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三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう、1915年12月2日 - )とは、日本の皇族、歴史学者、海軍少佐、貴族院議員である。三笠宮家の初代当主、皇位継承順位第5位。
大正天皇の四男として1915年(大正4年)に生まれる。御所で育ち、他の皇族と同じように学習院に進学した。
幼少期から文才があったため、大正時代に詩を発表し、のちには句集や、詩をもとに作曲された歌のレコードが作成されている。
1935年(昭和10年)12月1日に皇族議員として貴族院議員となる。
軍での経歴としては陸軍士官学校と陸軍大学校を卒業後、陸軍大尉として支那覇権軍総司令部に勤務、その後大本営参謀に携わった。終戦間際には東条英機内閣に対するクーデターを画策した津野田事件にも関与している。皇族会議においては昭和天皇の終戦の意思を尊重する意思を示し、陸軍大臣の戦争継続を断った。
1946年(昭和21年)5月23日に貴族院議員を辞職。1947年から東京大学文学部で歴史学の研究院となる。戦後は歴史学者として複数の大学で教員を務めた他、研究機関や学会の会員にもなっている。歴史学者としての書籍も出版されている。
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最終更新:2025/12/07(日) 08:00
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