肝付兼亮

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  • 31 ななしのよっしん

    2018/05/14(月) 12:35:34 ID: upcymtfAMC

    お隣伊東兵は親父の代でが滅びて家族って浪人になっても腐らずに秀吉配下から努力して這い上がって返り咲いたというのになぁ・・・

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  • 32 ななしのよっしん

    2018/06/03(日) 13:53:16 ID: xSNoNOYfVF

    本人は降するまでは島津方に付いた地知・寝氏を攻撃したり、成・あたりで島津本軍と交戦したり、末吉方面では北郷氏と戦繰り広げたりと腐らずに徹底抗戦してる。(敗戦ばっかりだけど)
    1574年に降してからは日新斎ので兼続の正室御南を始めとした中から島津への心を考えて嫡されたのに抵抗して出奔したと思われる。
    少なくとも晩年は長崎で過ごしていたらしく、子孫は現代まで続いてるっぽい

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  • 33 ななしのよっしん

    2019/02/20(水) 04:11:13 ID: qp4Sqz5Goc

    詳しく分かっていない兼長、兼、兼定、兼則は庶子なのかな
    一応兼定は1573年に住吉で戦死した事は分かってるけど

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  • 34 ななしのよっしん

    2019/10/14(月) 15:44:37 ID: SVo34vZSp0

    >>33
    肝付兄弟の力を結集すれば島津四兄弟にも勝てる・・・と良いなぁ
    あちらさんは庶子の島津家久まで有能だし

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