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インヴァソール

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インヴァソール(Invasor)とは、2002年アルゼンチン生まれの競走馬・種牡馬である。

ウルグアイでデビューして同国の三冠を達成し、スペイン語で「侵略者」を意味する[1]その名を表すかのようにアメリカに移籍して大活躍を挙げた。

概要

父Candy Stripes、母Quendom、母父Interpreteという血統。

父キャンディストライプスはバブルガムフェローの11歳上の半兄で、競走成績は6戦2勝、重賞での最高成績はプール・デッセ・デ・プーラン(仏GI)での2着という馬だったが、種牡馬として輸出されたアルゼンチンで大成功し、1995/96シーズン(南米は四季が逆なので1シーズンが年を跨ぎ、馬の繁殖期やシーズンの始まりは7~9月頃になる。以下同様)のリーディングサイアーとなった。
母クェンドムはアルゼンチンの土着牝系の出身で、不出走馬。牝系祖先を遡っていくとプリティーポリーに行き着く。
母父インテルプレテはアルゼンチンで走り、同国の2000ギニーに該当するポージャ・デ・ポトリージョス大賞(GI)などGI4勝を含む8戦6勝。

本馬はアルゼンチンで生産され、2歳時にウルグアイの馬主に2万ドルで購入された。ウルグアイのアニバル・サン・マルティン調教師に預けられた。

ウルグアイ三冠

※ウルグアイはパートII国であるため、本節での競走格付けは国内独自のもの

2005年2月、ウルグアイの三冠競走全てを開催している主要競馬場であるマローニャス競馬場でデビューし6馬身3/4差で圧勝した。

夏になってシーズンが変わると、始動戦のクラシコ・エンサージョ(GIII)を2馬身半差で楽勝して臨んだ一冠目のポージャ・デ・ポトリージョス大賞(GI・1600m)も不良馬場の中を駆け抜け5馬身3/4差で圧勝した。続く二冠目のジョッキークラブ大賞(GI・2000m)および三冠目のナシオナル大賞(GI・2500m)もそれぞれ3馬身半・6馬身半差で他馬をあっさり一蹴し、危なげなくウルグアイ三冠を達成した。

三冠競走での圧倒的パフォーマンスにより、翌年1月に開催される古馬混合のウルグアイ最大のレースであるホセ・ペドロ・ラミレス国際大賞(GI)でも大本命と目されたが、ここでドバイのハムダン殿下が140万ドルという巨額で本馬を購入。同レースには出走せず、このシーズンのウルグアイ年度代表馬・同最優秀3歳牡馬のタイトルを手土産にアメリカに移籍することとなった。ウルグアイ国内で高まっていた本馬の人気は移籍しても落ちることはなく、本馬が出走するレースの同時中継が行われるなど、変わらない支持を受け続けた。

南半球からの侵略者

キアラン・マクローリン調教師の元に転厩した本馬はまず2006年の初戦としてUAEダービー(GII)に出走したが、勝利した*ディスクリートキャットから大きく離され、2番手争いではテスティモニーと日本からヒヤシンスSを勝って遠征したフラムドパシオンの両馬に僅差で遅れ4着だった。

しかし、本馬はここから真価を見せることになる。アメリカでの初戦・ピムリコスペシャルハンデキャップ(GI・9.5ハロン)では5頭中4番人気であったが、逃げるワンダリンボーイを2番手から直線で交わすとこれに1馬身1/4差をつけて勝利。続くサバーバンハンデキャップ(GI・10ハロン)では以降の主戦となる当時18歳の若手フェルナンド・ハラ騎手と初コンビを組み、先行集団から4角で抜け出すと直線で後続を突き放して4馬身1/4差で勝利した。更にホイットニーハンデキャップ(GI・9ハロン)もハナ差で勝利した。

この後はジョッキークラブゴールドカップを予定していたがレース前週に熱発したため、ブリーダーズカップ・クラシックに直行することとなった。このレースでは初勝利からプリークネスS・トラヴァーズS・ジョッキークラブゴールドカップのGI3勝を含めて全て圧勝で6連勝中、その途上で付けた着差は合計40馬身という強豪3歳馬のバーナーディニが1番人気、5歳を迎えて本格化し当年GI4勝を含む7戦7勝で挑んできたラヴァマンが2番人気に推され、インヴァソールは3番人気となった。

レースはラヴァマンが先行してバーナーディニがその後ろの好位グループ、インヴァソールは中団からの競馬となった。バーナーディニは3角から強気に進出して直線入口で先頭に立ったが、インヴァソールも4角で外を回してこれを追撃。抜け出したバーナーディニに迫ると遂に残り1ハロン付近でこれを捉え、1馬身差を付けて勝利した。これにより、エクリプス賞最優秀古馬牡馬、そして南米産馬として初となるエクリプス賞年度代表馬となった。騎乗したハラ騎手も当時のブリーダーズカップ最年少優勝記録を樹立した。

年が明けて2007年は、まずドンハンデキャップ(GI・9ハロン)を失速してきた逃げ馬に進路を塞がれる場面を見せつつ2馬身差できっちり勝利。1年ぶりにドバイへ遠征し、今度はドバイワールドカップに出走した。前年のUAEダービーで本馬に勝った後に5ヶ月ほど休養したが復帰後はシガーマイルハンデキャップ(GI)を含め3連勝し未だ6戦無敗の*ディスクリートキャット、前年にウッドワードSを勝ちブリーダーズカップ・クラシックでは本馬の3着に入っていたプレミアムタップが主な対戦相手となった。

レースが始まるとプレミアムタップが先手を取り、出負けしてリズムに乗れない*ディスクリートキャットを尻目に本馬は3番手外から追走。3~4コーナーからプレミアムタップの外目をキープするように仕掛けると直線では一騎討ちとなった。3番手をうかがうブリッシュラックや終始番手にいたヴァーミリアンを大きく突き放していくインヴァソールとプレミアムタップの争いがしばらく続いたが、残り150m地点からグンと伸びた本馬が前に出ると、そのままじわじわと差をつけて最後は1馬身3/4差で完勝した。3番手に上がったブリッシュラックはプレミアムタップから8馬身差、4着のヴァーミリアンがそこから5馬身1/4差、以下シンガリの*ディスクリートキャットまで2馬身半・2馬身3/4・2馬身3/4差と、上位2頭以外はバラけた態勢でのゴールとなった。

その後はサバーバンハンデキャップ連覇を狙うなどの現役続行の予定があったが、調教中に右後脚を骨折し、6月に引退が発表された。通算成績は12戦11勝・国際GI6勝で、UAEダービー4着以外は後にも先にも他馬に後れを取ったことがなかった。

引退後はハムダン殿下のシャドウェルファームで種牡馬入りしたがイマイチな成績に終わり、2015年からはウルグアイで繋養されている。2013年にアメリカ競馬の殿堂入りを果たしている。

血統表

Candy Stripes
1982 栗毛
Blushing Groom
1974 栗毛
Red God Nasrullah
Spring Run
Runaway Bride Wild Risk
Aimee
*バブルカンパニー
Bubble Company
1977 栗毛
Lyphard Northern Dancer
Goofed
Prodice Prominer
Euridice
Quendom
1997 青毛
FNo.14-c
Interprete
1988 鹿毛
Farnesio Good Manners
La Farnesina
Inaccesible Liloy
Iliada
Queen of Victory
1990 黒鹿毛
Cipayo Lacydon
Tsarina
Twitch Crown Crown Thy Good
Twins

クロス:アウトブリード

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関連項目

  • 競馬
  • 競走馬の一覧

脚注

  1. *スペイン語ではvとbの発音を区別しないため、厳密に原語通りの発音を重視する場合の表記は「インバソール」などとなる。

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