「みんなー!!ニューヨークへ行きたいかぁー!!?」(福留功男)
「勝てば天国、負ければ地獄!知力・体力・時の運!早く来い来い木曜日!」(高島忠夫・石川牧子アナ)
アメリカ横断ウルトラクイズとは、日本テレビ「木曜スペシャル」枠で16年に渡り放送された史上最大の規模を誇った伝説のクイズ番組である。正式名称は「史上最大!第○○回 アメリカ横断ウルトラクイズ」。通称「ウルトラクイズ」。
1977年、日本テレビ開局25周年記念番組として放送開始。そのタイトルの通り、東京の後楽園球場(後に東京ドーム)を振り出しに、ユニークで過酷なクイズをしながらアメリカ大陸を横断し、自由の女神の居るニューヨークを目指すという番組である。
その予算と参加者数など規模もそれまでのクイズ番組とは桁違いであり、ギネスブックに「世界最大の規模を誇るクイズ番組」の認定を受けた。それまでの視聴者参加型クイズ番組は「優勝したら海外旅行に行ける」というのが当たり前だったが、当番組は「海外旅行をしながらクイズが同時進行し、優勝者を決定する」という度肝を抜く展開で話題を集めた。
この番組をきっかけに「○×クイズ」「ドロンコ○×クイズ」「バラ撒きクイズ」「大声絶叫クイズ」「罰ゲーム」「クイズ研究会」「クイズ王」が生まれた。
1992年に終了。終了時、「撮影中にアメリカの当局とトラブルを起こし終了した」というデマも流れたが、実際には膨大な予算をつぎ込んでも見合うほどの成果が収められなくなったためである。
1998年に一度復活している。
なお、この番組の出場資格が「18歳以上(高校生不可。大学生、短大生、専門学生、高専4年以上は出場可)」だったため、高校生向けにアレンジして1983年に始まったのが現在も続く「高校生クイズ」である。また、この番組のフォーマットを借りて完全なお笑い番組にしてしまったのが1989年スタートの「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」である。
2010年には、「夏休み横断!ウルトラクイズ」としてテレビ放映はなかったものの、復活した。SEGAのアーケードゲーム、「Answer×AnswerLive!」とコラボし、イベント大会「ウルトラクイズ大会・決勝大会」の上位300名以内のうち抽選で選ばれた2名と日テレクイズの優勝者が13回王者、長戸勇人氏と対決した。
毎年春に参加募集開始。選考の結果8月中旬に後楽園球場(東京ドーム)で一次予選が行われる。
一次予選は○×クイズ、ここで100名(年度によって異なる)が予選通過し、旅行説明会へ参加。約2~3週間後に成田空港に集合する。
二次予選は成田空港で1対1のジャンケン対決(第10回は腕相撲、第17回は一芸披露)。勝ち抜くとグァム行きの飛行機へ搭乗する。グァム行きの航空機内が第1チェックポイント。400問の3択ペーパーテストに挑戦。下位10数名がグァム空港にて足切りされ、乗ってきた飛行機で成田へとんぼ返りとなってしまう。
グァムでは主にどろんこ○×クイズ。ハワイでは主に1対1早押しクイズなどが行われ、10~16名ほどの勝者が本土上陸を果たし、サンフランシスコやロサンゼルスといった太平洋岸の大都市へ降り立つ。
ここからは1チェックポイントにつき失格者は1~2名となり、まさに生き残りをかけたサバイバルが始まる。ここまで旅をしてきた仲間との別れや、勝ち抜きたい葛藤から様々な人間ドラマが生まれた。概ね4名が準決勝進出。準決勝を勝ち抜いた2名(第11回は3名)がニューヨークでの決勝戦に挑み、日本一のクイズ王が決する。
放送時間は毎週木曜日19時30分からの「木曜スペシャル」枠にて10月~11月にかけて4~5週にかけての放送。
1週目は一次予選と二次予選、機内クイズ。2週目から本格的に海外でのクイズがスタートし、1週あたり3~4のチェックポイントを放送していた。
第12回まではスタジオパートが存在し、高島忠夫と石川牧子アナウンサーが総合司会を務めた。福留功男(第14回まで)、日高直人(第10回南米ルート担当)、福澤朗(15回、16回)が総合司会と思われがちだが、あくまでも「海外レポーター・出題者」であり司会ではない。
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最終更新:2025/12/08(月) 22:00
最終更新:2025/12/08(月) 21:00
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