伊勢神宮とは、三重県伊勢市にある神社。
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天照大御神の御神体で、三種の神器のうちの一つ。2000年間一度も滅失した記録がない。
光華明彩(ひかりうるわ)しくして六合(あめつち)の内に照徹らせり、または、国の内に隈なく光が照り徹るとされる。
八咫鏡の所有者である天皇陛下さえも、その御鏡をご覧なさったことはない。八咫鏡を見た者は祟られて死ぬとされており、御袋に包み木箱に収められて厳重に安置されている。かなり大きなもので、その重量も複数人でやっと持てるものと伝えられる。
天照大御神が天の岩戸に隠れた岩戸隠れの際、石凝姥命が拵えたという神鏡で、天宇受売命が踊りを舞い、何事かと思った天照大御神が岩戸を開いて、「貴方より優れた神が顕れて、御名で喜んでいる」といわれ「何か怪しい」と更に岩戸を開いて「その神の御姿を見られよ」と天照大御神のお姿を映した八咫鏡を見せ更に岩戸を開いて、表に出た所を天之手力男之神が力一杯天照大御神の御手を引っ張って天ノ岩戸開きをした。
伊弉諾尊によって生み出された三貴子の一柱である天津神。八百万の神々の中心的存在で、太陽を神格化した女神。高天原(天上世界とその一部である地上世界)の主宰神(統治者)であり、世に光と秩序を与え、五穀豊穣、安寧をもたらすとされる。
皇室の御祖神であり、日本国民全員の総氏神(御親神)とされる。詳細は「天照大御神」の記事を参照。
東に一柱。天照大御神がお隠れになった天岩戸をこじ開け、天照大御神の御手をお引きになった天津神で最も地力が強いとされる男神。筋力や腕力の象徴、力の神、スポーツの神様として信仰される。
西に一柱。天照大御神の御子の天忍穂耳命と結婚し、天火明命と瓊瓊杵尊を産んだ女神。織物の神として信仰される他、安産、子宝等の神徳をもつとされる。
天照大御神の荒御魂を別宮として御祀りする社殿。賽銭箱があるので、身に余る個人的なお願い事は必ずこちらの御宮でする。内宮の荒祭宮と、外宮の多賀宮。神宮を代表する二柱の荒御魂を御祀りする宮社には鳥居がない点も興味深い。
近鉄鳥羽線、五十鈴川駅から歩いて10分。天照大御神の弟神である月の神様 「月讀尊」を御祭神とする。縁結びや夫婦円満を願う人にお勧めする。社殿を守るような大きなクスノキには参拝客も圧倒される。
御幸道路側から入るのが表参道、23号線側から入るのが裏参道となっており、表参道から入るのが正式。参道は右側通行。
お社に向かって、左から①伊佐奈弥宮(いざなみのみや)、②伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)、③月讀宮(つきよみのみや)、④月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)となっています、参拝の順序は③月讀宮→④月讀荒御魂宮→②伊佐奈岐宮→①伊佐奈弥宮が一般的。4社が仲良く並んでいるとても優しく穏やかな雰囲気に包まれた神社。罪 、穢れを祓い、清める力が強いとされる。
JR紀勢本線、滝原駅から歩いて15分ほど。倭姫命が天照大御神の御鎮座の場所を求めて各地を旅する中で、倭姫命がこの土地の美しさに惹かれ、御宮を一時建てられたのが起源とされる神社。清らかな川と平行して伸びる真っ直ぐな参道を森の奥へ進んでいくと、せせらぎの音が聞こえてくる。社殿には黒と白の玉石が敷かれており、とても雨が似合う御宮。
近鉄志摩線、上之郷駅から歩いて3分ほど。森の奥にある伊雑宮(いざわのみや)は、数々の巨木が神秘的な雰囲気を醸しており、岩のように見える巨木が魅力。地元民は「いぞうぐう」と呼び、古くから海の守り神として猟師や海女さんに親しまれてきた。静寂の中で心も洗われる御宮。
伊弉諾尊の御子神で、特に風雨を掌られる神、級長津彦命、級長戸辺命を御祀りする。雨風は農作物に大きな影響を与えるので、神宮では古より正宮に準じて丁重に扱われる御宮。毎年5月14日と8月4日の2度、風雨の災害が無いよう、また五穀が豊かに実ることを祈願する風日祈(かざひのみ)祭が行われる。これは鎌倉時代の「御笠(みかさ)の神事」を元とする。
1975年に新左翼の共産主義者同盟戦旗派(現アクティオ・ネットワーク)が起こした放火テロ事件、風日祈宮放火事件を境に、神宮では赤外線監視装置の設置について議論され、日本警備保障(現セコム)に打診すると、日本警備保障は自然木のように特別に偽装した機械警備システムを伊勢神宮に無償で奉納した。
伊勢の地に天照大御神を祀った第11代垂仁天皇の皇女。皇大御神の御杖代として活躍し、神宮の祭祀と経営の基盤を確立した。
JR東海伊勢市駅と近鉄宇治山田駅から三重交通神都線バス(外宮・内宮循環)の「徴古館前」で下車すると、すぐ表参道の鳥居が見える。広大な倉田山の森に包まれ、ゆるやかに蛇行した参道や石段が変化に富んだ景観を作り出し、どこか女性的で大らかな雰囲気を味わえる倭姫宮。
甚大なる御功績を御示しになられたにも関わらず、倭姫命を奉る御宮が伊勢市に存在しなかったことを嘆き、御徳をお慕いしたいと大正の初年から神宮司庁と宇治山田市(現在の伊勢市)が命を奉る御宮の創立を請願してきた。そして大正10年1月4日、皇大神宮別宮としてのご創立が許可され、同12年11月5日に御鎮座祭が執り行われた。地元民の愛が、皇大神宮別宮という大変立派な格式の御宮に倭姫命を御鎮座するという価値ある結果を結んだのだ。神宮の御宮の中でも、最も新しい神社である。
天照大御神の大御食を司る御食津神。また、衣食住あらゆる産業の守り神として厚く信仰され、とりわけ食物・穀物を司る女神。
皇大神宮が伊勢に御鎮座してから約500年後に、『丹波の国の比治(ひじ)の真名井(まない)の原という所にまつられている豊受大神を御饌(みけ)つ神として私の近くによんでほしい。一人では大御食(おおみけ)(お食事)も安心して食べられない』と天照大御神から雄略天皇への神示があり、丹波の国から伊勢の度会の山田原にお迎えして御宮を建てられたことが、豊受大神宮(とようけだいじんぐう)の由緒である。伊勢神道(度会神道)は、豊受大御神をお祀りする外宮が内宮より至上の神社と考えた。
豊受大御神が天照大御神の大御気を司る神であることから外宮だけにあるのが御饌殿(みけでん)。毎日朝夕の二度、神々に御食事を用意する日毎朝夕大御食祭(ひごとあさゆうおおみけさい)、通称常典御饌は、1500年以上前から、一日たりとも欠かさず営々と続けられている日本(世界)最長の祭事。忌火屋殿(いみびやでん)は神様の御気を調理する台所とされる。忌火とは「特別な火」の意味ですべての神事や宮中で使用される清浄な火であり、外宮では弥生時代に発明された「舞錐式発火法」で火をきりだす「御火鑽具(みひきりぐ)」を使用して、神饌(神様の食事)を調理する忌火を現代でも起こしている。また、神様にお供えする御料水は、毎朝、上御井神社(かみのみいのじんじゃ)から汲んでおり、この御水は、高天原の天の忍穂井(あめのおしほい)から移されたと伝えられている。
一説には田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命という宗像大社関係の三神が祀られているとされる。 (この三神は天照大御神と素戔嗚尊の御子で、豊受大御神とともに丹後から遷られたとされている。或いは、天津彦々火瓊々杵尊、天児屋根命、太玉命。
正宮前の池の横の亀石を過ぎ、土宮と風宮の間にある石段を98段登った丘の上に鎮座。外宮での個人的なお願い事は、是非多賀宮で。外宮の多賀宮と、内宮の荒祭宮。神宮を代表する二柱の荒御魂を御祀りする宮社には鳥居がない点も興味深い。
山田の原の守護神。宮川の氾濫や、堤防を守護する神様とされる。また、日々の暮らしや人々の生活を支えてくれる外宮宮域の土地の土着神とされる。
JR伊勢市駅前から南に10分。また、外宮から北に徒歩で10分。厚生小学校のすぐ裏手にあり、皇大神宮別宮の月讀宮が月讀尊と月讀尊荒御魂がそれぞれ社殿を分けて御祀りしているのに対し、こちらは月夜見尊の和御魂と荒御魂が一つの社殿に合わせて御祀りされている豊受大神宮(外宮)別宮の神社。楠、欅、杉その他常緑の木々のおい茂った社がある。一歩神域に入ると、町中の御宮とは思えない清らかな静謐が感じられる。地元では「つきよみさん」と親しみみを込め呼ばれている。
「豊受大神宮(外宮)」の北御門と「月夜見宮」を結ぶ一直線の道は通称「神路通り」と呼ばれる路で、神の通い路として神話の時代から存在していたと伝承され、道の真中は歩かない、また穢れに触れてしまった者はその道を避けて通らなかったという習慣があった。月夜見命が白馬に乗って豊受大御神の許へ向かったとされる「白馬伝説」も伝えられている。神路通りの白い石畳が、月夜見尊の御馬へと変身するのだ。
『宮柱建て初めしより月讀の神の往きかふ中のふる道 月讀の宮仕へとて夙(つと)に起き通ふ神路を清めざらめや』
風宮は風の神様で、風と雨の順調をお祈りする農業に関する神様を御祀りする御宮であるが、元寇の際に二度の神風を起こしたのが風宮とされ、以降は護国の祈願対象にもなっている。 また昭和33年の伊勢湾台風で神宮の参道の巨木が次々となぎ倒された際も、神宮では倒木のために風宮の茅葺屋根のみが真っ二つに裂けて壊れただけで、内宮外宮共に風宮以外は一切の被害が出なかった。神職や地元民からは自らが受け入れ他の社を守られたという逸話が根強く伝えられ、困難なときに現状打破を願ってお参りすると道が開けると信仰される。
日本では、古来より神の御魂(御霊、御心)について人間に様々な恵みをもたらす一面、「和御魂(にぎみたま)」と逆に天災などの災いをもたらす別の荒々しい一面、「荒御魂(あらみたま)」の2つの側面があると考えられており、同一の神でも全く異なる程の激しい神性を持つと考えられてきた。これは、日本人の自然に対する感謝と畏敬の観念が、神々に対する思想として反映されたアニミズム的解釈論である。災いをもたらす程の荒々しい一面である荒御魂は荒魂(あらたま)と呼び、能動的で勢いのある神性は、伊勢神宮では別宮として両方を御祀りする。
伊勢市の面積の約1/4を占める内宮の宮域は、五十鈴川の川上につらなる神路山と島路山で総面積は5500ヘクタールの広さがあり、奥の方の3500ヘクタールには将来の式年遷宮御用材造成と水源確保のためのヒノキの造林となっている。神域と宮域林に大別され、神域は社殿を中心とした付近93ヘクタールの区域で創建以来一度も斧を入れたことの無い禁伐林となっている。宮域林はさらに神域周辺と宇治橋付近1000ヘクタールの第一宮域林とそれ以 外の4400ヘクタールの第二宮域林に区別される。第一宮域林は大部分を天然林が占め、樹木の育成に必要な場合を除いて伐採が禁じられている。第二宮域林は五十鈴川水源と宮域の風致保全を目的としている他、社殿造営用の備材もここで育てられている。式年遷宮で御用材として必要なヒノキの数は1万本とされている。
神宮の建物は『唯一神明造り(ゆいいつしんめいづくり)』といい、出雲大社の大社造とともに、日本最古の建築様式を伝える。ヒノキの素木を用い、切妻、平入の高床式の穀倉の形式から、宮殿形式に発展したものである。屋根は萱で葺き、柱は掘立、全て直線的である。屋根の両端には内削(水平切)の千木が高くそびえ、棟には10本の鰹木が列び、正殿を中心にして、瑞垣・内玉垣・外玉垣・板垣の4重の御垣がめぐらされている。 正殿のお屋根は萱葺で、両妻は直径79cmの太い棟持柱が支えている。その棟には屋根の重しである鰹木が10本列び、その東西両端、破風板の先端が屋根を貫いて、千木になっている。内宮では、千木の先は水平に切られていて、これを内削(うちそぎ)という。
内宮では千木が水平切の内削ぎ、鰹木が偶数の10本。外宮では千木が垂直切の外削ぎ、鰹木が奇数の9本と覚えるといい。同様に、別宮では祭神の男女を問わず内宮別宮は内削ぎ・偶数の鰹木、外宮別宮は外削ぎ・奇数の鰹木であり、摂社・末社・所管社も同様である。同じ女神であるのにこのように違いがあることは興味深い。
全国に二十五社ある神宮号の神社で、参宮と呼ぶのは神宮への参拝だけです。昔から「一生に一度は詣りたい」と言われる神宮は、三重県伊勢市の駅からすぐ近くの以外にもアクセスの良い立地にあります。
直会をするまでが正式な参宮です。神宮での参拝が完了したら、すぐ近くにある伊勢神宮内宮の鳥居前門前町「おはらい町」の中ほどにおかげ横丁があります。赤福やアワビ、松阪牛に手こね寿司と美味しいものがたくさんあります。
外宮から内宮までは5.5㎞と以外に距離があります。そんな時に役立つのが、式年遷宮で観光客が賑わいを博す伊勢に新たに運行を開始した「神都バス」です。外宮前⇔内宮前で、大人700円・小人500円です。昔懐かしいチンチン電車のデザインです。
※年末年始やゴールデンウィーク、伊勢神宮で大きなイベントが開催される際は交通規制が行われます。その際は、伊勢西IC・伊勢ICではバス・タクシー・バイク・緊急自動車・許可車以外は降りられなくなります。
そのため、うっかり玉城ICを通過してしまった場合は伊勢自動車道に直通する伊勢二見鳥羽有料道路に誘導され、特設有料駐車場に強制的に駐車のうえ、専用シャトルバスで伊勢神宮に向かうことになるので要注意!
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