不逞鮮人とは、排日運動に参加した朝鮮人に対して用いられた用語である。 今村鞆によると、「排日鮮人」という語を伊藤統監が嫌って公文書に表記することを禁止したため、警務局の誰かによって造られたという。戦前は大正時代の朝鮮半島や満州にて用いられ、戦後は日本各地の在日朝鮮人の暴動について新聞等で用いられた。
本来は韓国併合後の日本政府に不満を持つ内地の朝鮮出身者や、満州の朝鮮人反体制派、朝鮮独立運動家、犯罪者をさした。不満の有無に関わらず朝鮮人全般を一種見下しても用いられた。
戦前は「怪鮮人」と共に新聞等でも公に使われていた。1919年の三・一独立運動以降、朝鮮人が凶悪なテロリストとしてマスコミや官憲の恐怖と不安の対象となり、「不逞鮮人」という表現が登場し、一時期は流行語にもなった。
大正時代にはロシアにより赤化(共産化)された朝鮮人が多数居た。その様な朝鮮人は赤化鮮人とも呼ばれ、京城(現ソウル)にて斎藤総督の自動車に爆弾を投げ込んだりした。
李王世子暗殺未遂事件で犯人の徐相漢は不逞鮮人として報道された。
関東大震災でも朝鮮人が暴動を起こした等と報道された際、同表現が使われた。
現在は差別語とみなされるが、行動する保守など、あえてこの語を用いる者も見られる。
朴烈が発行した雑誌名。「太い鮮人」と書いて「フテイセンジン」と読ませた。
太いはダブル・ミーニングである。上記の差別語に対する反発でつけたといわれる。
【関連作品】
清水国治著「満州駐屯守備兵の思ひ出」 (遼東新報出版部, 1924) … 国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧可
不逞鮮人に関するニコニコ動画の動画を紹介してください。
不逞鮮人に関するニコニコ市場の商品を紹介してください。
不逞鮮人に関するニコニコミュニティを紹介してください。
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/10(水) 17:00
最終更新:2025/12/10(水) 16:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。