伏見稲荷大社 単語


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伏見稲荷大社・千本鳥居

伏見稲荷大社とは、京都市伏見区深草の稲荷山西麓に鎮座する神社である。

2011年をもって御鎮座1300年を迎えるとされ、現在記念事業が進められている。

概要

稲荷神を祀る稲荷神社の総本社。日本全国に3万社とも4万社ともいわれる「稲荷神社」はその多くが伏見稲荷大社から勧請(ある神社に祭られている神様の霊を分けて他の神社にも祀ること)されたものである。

元来は農耕神であるが、現在では五穀豊穰・商売繁昌・殖産興業・交通安全など幅広いご利益があるとされ、年間約1000万人が訪れる。初詣には三ヶ日で約250万人が参詣、これは関西で最多、全国でも五指に入る。また2月の初午の日にはお山めぐりをする参拝客で賑わう。

門前の通りには稲荷寿司をはじめ「稲荷」の名のつく土産物が並ぶ。ここ特有の名物が雀の焼き鳥で、山椒をかけて食べる。ただし最近は雀を取る猟師が減っていることや、中国産スズメが禁輸されたことなどにより雀の焼き鳥を売る店が少なくなっているという。

東山三十六峰の最南端にある稲荷山(海抜233m)を神域・境内とし、その西麓に本殿がある。

祭神

祀られているのは以下の五座。これらは「稲荷大神(稲荷五社大明神)」の広大な神徳を、それぞれ神名化したものとされている。

宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
【下之社、本殿中座】 主祭神、穀物・農耕・商工業の神様。
佐田彦大神(さたひこのおおかみ)
【中之社、本殿北座】 別名「猿太彦大神」、交通安全・道中安全の神様として知られる。
大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)
【上之社、本殿南座】 市場・食物の神様。
田中大神(たなかのおおかみ)
【下之社摂社、本殿最北座】
四大神(しのおおかみ)
【中之社摂社、本殿最南座】

歴史

  • 711年(和銅4年)2月初午の日(7日)
    秦氏の伊呂具(伊呂巨)が金持ち自慢に、餅を的にして矢で射た(つまり「それほどうちには米が一杯あるぜ!」という自慢)ところ、餅が突然白鳥に姿を変えて飛び去った。鳥は山城国紀伊郡稲荷山の三ヶ峰に舞い降り、その峰に稲がたわわに実った。この奇跡を見た伊呂具が「伊奈利」の名をもって3つの峰に3柱の神を祀った。これが伏見稲荷大社の起源という。(『神名帳頭註 所引 山城国風土記』など)。
  • 816年(弘仁7年)
    現在の場所に社殿を建立。
  • 827年(天長4年)1月19日
    淳和天皇が病に付した際、東寺建立の時に伏見稲荷の樹を切り倒して使ったことが原因と占いに出たことにより、病を静めるために天皇から従五位下の神階を授かる。のちに段々とランクアップして行き、942年(天慶5年)には正一位の極位に。
  • 963年(応和3年)
    京都の巽(東南)を鎮護する神社と定められる。
  • 1039年(長暦3年)8月18日
    二十二社(国家の重大事に朝廷から特別に奉幣を受けた22の神社)の上七社に列せられる。
  • 1072年(延久4年)3月26日
    後三条天皇がはじめて稲荷・祇園両社に行幸、以降「両社行幸」として鎌倉時代まで慣例として継続。
  • 1468年(応仁2年)3月21日
    稲荷山の東軍の陣に西軍が攻め入り、山上・山下の社殿など大半が焼亡。
  • 15世紀後半
    応仁の乱後、東寺の末寺である愛染寺が境内に建立され、社殿修復や勧進などを管理する。
  • 1499年(明応8年)11月23日
    現在の本殿が復興される。
  • 1868年(慶応4年/明治元年)
    廃仏毀釈が命じられ、愛染寺など社内の仏殿・仏像が廃される。
  • 1871年(明治4年)5月14日
    官幣大社に列せられる。
  • 1946年(昭和21年)11月6日
    官制神社諸法規廃止および宗教法人法制定により、宗教法人伏見稲荷大社に改称。

境内

境内にある主な建築、見どころ。稲荷山中のものは「お山巡り」の項にて。

楼門
1589年(天正17年)、豊臣秀吉が母・大政所の病気平癒を祈って造営した、入母屋造り二層の大門。楼門前の一対の狐の像は宝珠と鍵を銜えていて、これはそれぞれ御祭神の御霊と米倉の鍵とされる。
本殿
1499年(明応8年)に復興された檜皮葺きの社殿で、五間社流造と呼ばれる形式。四方に高欄がめぐらされた豪放優雅な建築で、これを「稲荷造り」ともいう。重要文化財。
内拝殿
内部が祈祷拝受座になっている拝殿。1694年(元禄7年)の造営の際に本殿に付加された唐破風朱塗りの向拝が、1961年(昭和36年)に切り離して内拝殿に付加された。
外拝殿
楼門と同時期に造営され、1840年(天保11年)に改築。軒先に12基の鉄製釣り灯籠が下がっており、その窓には黄道十二宮の星座があしらわれている。
神楽殿
本殿右手にあり、1882年(明治15年)に能楽殿として建造された。毎日のように神楽が奉納され、見所の一つとなっている。
御茶屋
17世紀初めに建てられたもので、1641年(宝永18年)に後水尾上皇から大社祠宮の羽倉延次に下賜された。書院造りから数寄屋造りに移行していく過程を示す貴重な建築。重要文化財で非公開。

お山巡り

伏見稲荷大社が鎮座する稲荷山は、山自体が神の宿る場所・神奈備とされ、信仰の対象になっている。その稲荷山中にある一ノ社から三ノ社までを巡拝することを「お山巡り」といい、お山巡りをすることを「お山する」ともいう。お山巡りは平安時代から行われており、江戸時代頃までは2月の初午の日に行うのが通例だった。現在は年中お山巡りの参拝客を見ることができるが、稲荷御鎮座の2月初午の日は特に沢山の参拝客でお山が賑わう。

随筆『枕草子』には、清少納言がお山巡りをした時のエピソードが書かれている。
初午の日の夜明けに出発してお山巡りに挑む清少納言。中社のあたりまで来た時点で既に苦しく、「なんとか上ノ社まで行きたい!」と思いつつ登っていくも気づけば巳の刻(午前10時頃)。疲れのあまり暑ささえ感じ、泣きそうになりながら休憩していると、通りすがった年の頃40ほどの女性が、同様にすれ違った知人らしき人に「今日は7回巡るつもりです、もう3回巡ったからあと4回くらい楽勝です」と告げ、スッサスッサと登っていく。それを見た清少納言は非常に羨ましがったとかなんとか。

お山巡りは一回り約4km、所要時間の目安はおよそ2時間弱。ただし色々じっくり見てまわるともちろんこれ以上の時間がかかる。お山巡りのルートはアップダウンに富み、ハイキングコースとしても人気がある。以下に、お山巡りのコース中にある主な見どころを記す。

千本鳥居
社務所横の鳥居をくぐって石段を登り、右に折れて更に登ると奥へと続く鳥居のトンネルが目に入る。これが伏見稲荷と言えば真っ先に連想される「千本鳥居」である。居並ぶ鳥居は参詣客によって奉納されたもので、古くは江戸時代から鳥居奉納の習慣があったという。
はじめは大きな鳥居の一本道が続き、途中で二叉に別れてそれまでよりは小さな鳥居が30cm間隔ほどで隙間なく続く。昼は木漏れ日に映え、夜は灯りの中で幻想的な雰囲気を浮かべる朱色の空間は、どこか非日常的な感覚を呼び神域にいることを思い起こさせる。
奥社奉拝所
千本鳥居を抜けると、山下から三ヶ峰を遥拝する命婦谷の奥社奉納所、通称「奥の院」に出る。ここでは狐の顔をかたどった絵馬(狐なのに馬とはこれいかに)が売られており、願い事と狐の表情を書き入れて奉納することができる。
奥の院の右奥には「おもかる石」と呼ばれる一対の石灯籠がある。この灯籠の前で願い事を思い浮かべながら灯籠の空輪(一番てっぺんの丸い石)を持ち上げて、思っていたより軽ければ願いが叶い、重ければ叶い難いという。
根上がりの松
奥社奉拝所から左奥へ入ったところにある、左右二股になった枯れた松の根。「膝松さん」とも呼ばれる。根元をくぐると足腰の病に効くとされる。また「ねあがり」の名から給料や株の値上がりを祈願する参拝客も。
伏見神宝神社
根上がりの松のすぐ横、参道右手の脇道を5分ほど登ったところにある神社。稲荷神社が山上に創祀された頃からの奉拝所だったと伝えられる。御祭神は天照大御神と稲荷大神。天照大御神から授けられた十種の神宝が奉安されているという。
熊鷹社・新池
根上がりの松から奥へ奥へ、更に続く鳥居の道を抜けていくと、池の畔の石積みに建てられた拝所が見える。ここが熊鷹大神を祀る熊鷹社で、水商売や勝負事にご利益があるという。池の名は新池、別名・谺ケ池(こだまがいけ)といい、尋ね人がある時に池に向かって柏手を打ち、こだまが返ってきた方角を探すと手がかりが得られるという言い伝えがある。
四ツ辻
熊鷹社から三ツ辻を右に曲がり、登った先にあるのが「四ツ辻」と呼ばれる場所である。鳥居越しに京都市街を望むことのできるこの場所から、三ヶ峰への巡拝路、田中社のある荒神峰への参道、御幸奉拝所への参道が伸びている。三ヶ峰への巡拝路はここを基点にぐるり一周する形になっていて、右回りで巡るのが正式ルート。なおアップダウンを勘案すると逆回りの方がちょっぴり楽だったりする。
御膳谷奉拝所
四ツ辻から眼の病気にいいという眼力社を通った先にあるのが御膳谷奉拝所。かつてここには神饗殿(みあえどの)と御竈殿(みかまどの)があり、三ヶ峰に向かって神供されたという。この風習は毎年1月5日の大山祭となって引き継がれている。
現在ここには数多くの「お塚」が密集している。お塚とは個人が稲荷神に様々な神名をつけて祀った石碑で、稲荷山全体で1万以上のお塚があると言われる。
清滝
御膳谷奉拝所からの脇道を下ると、滝行の場として知られる清滝がある。滝の横には参籠・修練のために晴明舎が設けられている。
薬力社・おせき社
御膳谷奉拝所から清滝への脇道が再び合流するあたりにある社。薬力社は万病平癒に、おせき社は風邪・喘息など咳の病に霊験があるという。薬力の滝という小さな滝も見られる。
御剱社(長者社神蹟)
秦氏の祖神を祀った最初の社があった神蹟。現在は御剱社が建てられ、「剱石」という聖石が祀られている。劔石は社殿内にあるためその姿を拝むことは出来ないが、その名の通り剣に似た形状の石で鍛冶などに霊験があるという。また社殿裏には「雷石」という巨大な自然石がそびえている。こちらは昔から信仰されている岩であること以外はよくわかっていない。
神蹟左手には「焼刃の水」と呼ばれる井戸がある。ここは謡曲「小鍛冶」の中で三条小鍛冶宗近が名剣「小狐丸」を鍛えたとされる場所である。
一ノ峰(上之社)
大宮能売大神の祀られる上之社。長く続いた登り道もここまで、上社のある一ノ峰が稲荷山の山頂である。上社は末広大神の名でも信仰されている。
二ノ峰(中之社)
佐田彦大神の祀られる中之社。青木大神の名で崇められている。
間ノ峰(荷田社)
伊勢大神の名で崇められている。「奴禰鳥居(ぬねとりい)」という珍しい鳥居がある。
三ノ峰(下之社)
宇迦之御魂大神の祀られる下之社。白菊大神の名で崇められている。以上4つの社は、いずれも社を取り囲むように沢山のお塚が置かれている。

四ツ辻からの道は、三ヶ峰とは別に次の場所へも通じている。

荒神峰(田中社)
権太夫大神の名で崇められている。裏手は展望所となっており、京都市街の北のほうまでを一望できる。
御幸奉拝所
1963年(昭和38年)に開かれた奉拝所。荒神峰に上る参道左脇にある土道を下り、白滝・泉湧寺への分岐を右に見ながらさらに行ったところにある。左奥には横山大観の筆塚があり、周りを黒竹に囲まれている。
なお、この御幸奉拝所の先の急勾配の舗道を下っていくと東福寺近くの住宅地に出ることができる。

伏見稲荷大社と狐

全国の稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社では、狐が神の使いとされている(よくある誤解だが、稲荷神そのものが狐なのではない)が、この由来には諸説ある。
ひとつには稲荷神は食物の神、つまり御饌津神(みけつかみ)であることからミケツが転じて御狐・三狐(みきつね)となったという説。またひとつには、稲荷神は東寺の鎮守であり、東寺の本地仏である荼枳尼天が狐を眷属とするのに由来する、という説がある。

これとは別に、伏見稲荷と狐にまつわる話が空海の弟子・真雅僧正が著したとされる『稲荷流記』に見られる。

平安時代初期、弘仁年間のこと。平安京の北にある船岡山の麓に善良な年老いた白狐の夫婦が5匹の子狐とともに住んでいた。夫の方は銀の針のごとき白く美しい毛並みと五鈷杵の形をした尾を持ち、妻は鹿の姿の首をしていた。

常々世の為人の為に尽くしたいと考えていた狐の夫婦だが、畜生の身ではその願いは果たしづらい。そこである時子狐とともに稲荷山に参拝し、「願わくば稲荷神の眷属となってその御神威をお借りし、この願いを果たさん」と祈った。するとにわかに神壇が鳴動し、稲荷神から、「その願い聞き入れよう。今より長く当社の仕者となって、参詣者・信仰者を扶け憐むべし」とのお告げがくだった。

これにより狐の夫婦は稲荷山に移り住み、夫が神社に、妻が下社に仕え、稲荷神の慈悲付託に応えるべく日夜精進した。また夫の狐は小薄(おすすき)、妻の狐は阿古町(あこまち)の名を稲荷神から授けられたという。

これよりのち稲荷社の眷属神として命婦社(白狐社)が境内に祀られるようになり、現在でも本殿左裏手、お山巡りの出発点辺りにある。

東寺との関わり

伏見稲荷大社と東寺(教王護国寺)との関わりは古い。

平安初期の823年(弘仁14年)、嵯峨天皇から東寺を下賜された弘法大師空海は、東寺を真言密教の道場と定めて大規模な造営に着手した。このときに現在東寺のシンボルともなっている五重塔が建立されたが、そのために用材が稲荷山から切り出された。五重塔の創建が着手された翌年の827年(天長4年)、淳和天皇が突然病に伏せる。原因を占いで探ったところ、稲荷山の神木を伐採したことによる祟りだと出た。天皇はすぐに使者を遣わし、稲荷神に従五位下を授けて怒りを鎮めたという。これを契機に伏見の稲荷神の神威が知れ渡り、畿内有数の社として発展して行くこととなった。

いっぽう伝記絵巻『弘法大師行状絵詞』には、紀州で空海と出会い、再会の際に仏法を守護するという約束を交わした稲荷神(宇迦之御魂大神)が、7年の後、身の丈8尺(約2m40cm)ほどで背中には稲を負い手には杉を持った老人の姿で女性2人と子供2人を連れて空海を訪ね、空海は稲荷神を歓待したのちに稲荷山に導いて鎮座させたというエピソードが描かれている。なお実際の伏見稲荷大社の創祀は前述の通り空海の頃より100年ほど古い。

東寺五重塔創建をきっかけに東寺と伏見稲荷に交流があったのは確かなようで、東寺には古くから稲荷神が鎮守社として祀られている。また応仁の乱直後には東寺の末寺として愛染寺が伏見稲荷の境内に建立され、応仁の乱で焼失した社殿の復興に寄与した。また明治の廃仏毀釈までは、稲荷山では狐にかかわる仏様として荼枳尼天が崇拝されていた。
現在でも、毎年5月3日に行われる稲荷祭の還幸祭において、神輿が伏見稲荷大社に還る途中に東寺東門に立ち寄って東寺の僧侶による神供を受けるという儀式がある。これは前述の空海が稲荷神を歓待した話に基づくという。

祭礼・行事

日付 祭礼 詳細
1月1日 歳旦祭 年の始めに国家安泰と一年の平穏無事を祈る。
1月5日 大山祭 稲荷山七神蹟の外玉垣に注連縄を張る神事。
成人の日 成年祭 新成人を招き加護を祈る行事。
1月12日 奉射祭 斎場で宮司が矢を放ち、邪気を祓い陽気を迎える行事。
2月節分 節分祭 厄除け及び招福祈願。外拝殿では福男・福女・福娘による豆まきが行われる。
2月初午 初午大祭 稲荷大神がはじめて鎮座したとされる和銅4年2月初午の日を偲ぶ大祭。
お山めぐりをする参拝客で稲荷山が埋まる。
2月11日 紀元祭 神武天皇即位にあたる建国記念日に国家安泰を祈る祭事。
2月17日 祈年祭 一年の五穀豊穣を祈る祭事。
4月1日 献花祭 池坊華道会による献華の儀。
4月8日最寄の日曜日 産業祭 あらゆる産業の守護神・稲荷大神に殖産興業をお祈りする祭事。
同日 献茶祭 藪内家家元奉仕による献茶の儀。
4月12日 水口播種祭 稲種を苗代田におろすのに際して、その生育を祈願する祭事。
4月20日最寄の日曜日 稲荷祭(神幸祭) 稲荷大神が神輿に乗って氏子区域を巡幸する、伏見稲荷大社の最重要祭事。神霊の移された5基の御輿が南区西九条の御旅所まで巡幸する。
4月下旬 稲荷祭(区内巡幸) 各氏子区域内を5基の神輿が巡幸する。
5月3日 稲荷祭(還幸祭) 神輿が御旅所から東寺を経て、氏子区域を巡幸したのち伏見稲荷大社に還り、稲荷大神の無事の還御を称える。
6月10日 田植祭 神饌に使われる料米の稲苗を神田に植える儀式。
6月30日 大祓式 いわゆる「夏越の祓」。元旦以来の罪や穢れを祓い清める。
本宮祭の前日 宵宮祭 境内全域の石灯籠と数千もの献納提灯に灯をともす万灯神事が行われる。
7月土用入後初の日曜又は祝日 本宮祭 稲荷大神から分霊された各地の稲荷神社信仰者が総本宮である伏見稲荷大社に参拝する大祭。
体育の日の前々日・前日 講員大祭 全国各地の稲荷信仰者によって組織される講務本庁の講員による祈願行事。
10月24日 献茶祭 裏千家家元奉仕による献茶の儀。
10月25日 抜穂祭 神田に稔った稲を刈り取る祭事。
11月1日 献花祭 嵯峨御所大覚寺御流華道総司所の奉仕による献花の儀。
11月8日 火焚祭 五穀豊穣を感謝し、奉納された火焚串を焚き上げる祭事。
同日 御神楽 本殿前にて早韓神の曲に合わせて「人長舞」が舞われる。
11月23日 新嘗祭 抜穂祭で刈られた稲を稲荷大神に供え、豊作の感謝と国家安泰祈願を行う祭事。
12月23日 天長祭 今上天皇の誕生日を祝う祭事。
12月31日 大祓式 夏越の祓以降に犯した罪や穢れを祓う神事。
同日 除夜祭 一年の無事を感謝する祭事。

アクセス

  • JR奈良線「稲荷駅」下車 徒歩2~3分
  • 京阪電気鉄道京阪本線「伏見稲荷駅」下車 徒歩約5分
  • 京都市営バス南5号系統「稲荷大社前」下車
  • 名神高速道路京都南ICから約15分 駐車場200台(無料)

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