外様衆とは、
である。
なお、戦国大名の家中において外様の国衆、あるいは禁裏小番を務める公家のうち外様小番を務めるものを呼称する際に用いる一般名詞としての外様衆もある。
相伴衆、御供衆、奉公衆などと同様具体的にいつがその起源にあたるかはよくわかっていないが、足利義持~足利義教ごろに成立したと考えられる。一応えらい身分には違いないのだが、正直まとまりがなくその他もろもろの感がぬぐいきれないメンバーである。
その職務は定例の出仕の他に、帯刀としての供奉、禁裏警護などを務めた。
その出自は大きく
の5種類に分かれる。しかし奉公衆のように番方に分かれていたわけでもなく、特にまとまりをもった存在ではなかったようだ。また奉公衆と兼ねることはできなかったので、しばしば両者を移動するための交渉が行われたことが記録に残っている。
また本来は通常在京する外様衆、通常在国する大外様の区分があったが、戦国時代にそのような区分とは異なる大外様と小外様に再編された。
なお、国持衆という枠組みの場合下記の細川奥州家、京極加賀守家なども準ずる扱いとなる。
上述の通り奉公衆と兼ね合いはできないので、両方に名前が見られる場合はある時期から移ったか、あるいは両者を一門の別の系統が担当していたかのどちらかである。また大外様は※で示す。
なお戦国時代に入ると本来外様衆の家格にはない武田信虎なども加入するようになった。
ア行 | カ行 | サ行 | タ行 |
---|---|---|---|
ナ行 | ハ行 | マ行 | ヤ行 |
ラ行 | ワ行 | ||
該当者なし | 該当者なし |
赤松中務家、一色兵部大輔家(義稙上洛時)、朽木氏(義晴追放時)、宍道氏(義昭追放以降)、畠山次郎家、細川駿河守家、吉見氏(義稙上洛時?)などが御供衆に昇格している。
『光源院殿御代当参衆并足軽衆以下覚書』通称『永禄六年諸役人附』に載っている各地の大名のことである。後半部分に記載されているため足利義昭期のものを取り扱ったとされ、おおよそほとんど当時の大名と一致するため当時書かれたであろうと推定されている。
付け加えるとその後には関東衆が記されているが、こちらは諸本によって掲載されているかどうかもまちまちであり、さらに当時の情勢との齟齬が大きく、近世になって付け加えられたのではないかと推測されている。
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最終更新:2025/04/06(日) 05:00
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