ヴォルフガンク・アマデウス・モーツァルト(独:Wolfgang Amadesu Mozart, 1756年1月27日 - 1791年12月5日)とは、クラシック音楽を代表する作曲家である。オーストリア(当時神聖ローマ帝国)のザルツブルクで生まれ、ウィーンで没した。
神童といわれ、5才で初めて作曲し、35才の短い生涯のうちにオペラ、交響曲、ピアノソナタなど幅広いジャンルで700曲あまりの曲を作曲した。レクイエムは絶筆。
名前
モーツァルトの洗礼名(ラテン語)は、ヨハンネス・クリュソストムス・ウォルフガングス・テオフィルス・モザルト(Johannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus Mozart)である。「テオフィルス」はギリシア語で「神を愛する」または「神に愛された」の意のテオフィロス(Θεόφιλος, Theophilos)をラテン語形にしたもの。当時はイタリアの音楽家がもてはやされており、モーツァルトは「テオフィルス」よりもラテン語で意訳した「アマデウス(Amadeus)」を通称として使用していた。また「ヨハンネス・クリュソストムス」は4世紀の教会博士で聖人のヨハネス・クリュソストモスにちなんでいる。
音楽評論家の石井宏は著書『反音楽史』の中で、モーツァルトは Amadeusではなくイタリア語ふうのアマデーオ(Amadeo)を主に使っていたとしている[5]。フランス語ふうのアマデ(Amadé)、ドイツ語ふうのゴットリープ(Gottlieb)も用いたことがある。
容姿
肖像画や銅像ではいずれも“神童”に相応しい端麗な顔や表情、体型をしており子供の姿で描写されたものも多いが、実際の容姿に関しては諸説ある。有力なのは「21歳の時に罹った天然痘の痕がいくつもあり、丸鼻で近眼」というものである。本当の顔立ちを知る手がかりとなるはずだったデスマスクは、葬儀の後の整理の際コンスタンツェがうっかり落として割ってしまった。体躯に関しても「小男である」「肥満が著しかった」という説がある。
性格
モーツァルトが書いたとされる手紙は多く残されているが、手紙は最大5ヶ国語を使い分けて書かれている。また友人などに宛てた手紙の中においては何の脈絡もなく世界の大洋や大陸の名前を列挙し始めたり、文面に何の関係もない物語を詳細に書き出したりしていた。
モーツァルトは従姉妹に排泄にまつわる駄洒落にあふれた手紙を送ったことがあり、『俺の尻をなめろ』(K.231、K.233)というカノンも作曲している。このことは彼にスカトロジーの傾向があったとしばしば喧伝されるエピソードであるが、当時の南ドイツでは親しい者どうしでの尾籠な話は日常的なものでありタブーではなかった。19世紀の伝記作者はスカトロジーの表現を無視したり破棄したりしてモーツァルトを美化したが、現在ではこうした表現は彼の快活な性格を表すものと普通に受け止められている。
冗談好きな一面もあり、ある貴族から依頼を受けて書いた曲を渡すときに手渡しせず自分の家の床一面に譜面を並べ、その貴族に1枚1枚拾わせたというエピソードがある。
精神医学界には、こうした珍奇な行動がサヴァン症候群によるものであるという説もある[8]。
私生活
ボウリングやビリヤードを好み[9]、自宅にはキャロムテーブルを置きビリヤードに興じていた[10]。ビリヤード台の上に紙を置き、そこで楽譜を記していたというほどである。賭博にもよく興じたという。高価な衣装を好み、立派な住居を求めて何度も引越しをした。モーツァルトの晩年の借金の原因として浪費に加えて「ギャンブラー説」を唱える人もいるが、確かなことは不明である[11]。
「神童」時代、オーストリアのマリア・テレジアの御前演奏に招かれた際に宮殿の床で滑って転んでしまい、その時手を取ったマリー・アントワネット(マリア・テレジアの娘)に求愛した話は有名。
ケッヘルによりモーツァルトの作品は整理され、ケッヘル番号(K.)が付与されている。
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最終更新:2025/12/06(土) 16:00
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