内之浦宇宙空間観測所(USC)とは、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が運用するロケット打上・通信施設である。
| 今後の打ち上げ予定 |
| 平成25年度 |
|
2013年8月22日(木)
イプシロン 初号機 |
鹿児島県肝付町南東部(北緯31度12分 東経131度06分)に存在する。内之浦はこの地の合併前の町名より。かつては鹿児島宇宙空間観測所とも。
1962年に開設され、以来科学観測系の調査を行う宇宙科学研究所(ISAS)の最前線として使用されてきた。1970年に日本初の人工衛星「おおすみ」を打ち上げたのもこの地からである。
大隅半島南東部海岸線の切り立った崖に拓かれた704,345㎡の敷地内に観測用・衛星打上用の打上施設や通信・管制施設、広報施設などが存在する。初めて訪れる者はその国際救助隊やウルトラ警備隊テイストな秘密基地っぽさ手狭さとボロさ物もちのよさにきっと驚くことだろう。
他国の打上施設はもちろん同じ国内の種子島宇宙センターと比べても、非常に見劣りする印象を与えずにはいられない当施設ではあるが、その歴史とこれまで成し得てきた輝かしき実績は他の打上施設にも勝るものであり、当施設を訪れたNASA職員が語ったとされる、
「ボロをまとったマリリン・モンロー」
という言葉が、内之浦宇宙空間観測所の姿を明確に表している。
大きく分けて「観測用ロケット打上施設(ΚSセンター)」「衛星打上用施設(Μ台地)」「コントロールセンター」「通信関連施設(パラボラアンテナ・テレメータセンター等)」「その他(宇宙科学資料館・ゲート等)」が存在する。
Μ-Ⅴロケットからイプシロンロケットに衛星打上ロケットが転換されたたことにより、当施設内もやっと色々なものが新規のものに入れ替わったり廃用され撤去されたり大雨でいままで何とかごまかし持ちこたえさせていたものが壊れたり崩れたり飛ばされたりでどうしようもなくかたしたりしてここ数年で色々様変わりしている。近年まれにみる大改装である(約四半世紀ぶり?)。
また当施設はゲートにて申し込むことにより自由に施設内を散策することができる(除く、打上前)。かつてはそれこそ打上ランチャーに触れる所まで車でそのまま乗り入れられる無頓着さ自由度を誇っていたのだが、JAXAへの統合後に元大学風土バリバリの自由奔放さあふれるISASにもお役所風土の規制・形式の嵐風が吹き込みそれまで立ち入り自由だった場所への立ち入り制限が掛けられ、今日ではΜ台地のほぼすべての区画に立ち入る事が出来ない。
当敷地内の中腹、標高276mの場所に拓かれた区画。
面積約7,000㎡の平地に組立施設と風向風速塔、危険物操作室、S-520とM-3Sの実物大模型、高さ17mの鉄筋コンクリートに覆われたランチャードームが存在し、ランチャードームの中には観測用ロケット打上用の車両型ランチャーが格納されている。
製造工場から運ばれてきた観測用ロケットは恒温室と10tクレーン2基がある組立施設で組立・整備後ランチャーに据え付けられ、ランチャードームへ移動したのちドーム天井のシャッターと(排煙の為に)前後側面の扉を解放、ドーム内で点火・発射される。
ここではSS-520、S-520、S-310といった高度100km弱~300km超の電離層~熱圏での観測・実験を目的とした観測ロケットを今現在も定期的に打ち上げている。
それ以外にも過去にはS-160、S-210、MT-135が、さらにはランチャードームが出来る前の時代にはカッパ・ラムダ各シリーズの打上も当地で行い、日本初の人工衛星「おおすみ」もこの場所から打ち上げられた。
(この時使われていたランチャーが東京 上野の国立科学博物館に収蔵展示されている)
当敷地の低い場所、標高210mの海岸に面した場所に拓かれた区画。
面積約25,000㎡にΜロケット組立室、、風向風速塔、クリーンルーム、L-3HとΜ-Ⅴの実物大模型と使用済火焔偏向板、森記念庭園、そしてΜロケット発射装置などが存在する。
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最終更新:2025/12/07(日) 01:00
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