三井理峯は、日本の政治活動家。 元東京都教員。
東京都知事選挙、参議院議員選挙、衆議院議員選挙などに立候補し、その政見放送が有名。
1911年(明治44年)5月27日生まれ。
陸軍工場勤務を経て、東京女子師範卒業、東京都小学校教諭。
やがて、選挙への出馬と落選を繰り返す。
2002年(平成14年)7月14日死去。
もと豊島区民、後に埼玉県鳩ケ谷市に居住。
92年参院選の政見放送の冒頭において「脅迫・不当移転のため」と紹介されており、本人の意に沿わぬ形での転居であったことが窺い知れる。
後述の『我は平民』にある後生掛温泉での体験談を始めとする被害妄想を含んだ支離滅裂な主張や、「牢にぶち込まれた(=閉鎖病棟への入院?)」などの発言から、統合失調症を患っていたとされる。
自費出版『我は平民』の一部分を読ませていただきます。
国立公園は、麻薬・暴力団の隠れ蓑。上野から盛岡まで3時間。支線待ち1時間、バス待ち2時間、3時間の空費。上野-盛岡3時間、なんじゃいな。東北の方々は親切で気さくで、自炊や温泉ならではのこと、地方のお話を聞くことが楽しいから行く。温情が一生残る。十和田八幡平観光温泉旅館後生掛温泉は、自炊部事務所に入った最初から、腹の立つことばかりであった。最高に薄汚い建物だ。手紙で長距離電話で話したことがない。ここの電灯は入り口に小さい輪が1つ。消灯して、中は全部真っ暗闇。男、女、雑魚寝で、これで旅館法、風俗営業ならたちまち罰せられる。万事手探りで、夜2時間、静かに日記を書こうと予定したけれど、こんなことでいつまでも過ごせるはずはない。翌日、小柄な若い男が来て、嫌がらせが出る。午後また来た。民の暴力団、とってもすごく、個室に行くことの強制である。1室5000円の個室になんて入るはずはない。炊事道具とも、12000円以上になる。間に合わせの夕食をガスにかけて、椅子に腰掛けていると、若い、細い、背の高~い、麻薬犯のような痩せた男が、飯を食べては、「いただきません」、「もらいません」、「お断りします」。軟派の暴力団と見ゆ。かなり過ぎて、左肩の方から、醤油で濃く煮た平たい直径2.5センチほどのものを、20ぐらい小皿に並べたものを、ガスの火種に置いた。顔は見ない。少しも手を付けず、言わず語らず戻る。夜半、暗がりで横になって寝ている顔の前に、ずんぐり女が来て、さっきの皿など持ってきて置いていった。はじめは毒を入れない。不気味にしーんとしている。試しに1つをそっと口に入れ、思わず噛みかけた。ものすごく、とっても苦い。吐き出し、口の中を拭く。口を洗いたくても、すぐ追っ手が来ると思うと起きられない。苦さは口に残らない。非常な緊張をしつつ、皿の毒物を始末した。誰にもお世話様にならず、__と言わないこと、後を振り向かないこと。吹きさらしのバス停は風が水平に強い。雨具はこうもり傘1本で、風がまた強くなる。大雨になりそうだが、すぐずぶ濡れになっても暖まりには絶対戻らない。心の中で、早く遠ざかること、これの言い続けであった。鵺鳥だけが怖いのではない。一生つきまとって、すごんだあの脅しが怖くつきまとっている。以後来ることは絶対にないのだ。山、山、山、この温泉より他に家もない、人もいない。どこに埋められようと知れることはない。山、山、山の他に何もない、山、山ばかりである。熊の山。(1991年東京都知事選挙政見放送)
協力:字幕職人
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最終更新:2025/12/14(日) 07:00
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