥栖商業以来の県勢ベスト8となった。
準々決勝の相手は東東京の名門・帝京高校。試合は3-3のまま延長になったが、延長13回にサヨナラで帝京を相手に大金星。
準決勝では長崎日大戦で隣県対決となり、急遽長崎、佐賀でラジオ局を展開する長崎放送がABCラジオから放送権を獲得し、放送する。試合は佐賀北が完封ペースで3-0で勝利し、佐賀商業以来13年ぶりの決勝進出となった。
決勝の対戦相手は春の選抜では優勝経験があるが、夏での初優勝を目指す広陵高校。エースの野村祐輔を擁した強豪チームだった。1回戦では前年田中将大選手を率いて未曽有の夏三連覇に挑んで準優勝に終わった駒大苫小牧を僅差で下し、準決勝で春の選抜優勝の常葉菊川を退け、決勝進出していた。
前評判でも圧倒的に広陵高校が優勢で、実際の決勝戦でも野村祐輔は佐賀北打線を5ヒット2ケタ三振を記録した。
試合は2回に先発馬場が2点を取られ、通常抑えで出てくるはずのエース久保が登板。今大会で無失点イニングを続けていたが、遂に7回、2点を取られ、無失点イニング記録が34回1/3(地方大会から数えると佐賀大会2回戦から51回)でストップ。
試合は4-0と不利になるが、8回裏に奇跡が起こる。マウンドで奮闘していた久保と代打新川が連続ヒットで出塁し、1番辻、2番井出の連続四球で押し出し、なおも満塁で3番副島が左中間スタンドに入る満塁ホームランで逆転。
決勝戦での満塁ホームランは1994年の決勝で同じ佐賀県代表の佐賀商西原が打って以来という出来事だった。
その後、9回表広陵の反撃を久保が踏ん張り、見事に5-4で勝利し、佐賀商以来13年ぶりの県勢優勝を果たした。
2009年、決勝。
試合が始まる前、下馬評は圧倒的に中京大中京が優位で、日本文理は何点とられるんだろうという憶測まで飛び出すほどだった。
特に、3番河合、4番堂林翔太、5番磯村嘉孝のクリーンナップは強力であり、投手もエース堂林と2番手森本が準決勝まで見事に抑えてきた。
日本文理も、伊藤というエースがいながらも、「勢いだけ」だとか「クジ運」などのバッシングがあった。
先制したのは中京大中京だが、すぐに日本文理も追いつき、好試合になるかと思われた。
しかし、中盤の1イニング6得点で、完全に中京大中京の勝利は決まったと思われた。
9回表、ツーアウト、ランナー無し。ツーストライク。中京10-4文理。
そこから日本文理の猛攻が始まる。選手一人一人に「自分で終わりたくない」という思いがあったのではないだろうか。猛攻をつみかさねるが、三塁ベンチ前にファールフライを打ち上げてしまう。
ところが捕手・磯村と三塁手・河合が二人とも見失い、普通ならアウトになるはずの打球がファールになる。下記の魔物の登場だと騒ぎ立てられた。
そして猛攻は続き、中京10-9文理と一点差に追い上げる。なおもランナー、一三塁。
サード方向への強いあたりが出るが、河合の真正面。試合は、日本文理が強烈な印象を残して終わった。
ちなみに、日本文理がニコニコしていたのに対し、優勝した中京大中京の選手は号泣していた。
それまで順調に流れていた試合のペースが、一つのミス、一つの幸運によって一気にひっくり返るケースが大会期間中に数回はあり、以前から「甲子園には魔物が棲む」と称されてきた。某掲示板で「マモノ」というAAが作成されたことにより、ここ数年は実況スレなどで「さて、そろそろ出番だな」という台詞と共に、波乱の展開に向けた準備を始めるマモノの姿が見受けられる。
2007年の決勝戦8回裏には、ストライク・ボールに関わる誤審疑惑もあった判定の直後に、佐賀北高校の副島浩史選手の逆転満塁ホームランが飛び出している。試合は、この回に5点を入れた佐賀北高校が5-4で制している。
近畿広域圏(関西地方)ではテレビ朝日系列局の朝日放送テレビ(ABC)が、毎年全試合を地元独立局のサンテレビ・KBS京都・奈良テレビ・びわこ放送らと共同でほぼ完全に中継している。そのため、通常その時間帯に放送されている番組は休止される。しかし全ての番組が別の時間に振り替え放送されるわけではないので、ABC圏内の人間は該当する番組・該当する回を視聴できないといった事態が発生している。
また放送が遅れるため他地区民からネタバレされる仮面ライダーとプリキュアの視聴者からは恨みを買い続けている(中継開始は午前8時なのでスーパー戦隊シリーズは通常通り放送されていた)。2017年10月改編でニュース情報番組『サタデーLIVE!!』開始に伴いスーパーヒーロータイムが9時台に移動したことから、2018年からはスーパー戦隊シリーズもこの影響を受けることになり、早速同年が100回記念大会ということもあって1日目にしていきなりプリキュアとライダーが全国で&関西では戦隊も放送休止という羽目になった。
これで顰蹙食らったのかどうかはさておき、ライダーと戦隊は有料サービスである東映特撮ファンクラブとauビデオパスで見逃し配信が行われ、2019年にはプリキュアもTVerで無料見逃し配信を開始。ネット環境は必要な物の、期間中全国から若干の時差で見られる可能性に期待が高まっている。
年度 | 優勝 | 準優勝 | ベスト4 | 備考 | |
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大阪府・豊中球場開催時代 | |||||
第1回 1915年(大正4年) |
京都第二中 (京都) |
秋田中 (秋田) |
早稲田実業 (東京) |
和歌山中 (和歌山) |
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第2回 1916年(大正5年) |
慶應義塾普通部 (神奈川) |
市岡中 (大阪) |
和歌山中 (和歌山) |
鳥取中 (鳥取) |
この年から敗者復活制度 が導入された。 |
兵庫県・鳴尾球場開催時代 | |||||
第3回 1917年(大正6年) |
愛知第一中 (愛知) |
関西学院中 (兵庫) |
盛岡中 (岩手) |
杵築中 (島根) |
敗者復活戦から 勝ち上がっての優勝。 |
第4回 1918年(大正7年) |
出場校も決定していたが、同年8月から発生していた米騒動の影響で 大会中止となった。 |
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第5回 1919年(大正8年) |
神戸第一中 (兵庫) |
長野師範 (長野) |
小倉中 (福岡) |
盛岡中 (岩手) |
この年から敗者復活制度 が廃止。 |
第6回 1920年(大正9年) |
関西学院中 (兵庫) |
慶應義塾普通部 (神奈川) |
松山商業 (愛媛) |
鳥取中 (鳥取) |
|
第7回 1921年(大正10年) |
和歌山中 (和歌山) |
京都第一商業 (神奈川) |
豊国中 (福岡) |
大連商業 (満州) |
この年から朝鮮・満州代表 が参加。 |
第8回 1922年(大正11年) |
和歌山中 (和歌山) |
神戸商業 (兵庫) |
松山商業 (愛媛) |
松本商業 (長野) |
和歌山中が 初の連覇を達成。 |
第9回 1923年(大正12年) |
甲陽中 (兵庫) |
和歌山中 (和歌山) |
立命館中 (京都) |
松江中 (島根) |
この年から台湾代表 が参加。 |
兵庫県・甲子園球場開催時代 | |||||
第10回 1924年(大正13年) |
広島商業 (広島) |
松本商業 (長野) |
大連商業 (満州) |
鳥取第一中 (鳥取) |
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第11回 1925年(大正14年) |
高松商業 (香川) |
早稲田実業 (東京) |
大連商業 (満州) |
第一神港商業 (長野) |
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第12回 1926年(大正15年) |
静岡中 (静岡) |
大連商業 (満州) |
高松中 (香川) |
和歌山中 (和歌山) |
|
第13回 1927年(昭和2年) |
高松商業 (香川) |
広陵中 (広島) |
松本商業 (長野) |
愛知商業 (愛知) |
この年からラジオでの 実況中継が開始。 |
第14回 1928年(昭和3年) |
松本商業 (長野) |
平安中 (京都) |
高松中 (香川) |
北海中 (北海道) |
|
第15回 1929年(昭和4年) |
広島商業 (広島) |
海草中 (和歌山) |
鳥取第一中 (鳥取) |
台北第一中 (台湾) |
|
第16回 1930年(昭和5年) |
広島商業 (広島) |
諏訪養蚕 (長野) |
平安中 (京都) |
和歌山中 (和歌山) |
広島商業が2校目の 連覇を達成。 |
第17回 1931年(昭和6年) |
中京商業 (愛知) |
嘉義農林 (台湾) |
松山商業 (愛媛) |
小倉工業 (福岡) |
|
第18回 1932年(昭和7年) |
中京商業 (愛知) |
松山商業 (愛媛) |
熊本工業 (熊本) |
明石中 (兵庫) |
中京商業が3校目の 連覇を達成。 |
第19回 1933年(昭和8年) |
中京商業 (愛知) |
平安中 (京都) |
松山中 (愛媛) |
明石中 (兵庫) |
中京商業が 初の3連覇を達成。 |
第20回 1934年(昭和9年) |
呉港中 (広島) |
熊本工業 (熊本) |
秋田中 (秋田) |
市岡中 (大阪) |
|
第21回 1935年(昭和10年) |
松山商業 (愛媛) |
育英商業 (兵庫) |
早稲田実業 (東京) |
愛知商業 (愛知) |
この年から入場式での ブラスバンドが登場。 |
第22回 1936年(昭和11年) |
岐阜商業 (岐阜) |
平安中 (京都) |
育英商業 (兵庫) |
桐生中 (群馬) |
|
第23回 1937年(昭和12年) |
中京商業 (愛知) |
熊本工業 (熊本) |
海草中 (和歌山) |
滝川中 (兵庫) |
|
第24回 1938年(昭和13年) |
平安中 (京都) |
岐阜商業 (岐阜) |
高崎商業 (群馬) |
甲陽中 (兵庫) |
|
第25回 1939年(昭和14年) |
海草中 (和歌山) |
下関商業 (山口) |
島田商業 (静岡) |
長野商業 (長野) |
|
第26回 1940年(昭和15年) |
海草中 (和歌山) |
島田商業 (静岡) |
松本商業 (長野) |
市岡中 (大阪) |
海草中が4校目の 連覇を達成。 |
第27回 1941年(昭和16年) |
日中戦争の激化のため、地区予選の時点で大会中止が決定。 以後、1946年まで大会が開催されず。 |
||||
兵庫県・阪急西宮球場開催時代 | |||||
第28回 1946年(昭和21年) |
浪華商業 (大阪) |
京都第二中 (京都) |
下関商業 (山口) |
東京高等師範中 (東京) |
甲子園球場がGHQの 接収中のため。 |
兵庫県・甲子園球場開催時代 | |||||
第29回 1947年(昭和22年) |
小倉中 (福岡) |
岐阜商業 (岐阜) |
成田中 (千葉) |
仙台第二中 (宮城) |
年度 | 優勝 | 準優勝 | ベスト4 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
第30回 1948年(昭和23年) |
小倉高 (福岡) |
桐蔭高 (和歌山) |
岐阜第一高 (岐阜) |
西京商業高 (京都) |
小倉高が5校目の 連覇を達成。 |
第31回 1949年(昭和24年) |
湘南高 (神奈川) |
岐阜高 (岐阜) |
高松第一高 (香川) |
倉敷工業高 (岡山) |
|
第32回 1950年(昭和25年) |
松山東高 (愛媛) |
鳴門高 (徳島) |
済々黌高 (熊本) |
宇都宮工業高 (栃木) |
|
第33回 1951年(昭和26年) |
平安高 (京都) |
熊谷高 (埼玉) |
県和歌山商高 (和歌山) |
高松第一高 (香川) |
|
第34回 1952年(昭和27年) |
芦屋高 (兵庫) |
八尾高 (大阪) |
長崎商業高 (長崎) |
成田高 (千葉) |
この年から民放による ラジオ実況中継が開始。 |
第35回 1953年(昭和28年) |
松山商業高 (愛媛) |
土佐高 (高知) |
明治高 (東京) |
中京商業高 (愛知) |
この年からNHKによる テレビ実況中継が開始。 |
第36回 1954年(昭和29年) |
中京商業高 (愛知) |
静岡商業高 (静岡) |
新宮高 (和歌山) |
高知商業高 (高知) |
|
第37回 1955年(昭和30年) |
四日市高 (三重) |
坂出商業高 (香川) |
立命館高 (京都) |
中京商業高 (愛知) |
|
第38回 1956年(昭和31年) |
平安高 (京都) |
岐阜商業高 (岐阜) |
西条高 (愛媛) |
米子東高 (鳥取) |
|
第39回 1957年(昭和32年) |
広島商業高 (広島) |
法政第二高 (神奈川) |
大宮高 (埼玉) |
戸畑高 (福岡) |
この年から民放による テレビ実況中継が開始。 |
第40回 1958年(昭和33年) |
柳井高 (山口) |
徳島商業高 (徳島) |
作新学院高 (栃木) |
高知商業高 (高知) |
記念大会のため47校が出場。 (46都道府県・沖縄) |
第41回 1959年(昭和34年) |
西条高 (愛媛) |
宇都宮工業高 (栃木) |
八尾高 (大阪) |
東北高 (宮城) |
この年から北海道予選が 南北分割での選出となった。 |
第42回 1960年(昭和35年) |
法政第二高 (神奈川) |
静岡高 (静岡) |
鹿島高 (佐賀) |
徳島商業高 (徳島) |
この年から打者のヘルメット 着用が義務となった。 |
第43回 1961年(昭和36年) |
浪商高 (大阪) |
桐蔭高 (和歌山) |
法政第二高 (神奈川) |
岐阜商業高 (岐阜) |
|
第44回 1962年(昭和37年) |
作新学院高 (栃木) |
久留米商業高 (福岡) |
西条高 (愛媛) |
中京商業高 (愛知) |
作新学院高が史上初の 春夏連覇を達成。 |
第45回 1963年(昭和38年) |
明星高 (大阪) |
下関商業高 (山口) |
横浜高 (神奈川) |
今治西高 (愛媛) |
記念大会のため48校が出場。 ※北海道2校・45都府県・沖縄 |
第46回 1964年(昭和39年) |
高知高 (高知) |
早鞆高 (山口) |
岐阜商業高 (岐阜) |
宮崎商業高 (宮崎) |
|
第47回 1965年(昭和40年) |
三池工業高 (福岡) |
銚子商業高 (千葉) |
高鍋高 (宮崎) |
秋田高 (秋田) |
この年から走者のヘルメット 着用が義務となった。 |
第48回 1966年(昭和41年) |
中京商業高 (愛知) |
松山商業高 (愛媛) |
報徳学園高 (兵庫) |
小倉工業高 (福岡) |
中京商業高が2校目の 春夏連覇を達成。 |
第49回 1967年(昭和42年) |
習志野高 (千葉) |
広陵高 (広島) |
中京高 (愛知) |
市和歌山商高 (和歌山) |
|
第50回 1968年(昭和43年) |
興国高 (大阪) |
静岡商業高 (静岡) |
興南高 (沖縄) |
倉敷工業高 (岡山) |
記念大会のため48校が出場。 ※北海道2校・45都府県・沖縄 |
第51回 1969年(昭和44年) |
松山商業高 (愛媛) |
三沢高 (青森) |
若狭高 (福井) |
玉島商業高 (岡山) |
決勝戦が大会規定により 引き分け再試合となった。 |
第52回 1970年(昭和45年) |
東海大相模高 (神奈川) |
PL学園高 (大阪) |
高松商業高 (香川) |
岐阜短大付高 (岐阜) |
|
第53回 1971年(昭和46年) |
桐蔭学園高 (神奈川) |
磐城高 (福島) |
岡山東商業高 (岡山) |
郡山高 (奈良) |
|
第54回 1972年(昭和47年) |
津久見高 (大分) |
柳井高 (山口) |
天理高 (奈良) |
高知商業高 (高知) |
沖縄返還後初の大会。 |
第55回 1973年(昭和48年) |
広島商業高 (広島) |
静岡高 (静岡) |
今治西高 (愛媛) |
川越工業高 (埼玉) |
記念大会のため48校が出場。 ※北海道2校・46都府県 |
第56回 1974年(昭和49年) |
銚子商業高 (千葉) |
防府商業高 (山口) |
鹿児島実業高 (鹿児島) |
前橋工業高 (群馬) |
この年から金属バットが解禁。 東京予選が東西分割に。 |
第57回 1975年(昭和50年) |
習志野高 (千葉) |
新居浜商業高 (愛媛) |
広島商業高 (広島) |
上尾高 (埼玉) |
|
第58回 1976年(昭和51年) |
桜美林高 (千葉) |
PL学園高 (大阪) |
星稜高 (石川) |
海星高 (長崎) |
|
第59回 1977年(昭和52年) |
東洋大姫路高 (兵庫) |
東邦高 (愛知) |
大鉄高 (大阪) |
今治西高 (愛媛) |
|
第60回 1978年(昭和53年) |
PL学園高 (大阪) |
高知商業高 (高知) |
中京高 (愛知) |
岡山東商業高 (岡山) |
記念大会のため49校が出場。 ※北海道、東京2校・45府県 |
第61回 1979年(昭和54年) |
箕島高 (和歌山) |
池田高 (徳島) |
横浜商業高 (神奈川) |
浪商高 (大阪) |
この年から平年でも49校出場。 箕島高が3校目の春夏連覇達成。 |
第62回 1980年(昭和55年) |
横浜高 (神奈川) |
早稲田実業高 (東東京) |
天理高 (奈良) |
瀬田工業高 (滋賀) |
|
第63回 1981年(昭和56年) |
報徳学園高 (兵庫) |
京都商業高 (京都) |
名古屋電気高 (愛知) |
鎮西高 (熊本) |
|
第64回 1982年(昭和57年) |
池田高 (徳島) |
広島商業高 (広島) |
中京高 (愛知) |
東洋大姫路高 (兵庫) |
|
第65回 1983年(昭和58年) |
PL学園高 (大阪) |
横浜商業高 (神奈川) |
池田高 (徳島) |
久留米商業高 (福岡) |
|
第66回 1984年(昭和59年) |
取手第二高 (茨城) |
PL学園高 (大阪) |
鎮西高 (熊本) |
金足農業高 (秋田) |
この年から球場の得点板が 電光掲示板となった。 |
第67回 1985年(昭和60年) |
PL学園高 (大阪) |
宇部商業高 (山口) |
東海大甲府高 (山梨) |
甲西高 (滋賀) |
|
第68回 1986年(昭和61年) |
天理高 (奈良) |
松山商業高 (愛媛) |
鹿児島商業高 (鹿児島) |
浦和学院高 (埼玉) |
|
第69回 1987年(昭和62年) |
PL学園高 (大阪) |
常総学院高 (茨城) |
帝京高 (東東京) |
東亜学園高 (西東京) |
PL学園高が4校目の 春夏連覇を達成。 |
第70回 1988年(昭和63年) |
広島商業高 (広島) |
福岡第一高 (福岡) |
沖縄水産高 (沖縄) |
浦和市立高 (埼玉) |
年度 | 優勝 | 準優勝 | ベスト4 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
第71回 1989年(平成元年) |
帝京高 (東東京) |
仙台育英高 (宮城) |
尽誠学園高 (香川) |
秋田経法大高 (秋田) |
|
第72回 1990年(平成2年) |
天理高 (奈良) |
沖縄水産高 (沖縄) |
山陽高 (広島) |
西日本短大高 (福岡) |
|
第73回 1991年(平成3年) |
大阪桐蔭高 (大阪) |
沖縄水産高 (沖縄) |
鹿児島実業高 (鹿児島) |
星稜高 (石川) |
大阪桐蔭高が創部4年目で 全国優勝を果たす。 |
第74回 1992年(平成4年) |
西日本短大高 (福岡) |
拓殖大紅陵高 (千葉) |
尽誠学園高 (香川) |
東邦高 (愛知) |
|
第75回 1993年(平成5年) |
育英高 (兵庫) |
春日部共栄高 (埼玉) |
市立船橋高 (千葉) |
常総学院高 (千葉) |
|
第76回 1994年(平成6年) |
佐賀商業高 (佐賀) |
樟南高 (鹿児島) |
佐久高 (長野) |
柳ヶ浦高 (大分) |
|
第77回 1995年(平成7年) |
帝京高 (東東京) |
星稜高 (石川) |
智弁学園高 (奈良) |
敦賀気比高 (福井) |
|
第78回 1996年(平成8年) |
松山商業高 (愛媛) |
熊本工業高 (熊本) |
前橋工業高 (群馬) |
福井商業高 (福井) |
|
第79回 1997年(平成9年) |
智弁和歌山高 (和歌山) |
平安高 (京都) |
前橋工業高 (群馬) |
浦添商業高 (沖縄) |
|
第80回 1998年(平成10年) |
横浜高 (東神奈川) |
京都成章高 (京都) |
明徳義塾高 (高知) |
豊田大谷高 (東愛知) |
記念大会のため55校が出場。 横浜高が5校目の春夏連覇達成。 |
第81回 1999年(平成11年) |
桐生第一高 (群馬) |
岡山理大付高 (岡山) |
智弁和歌山高 (和歌山) |
樟南高 (鹿児島) |
|
第82回 2000年(平成12年) |
智弁和歌山高 (和歌山) |
東海大浦安高 (千葉) |
光星学院高 (青森) |
育英高 (兵庫) |
|
第83回 2001年(平成13年) |
日大第三高 (西東京) |
近江高 (滋賀) |
松山商業高 (愛媛) |
横浜高 (神奈川) |
|
第84回 2002年(平成14年) |
明徳義塾高 (高知) |
智弁和歌山高 (和歌山) |
帝京高 (東東京) |
川之江高 (愛媛) |
|
第85回 2003年(平成15年) |
常総学院高 (茨城) |
東北高 (宮城) |
江の川高 (島根) |
桐生第一高 (群馬) |
|
第86回 2004年(平成16年) |
駒大苫小牧高 (南北海道) |
済美高 (愛媛) |
千葉経大付高 (千葉) |
東海大甲府高 (山梨) |
駒大苫小牧高が北海道勢として 初優勝を達成。 |
第87回 2005年(平成17年) |
駒大苫小牧高 (南北海道) |
京都外大西高 (京都) |
宇部商業高 (山口) |
大阪桐蔭高 (大阪) |
駒大苫小牧高が6校目の 大会連覇を達成。 |
第88回 2006年(平成18年) |
早稲田実業 (西東京) |
駒大苫小牧高 (南北海道) |
智弁和歌山高 (和歌山) |
鹿児島工業高 (鹿児島) |
決勝戦が37年ぶりに 引き分け再試合となった。 |
第89回 2007年(平成19年) |
佐賀北高 (佐賀) |
広陵高 (広島) |
常葉菊川高 (静岡) |
長崎日大高 (長崎) |
|
第90回 2008年(平成20年) |
大阪桐蔭高 (北大阪) |
常葉菊川高 (静岡) |
浦添商業高 (沖縄) |
横浜高 (南神奈川) |
記念大会のため55校が出場。 |
第91回 2009年(平成21年) |
中京大中京高 (愛知) |
日本文理高 (新潟) |
県岐阜商業高 (岐阜) |
花巻東高 (岩手) |
|
第92回 2010年(平成22年) |
興南高 (沖縄) |
東海大相模高 (神奈川) |
報徳学園高 (兵庫) |
成田高 (千葉) |
興南高が沖縄県勢として初優勝 6校目の春夏連覇。 |
第93回 2011年(平成23年) |
日大第三高 (西東京) |
光星学院高 (青森) |
作新学院高 (栃木) |
関西高 (岡山) |
|
第94回 2012年(平成24年) |
大阪桐蔭高 (大阪) |
光星学院高 (青森) |
明徳義塾高 (高知) |
東海大甲府高 (山梨) |
大阪桐蔭高が7校目の 春夏連覇を達成。 |
第95回 2013年(平成25年) |
前橋育英高 (群馬) |
延岡学園高 (宮崎) |
日大山形高 (山形) |
花巻東高 (岩手) |
前橋育英高が初出場で 初優勝を達成。 |
第96回 2014年(平成26年) |
大阪桐蔭高 (大阪) |
三重高 (三重) |
日本文理高 (新潟) |
敦賀気比高 (福井) |
|
第97回 2015年(平成27年) |
東海大相模高 (神奈川) |
仙台育英高 (宮城) |
早稲田実業 (西東京) |
関東第一高 (東東京) |
|
第98回 2016年(平成28年) |
作新学院高 (栃木) |
北海高 (南北海道) |
明徳義塾高 (高知) |
秀岳館高 (熊本) |
|
第99回 2017年(平成29年) |
花咲徳栄高 (埼玉) |
広陵高 (広島) |
天理高 (奈良) |
東海大菅生高 (西東京) |
花咲徳栄高が埼玉県勢として 初優勝を達成。 |
第100回 2018年(平成30年) |
大阪桐蔭高 (北大阪) |
金足農業高 (秋田) |
済美高 (愛媛) |
日大第三高 (西東京) |
記念大会のため56校が出場。 大阪桐蔭高が2度目の春夏連覇。 |
年度 | 優勝 | 準優勝 | ベスト4 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
第101回 2019年(令和元年) |
履正社高 (大阪) |
星稜高 (石川) |
明石商業高 (兵庫) |
中京院中京高 (岐阜) |
大阪府勢が2年連続の夏連覇を達成。 |
第102回 2020年(令和2年) |
新型コロナウィルス感染拡大の影響により、同年5月時点で中止が決定。 なお、各都道府県連の判断で独自の地方大会が開催された。 |
||||
第103回 2021年(令和3年) |
智弁和歌山高 (和歌山) |
智弁学園高 (奈良) |
近江高 (滋賀) |
京都国際高 (京都) |
|
第104回 2022年(令和4年) |
仙台育英高 (宮城) |
下関国際高 (山口) |
近江高 (滋賀) |
聖光学院高 (福島) |
|
第105回 2023年(令和5年) |
慶応高 (神奈川) |
仙台育英高 (宮城) |
神村学園高 (鹿児島) |
土浦日大高 (茨城) |
|
第106回 2024年(令和6年) |
京都国際高 (京都) |
関東第一高 (東東京) |
神村学園高 (鹿児島) |
青森山田高 (青森) |
決勝戦は史上初の0-0による延長 タイブレークで決着。 |
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428 ななしのよっしん
2024/10/04(金) 11:08:14 ID: KJKqlQazhC
韓流おばさんが民族差別発言したり、アニメオタクは女叩きで韓国のオタクと結託してる、現状、オタク=韓国嫌いは変わっていないと思う。
下半身売国気持ち良さそう。
429 ななしのよっしん
2024/10/04(金) 11:17:27 ID: JAcoX9PIRS
430 ななしのよっしん
2025/01/07(火) 22:16:26 ID: X7n8CgIrhx
DH制は取り入れてほしいなあ
9人組むのにも苦労してる連合チームにはさらなる苦難かもだけど…
ただエースで4番が言葉通りまかり通ってる高校野球の環境じゃ大谷ルールの導入も同じだろうけど
提供: yoru
提供: ゆっこ
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最終更新:2025/02/19(水) 19:00
最終更新:2025/02/19(水) 19:00
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