イ式重爆撃機とは、大日本帝國陸軍が運用した爆撃機である。イ式とはイタリア式の略称。
1937年、支那事変が勃発。帝國陸軍は奥地へと逃げ続ける中国国民党を追撃していたが、戦線が奥深くなるにつれ、爆撃機の航続距離不足が露わになってきた。現行の九三式重爆では能力不足、次世代機の九七式重爆は採用されたばかりで配備に時間が掛かる状況だったため、繋ぎとなる爆撃機を外国に求めた。
その結果、イタリアが名乗りを上げた。高性能を謳って外国向けに販売していたフィアットBR20を72機購入し、イ式重爆撃機と改名。部品代込みで6000万円(当時)の代金を支払った。日本はこの機体を満州国に送り、代金代わりに大豆を納品させた。購入に伴ってフィアット社の社員も日本へ渡っている。
購入されたイ式重爆は早速支那事変に投入された。防御性能が高く、その点だけは好評だった。……その点だけは。カタログスペックより低性能である事が露呈。更に事故や故障が多かったため、パイロットにも忌み嫌われた。もともと次世代機までの繋ぎが目的なので、九七式重爆が配備されると次第に姿を消していった。イタリアから購入した部品が尽き掛けていた事もあり、活躍した期間は大変短かった。
戦歴的には空気そのものだが、イ式重爆に取り付けられていた12.7mm機関銃は陸軍の研究対象となり、航空機関砲の開発に役立ったと言われている。
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最終更新:2025/12/07(日) 03:00
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