宮市亮(Ryo Miyaichi, 1992年12月14日 - )とは、日本のサッカー選手である。
J1リーグの横浜F・マリノス所属。元サッカー日本代表。
181cm77kg。ポジションはFW(ウイング)。利き足は右足。
いわてグルージャ盛岡に所属する宮市剛は実弟。
オランダやイングランドではリョウの発音が難しいらしく、リオと呼ばれる事も。
愛知県岡崎市出身。宇佐美貴史や柴崎岳と同じ1992年生まれの「プラチナ世代」。
2010年12月、中京大学附属中京高等学校在学中にイングランド・プレミアリーグのアーセナルへ入団。爆発的なスピードと両足を器用に使えるキックの正確さが武器のサイドアタッカーでしかもイケメン。スター候補として将来を有望視され大きな期待を背負ったが、度重なる怪我によってキャリアは狂ってしまい、挫折の日々を送ることになる。
何度も靭帯断裂の大怪我を負い、現役を引退してもおかしくない状況に立たされたが、それでも諦めずに何度も復活し、2021年からは横浜F・マリノスでプレー。ここで見事に復活を遂げ、2022年には日本代表復帰にまでこぎつける。
まさに「悲運の天才」というキャリアとなってしまったが、諦めずに何度も蘇ってくる彼の姿に感動し、心を打たれるファンも多い、
トヨタ自動車野球部でヘッドコーチを務めていた父親と高校時代にやり投で全国ランキング8位の実績を持つ母親との間に生まれる。父親の影響で小学校の途中までサッカーと並行して野球もプレイしていたが、中学進学時にサッカーだけに専念することを選択する。
小学3年生の時から地元のシルフィードFCジュニアに所属し、その後も愛知県トレセンに選ばれるなど順調にキャリアをスタート。。中学に入るとシルフィードFCジュニアユースに進み、1年次にJFAエリートプログラム、2年次にU-14日本代表、3年次にU-15日本代表とそれぞれ選出。
高校生になると、地元の強豪校である中京大学附属中京高等学校に進学。この頃から左ウイングにポジションを移し、現在のプレースタイルを確立させている。1年の頃からレギュラーを獲得し、アンダー代表に選出されるなどエリート街道を歩み、第88回全国高等学校サッカー選手権大会では大会優秀選手に選ばれる。3年生の頃、アーセン・ヴェンゲル監督に認められ、アーセナルFCへの入団が内定。主将として出場した第89回全国高等学校サッカー選手権大会では大会のスターとして大注目をされ、チームは初戦敗退に終わるも、1得点1アシストを挙げる活躍を見せ、2大会連続で大会優秀選手に選ばれる。
2010年12月18日、イングランド・プレミアリーグの強豪アーセナルFCへの入団が決定。しかし当時の宮市にはイングランドの就労ビザが下りていなかったため、2011年1月にオランダ・エールディヴィジのフェイエノールトへレンタル移籍することが決定。エールディヴィジ第23節・ヘラクレス戦でプロ初ゴールを記録しマン・オブ・ザ・マッチにも選出された。
2011年にアーセナルへレンタルバックで復帰。7月13日に行われたクアラルンプールでのプレシーズンマッチにアーセナルの選手としてデビュー。8月9日には特例での労働許可証取得を発表。9月20日のカーリングカップ3回戦・シュルーズベリー戦でアーセナルでの公式戦デビューを果たした。
2012年1月にイングランド・プレミアリーグのボルトン・ワンダラーズへレンタル移籍。2月11日に行われたプレミアリーグ第25節ウィガン戦に出場し、稲本潤一、中田英寿、戸田和幸に続き日本人4人目のプレミアリーガーとなった。また宮市は19歳1ヶ月28日での出場で日本人最年少でのプレミアリーグ出場選手となった。2月18日に行われたFAカップ5回戦・ミルウォール戦でイングランド初ゴールを記録。しかし宮市の奮闘も実らず、ボルトンはチャンピオンシップ(2部)への降格が決定した。
2012年8月にイングランド・プレミアリーグのウィガンへレンタル移籍。ちなみにこの時、公式発表の前日に、友人でありウィガン所属のオマーン代表GKアリ・アル・ハブシがTwitter上で「宮市亮の加入を歓迎する」という趣旨のツイートをする事態が発生(該当ツイート)。宮市曰く「移籍決定をメールで報告した所、フライングでバラされてしまった」との事。11月17日のリヴァプールFC戦で右足首靭帯を負傷。長期離脱を経て3月9日のFAカップ準々決勝・エヴァートン戦で復帰したが、この試合で再び右足首靭帯を負傷。手術のために再度の戦線離脱を余儀無くされる。序盤から苦しい戦いの続いたウィガンは浮上のきっかけを掴めず、チャンピオンシップ(2部)へ降格することとなった。
2013年にアーセナルへレンタルバックで復帰。アーセナルの選手として新シーズン前のアジアツアーに帯同。日本では名古屋グランパス、浦和レッズとの試合が組まれており、どちらにも出場。名古屋戦ではPKキッカーを自ら志願し、地元愛知のファンの前で豪快な凱旋弾を叩き込んだ。9月18日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ・マルセイユ戦に出場しCLデビューを果たした。その6日後の9月24日にはストーク戦でアーセナルでプレミアリーグ初出場を果たしたが、その後は負傷なども重なり目立った活躍が残せなかった。
2014年にオランダ・エールディヴィジのトゥエンテへレンタル移籍したが、リザーブチームでの出場が中心となりトップチームでの出場は10試合に留まった。
2015年6月にアーセナルと契約を解除し、ドイツ・ツヴァイテリーガ(2部)のザンクトパウリへ移籍。活躍が期待されたが加入から1ヶ月後のプレシーズンマッチで左膝前十字靭帯を断裂する大怪我を負ってしまった。2017年にも今度は反対側の右膝前十字靭帯を断裂と、ここでも怪我に泣かされている。
2018-19シーズン以降は大きな怪我もなく主力としてプレー、FWだけでなくサイドバックでも起用された。
2021年7月、横浜F・マリノスへ移籍。2021年シーズンは途中加入ということもあり2試合のみの出場に終わる。2022年は一定の出場機会を得ており、自慢のスピードを活かしたドリブル突破で攻撃に変化を付ける役割を果たしていた。8月には国内組のみで構成された日本代表にも復帰した。しかしその試合で右膝前十字靭帯断裂の重傷を負い、またもや負傷離脱となった。直後の試合でピッチに姿を見せると、サポーターから「宮市コール」が起こり、思わず涙を浮かべていた。
2023年5月24日、Jリーグカップ・グループステージ第5節の北海道コンサドーレ札幌戦で途中出場。301日ぶりの実戦復帰を果たす。6月10日のJ1第17節・柏レイソル戦では、途中出場後の3-3で迎えた試合終了間際に公式戦で339日ぶりのゴールを挙げる。攻撃陣の選手層が厚いチームの中で出場機会は限られていたが、途中出場から流れを変える役割として貢献していた。
2024年はスーパーサブとして定着。スタメン起用された6月15日の第18節FC町田ゼルビア戦では鮮やかなコントロールショットを決め、シーズン初ゴールを記録。この年は大きな怪我もなく1年間フルにシーズンを戦い抜き、途中出場がほとんどながらもキャリア最多のリーグ戦32試合に出場している。
宇佐美貴史や柴崎岳と同じ「プラチナ世代」の中心としてAFC U-16選手権2008、2009 FIFA U-17ワールドカップなどの国際大会に出場しており、AFC U-16選手権2008では日本代表の3位進出に貢献した。
2012年に日本代表デビュー。2012年5月23日に行われたキリンチャレンジカップ・アゼルバイジャン戦にて、初キャップを記録した。
その後長期間に渡り代表には呼ばれなかったが、2022年7月のEAFF E-1サッカー選手権2022で(国内組のみの編成ではあるが)約10年ぶりに代表に復帰。7月19日の香港戦で3563日ぶりに代表のピッチに立つ。ところが、7月27日の韓国戦で右膝前十字靭帯断裂の重傷を負う悲劇に見舞われる。
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2010-11 | ![]() |
フェイエノールト(loan) | エールディヴィジ | 12 | 3 |
2011-12 |
![]() |
アーセナル | プレミアリーグ | 0 | 0 |
![]() |
ボルトン(loan) | プレミアリーグ | 12 | 0 | |
2012-13 | ![]() |
ウィガン(loan) | プレミアリーグ | 4 | 0 |
2013-14 | ![]() |
アーセナル | プレミアリーグ | 1 | 0 |
2014-15 | ![]() |
トゥエンテ(loan) | エールディヴィジ | 10 | 0 |
2015-16 | ![]() |
ザンクトパウリ | ツヴァイテリーガ | 6 | 2 |
2016-17 | ![]() |
ザンクトパウリ | ツヴァイテリーガ | 17 | 0 |
2017-18 | ![]() |
ザンクトパウリ | ツヴァイテリーガ | 0 | 0 |
2018-19 | ![]() |
ザンクトパウリ | ツヴァイテリーガ | 25 | 5 |
2019-20 | ![]() |
ザンクトパウリ | ツヴァイテリーガ | 29 | 1 |
2020-21 | ![]() |
ザンクトパウリ | ツヴァイテリーガ | 1 | 0 |
2021 | ![]() |
横浜F・マリノス | J1リーグ | 2 | 0 |
2022 | ![]() |
横浜F・マリノス | J1リーグ | 15 | 3 |
2023 | ![]() |
横浜F・マリノス | J1リーグ | 18 | 2 |
2024 | ![]() |
横浜F・マリノス | J1リーグ | 32 | 2 |
主なポジションは50m5秒台の快足を生かした3トップの左、または左サイドハーフ。右サイドでもプレーすることができる。
持ち味はスピードを生かした縦へのドリブル突破。その速さは快速で鳴らしているイングランド代表FWセオ・ウォルコットにも並ぶほどである。両足を器用に使うことができ、ボルトン・ワンダラーズ時代は左右両方のCKのキッカーを任されている。
掲示板
53 ななしのよっしん
2016/05/18(水) 00:39:08 ID: klLT8T3wZL
54 ななしのよっしん
2017/06/29(木) 03:24:21 ID: R/L2DpJoH3
また靭帯やってもーた。
もったいないが、怪我しないことも才能なのかな。
55 ななしのよっしん
2021/07/15(木) 22:25:47 ID: rvFbRAqhAV
結局116試合11ゴールというなんとも言えない成績でJリーグへ
怪我に泣かされたと思われがちだけど
実を言うと膝壊す前からドリブルはほとんど通用してなかったというのはあんまり知られてない
ほとんど試合も見ずに断片的な報道から過大評価してる人が多かったけど
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最終更新:2025/04/15(火) 06:00
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