一般言語学とは、ロマーン・ヤーコブソンの主著である。
“われは言語学者なり,こと言語に関するものにしてわれに無縁のものなしとす”
Ⅰ
われわれの究極の目標は,言語をすべてのレベルを含んだ複雑なものとして観察するものであるということが,ますます明らかになってきたのである.
言語学の対象となる基本的な事実は,対話,すなわち発信者と受信者,話し手と話し相手の間の,つまり符号化者と復号化者の間の,メッセージの交換だと思うのである.
個人の発話は,交換なしには存在しない.受信者なしには発信者は存在しない.
誰でも初めての人と話すときは,意識的にせよ無意識的にせよ,共通の語彙を見つけようとする.相手を喜ばせるために,またはただ単にわかってもらうために,あるいはまた自分を認めてもらうために,相手の用語を使う.言語には個人だけの所有物というようなものはない.何もかもすべて社会のものである.言語交換は,(どんな形の交際でも同じだが)少なくとも二人の伝達者を必要とする.
彼はコードを知っている.メッセージははじめてのものである.それで,コードによってメッセージを解くわけである.
受信者はコードによってメッセージを理解する.しかし,知らない言語を解く言語学者の立場は違う.彼はメッセージからコードを引き出そうとする.彼は復号化者ではない.いわゆる暗号解読者である.
言語の重要な任務の一つは,空間に橋をかけること――離れたところをつなぐこと――空間的連続を作ること――空間を通じて共通の言語を見出し設立することである.もちろん,距離が作用すると,もっと大きな,そしてたくさんの方言差が出てくる.二つの言語社会が隣接しているとき,コードは同じではないが,それでもどちらの言語社会も,密封され孤立したものではない.完全な孤立が起こるのは,異常な,むしろ病的な場合だけである.
同定と区別とは,一つの問題の両面にすぎない.
言語には二つの軸がある.統辞論は連鎖 concatenation の軸を扱い,意味論は代置substitution の軸を扱う.
“記号の意味とは,必ずその記号の訳となるような記号である.”今日の新聞で,“OPA豚肉の値上げ認める”というのを読んだが,私は OPA が何ものだか知らない.しかし“豚肉”,“値上げ”,“認める”という語の意味は知っている.
パースが言語の主要な構造原理をはっきりと定義して言っているように,一つの記号が他の記号に訳されるときは,もとの記号よりも,くわしく長くなるのである.言語内解釈法の代りに,言語間解釈法を使って, pork という語を,ほかの言語に訳すこともできる.言語以外の記号,たとえば絵画記号にでも訴えれば,記号法間解釈法ということになる.しかしどの場合も,記号を記号に置き換えるという点は同じである.それでは記号と物との直接の関係はどうであろうか?
“くじら”を「もの」によって表わすことは困難であろう.まして“たくさんのくじら”だったら大変だろうし,“すべてのくじら”だったら,まず不可能であろう.
未解決の問題に関して私が述べたことは,まるで映画の予告編のように断片的なものであったけれども,パースが,あらゆる記号は他のもっと明示的な記号に訳され得る,と言っているのが正しければ,おわかりいただけるのではないかと,期待する次第である.
Ⅱ
ある近刊の書物は,小児失語症の複雑でこみ入った問題を大きく扱っているものであるが,いろいろな教科の共同作業の必要を説き,耳鼻咽喉科医,小児科医,聴能学者,精神科医,教育家に協力を呼びかけているけれども,言語の科学には一言も触れていず,まるで,言語知覚の障害が言語には何も関係がないかのごとくである.
失語症的退行は,小児の言語音声の習得の鏡像をなすということがわかってきた.つまり小児の発達を逆の順序で示すのである.
最適な情報交換においては,話し手と聞き手は多少とも同じ“既成の表象の整理保存システム”を駆使できる状態にあるとの想定である.言語メッセージの発信者は,これら“予想された可能性”の一つを選択し,受信者は,その“既に予見され,準備されている可能性”の総体のなかから,同一の選択をすることを期待される.このように,発言事象の有効性は,その参加者による一つの共通のコード code の使用を要請する.
how do you doはじめまして という熟語の意味は,その語彙的構成要素の意味を加え合わせることによって導き出すことはできない:全体が部分の合計に等しくないのである.
弁別特性の音素への結合においては,個々の話し手の自由はゼロであって,その言語で利用され得るあらゆる可能性は,コードによって既に設立ずみである.
文の主要な,従属させる作因,すなわち主語は,省かれる傾向がある.すべて出だしが患者にとって主たる障害物である以上,患者が文型の礎石である出発点でしくじることは,見え透いている.
“名付けの能力”の失語症的欠損は,まさにメタ言語の喪失である.そのような失語症患者は,ある語からその類義語や迂言法への切り換えも,その語の異音語 heteronym すなわち他の言語での等価表現への切り換えもできない.多言語能力の喪失と,一言語の一方言のみへの局限は,この種の異常の徴候的な現われである.
両極をなす比喩,隠喩と換喩とのうちで,後者は隣接性に基づくもので,これは選択能力を冒された失語症患者に広く用いられる.典型的な症例がヘッドによって報告されている.
“black 黒”という名称を思い出せなくて,彼は“死んだ人に対して行なうこと”と述べた.これを彼は縮めて“dead 死んだ”と言った.
“どんなとき黒いものを着るか” ―― “死者の喪に服するとき”:色の名称を言う代りに,その慣習的用法の原因が示されるのである.
選択能力が強度に損われて,結合の能力が少なくとも部分的に保存されている場合は,隣接性が患者の言語行動全体を規定する.この型の失語症を,相似性の異常 similarity disorder と命名することができよう.
発話の喪失とは,命題化の力の喪失である.……失語ということは,完全な語喪失を意味しない.
結構欠如の失語症は,隣接性の異常 contiguity disorder と名づけることができるであろうが,これは文の長さや種類の豊富さを減ずるものである.予想されるとおり,接続詞,前置詞,代名詞,冠詞のように純粋に文法的な機能だけを賦与された語は,相似性の異常の場合には最も抵抗力が強かったのに反し,まっ先に消えて,いわゆる“電文体”を生ぜしめる.
系列表(特に he 彼が――his 彼の――him彼を のような格や, he votes 投票する――he voted投票した のような時制などの集合)は,同一の意味内容を,隣接性によって互いに連合した異なった観点から示すものであるから,ここにも隣接性の異常の失語症患者がこのような集合を放棄する,もう一つの誘因があるわけである.
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最終更新:2025/12/08(月) 16:00
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