ケニー・レイ(Kenneth Alan Ray、1974年11月27日-)とは、アメリカ合衆国出身のプロ野球選手(投手)である。
アメリカでの登録名は『ケン・レイ』だった。
1993年にロズウェル高等学校からMLBドラフト18巡目でアトランタ・ブレーブスに入団。
1999年7月10日にメジャーデビュー。1999年は13試合を投げて1勝0敗0セーブ、投球回11.1、防御率8.74でシーズンを終えた。奪三振は取れなかった。
その後はマイナーリーグを転々としたが、2006年にメジャーに復帰すると、フル稼働し、アトランタ・ブレーブスで69試合を投げ投球回67.2、1勝1敗5セーブ7ホールド、防御率4.52、50奪三振とまずまずの結果を出し、活躍した。
しかし、その後もマイナーリーグを転々とし、2008年に韓国KBOのSKワイバーンズに入団した。SKでは5試合に登板、5試合とも先発で投球回20.1、1勝2敗、防御率6.64、11奪三振の結果に終わった。
2010年からは台湾CPBLのLa Newベアーズ(後にLamigoモンキーズに改称)に入団し、3年間先発の柱として活躍。72試合に投げ先発機会69、投球回454、27勝25敗1ホールド、防御率2.91、356奪三振の結果を出した。特に2011年には13勝10敗、防御率2.85、150奪三振を記録した。
2013年シーズン途中の6月14日、メキシカンリーグのユカタン・ライオンズから日本NPBの東北楽天ゴールデンイーグルスに入団した。5試合に投げ3度の先発機会、0勝1敗に終わったが防御率3.26とまずまずの防御率でシーズンを終えた。9月に右頬骨骨折で離脱後、ポストシーズンで復帰してからはバットマンのようなフェイスガードを着用し、『謎の投手』として出現した。クライマックスシリーズ、日本シリーズでは中継ぎとして好投し、チームの日本一に貢献した。オフに自由契約となり、2014年に台湾のLamigoモンキーズに復帰した。
2014年は先発として17試合に登板し9勝5敗、防御率2.17と活躍しLamigoの前期優勝に貢献したが、シーズン途中の8月30日に解雇された。オフに楽天の秋季キャンプにテスト生として参加し合格。2015年に楽天に復帰した。
2015年は背番号42をつけていたが、ウィリー・モー・ペーニャの入団に伴い、12に変更された。
(2014年終了時点)
| 通算:7年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| MLB:2年 | 82 | 0 | 0 | 2 | 1 | 5 | 7 | .667 | 79.0 | 44 | 50 | 48 | 45 | 5.13 | 1.68 |
| KBO:1年 | 5 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | .333 | 20.1 | 19 | 11 | 15 | 15 | 6.64 | 2.02 |
| CPBL:4年 | 89 | 5 | 1 | 36 | 30 | 0 | 1 | .545 | 557.2 | 144 | 428 | 229 | 172 | 2.78 | 1.22 |
| NPB:1年 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 19.1 | 10 | 10 | 10 | 7 | 3.26 | 1.19 |
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最終更新:2025/12/10(水) 19:00
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