「上海アリス幻樂団」製作によるゲーム及び物語のキャラクター。
テーマ曲はいっぱいあるので下記参照。
→東方Projectの登場キャラクター
東方シリーズの、東方文花帖を除く全ての作品で主人公(自機)として出演。
(おまけ.txtのチョイ役を含めるならば文花帖にも一応出演)
自機として出演しながらボスとしても同時出演している作品もある(東方幻想郷、東方永夜抄、東方緋想天)。
第1作東方靈異伝には魔理沙が居なかったため、もう一人の主人公である魔理沙を抜いて登場回数最多を誇る看板キャラクターであるが、ゲームのアイコン役は魔理沙に取られているため、実際のところは微妙。
「幻想郷」と外の世界の境に位置する「博麗神社」と呼ばれる神社の巫女。
単純だが裏表の無い性格で、喜怒哀楽が激しく、人間・妖怪を問わず惹き付ける不思議な雰囲気の持ち主。
ゲーム中では立ちふさがる者に対して容赦はしないが、普段は暢気な性格で危機感に欠ける。
ゲーム本編では暢気な性格を反映し、「移動速度が遅い」という特徴を持つ。また同様に、適当な性格が「ダメージ後のボム(いわゆる食らいボム)判定時間が長く、被弾を有耶無耶にしやすい」「敵として登場したときの通常弾幕が乱雑」「弾がホーミングなので正確な照準が不要」という点で表現されている。
幻想郷で広く使われているスペルカードルールを制定したのも彼女である。ちなみに彼女が博麗大結界と呼ばれる巨大結界を管理しているからこそ幻想郷という世界が保たれているので、如何なる妖怪であっても彼女を取って食ってしまう事は許されない。
スペルカードルール等のルールに基づいた決闘でなら普通に霊夢に勝つ妖怪もいるが(と言うか妖怪でも霊夢を倒せるようにするためとすら言えるが)、そうでなくても霊夢自身がとても強いので大抵の妖怪は普通に霊夢に倒される。
これだけ聞くと物凄く荘厳で恐ろしく思えるが、霊夢本人はその自覚は極めて薄く、その力を誇示することなどあるはずもなく何となくで使用しており、異変解決に行く時も異変の影響が自分に出て我慢ならないか、八雲紫等周囲の者に言われてしぶしぶ行く場合が大半である。
また東方Project(Windows版)では「博麗霊夢」と表記されているが、東方Project(PC-98版)では「博麗靈夢」という表記だった。
空を飛ぶ程度の能力
文字通り。ただ、空を飛ぶだけなら他にも空を飛べる者は一杯居るので、と言うかゲームの登場キャラは全員空を飛ぶので、持ってて当たり前の基本能力レベルの話。
霊夢のそれはもっと広い意味を持っており、その場の雰囲気に左右されにくい、あらゆるものに縛られないという概念的なものであるとの事。
この能力の究極系が、永夜抄でのラストワード・「夢想天生」である。ありとあらゆるものから「宙に浮く」事で自らの実体を消し去るため、このスペルカードは霊夢本体が消えてしまい絶対に倒せない逃げ切りタイプのスペルカードとなっている(緋想天での効果はちょっと違っているが)。神主曰く、「本気を出した霊夢に誰も敵わない理由」だそうだ。
ちなみに夢想天生は北斗の拳の「無想転生」のパロディであると神主自らが仄めかしているが、もし同じ能力を持つ人間が他にいて夢想天生同士がぶつかったら弾幕が意味を成さなくなりガチの殴り合いになったりするのだろうか。
霊気を操る程度の能力
詳細不明。紅魔郷おまけ.txtより。
博麗の巫女としての能力
求聞史紀より。上記の能力とは別のものであるという事以外の詳細が無いが、おフダや座布団、その他結界に関する力の事だと思われる。
また、「儚月抄」では八百万の神を召喚し自らの身に降ろすという術を使っていた事がある。(さらに別の能力である可能性もあるが)
霊夢はその性格から努力を面倒臭がり修行を殆どしない。
が、天性のセンスと有り余る才能によって、体術も妖術も努力をしなくても人間とは思えないくらいにとてつもなく強いらしい。(萃夢想・上海アリス通信.txtより)
いっぱいあるので別項目にて。
「東方妖恋談(アレンジ)」と「少女綺想曲 ~ Capriccio(アレンジ)」はZUN氏による作曲ではないが、公式に使用された楽曲なので記載。
東方Projectの動画はニコニコ動画(仮)スタート時から数多く掲載されてきたが、実際のゲーム動画よりも二次創作の動画が流行となる場合が多かった。
(当サークルがゲームや音楽をそのまま掲載することを禁止していた事も起因する)
特に初期はIOSYSが製作したFlashムービー(転載)が大きく影響し、主人公である本人よりも霧雨魔理沙、アリス・マーガトロイド、鈴仙・優曇華院・イナバなどのキャラクターが先に認知されるようになった。
現在では東方Projectの名前もニコニコ動画にて広く知れ渡るようになり、多くの動画にて博麗霊夢が登場するシーンが見受けられる。
本当に本気になった時、彼女は鬼巫女となる。
博麗神社の項目に書いたほうがいいような気がしないでもないが、霊夢の貧乏ネタと関係があるのでこちらに。
通常、神社と言うのは神様を祭る。
神様の力(神徳)は人々から得られる信仰の多さに比例しており、信仰を集めれば集めるほど人々に恵みをもたらす事が出来るようになる。逆に信仰が途絶えてしまうと神は力を失うどころか存在が消えてしまう。
ではどうすれば信仰をより多く得られるのか? それは「分社を建てる」事である。
もちろん地道な布教活動なども必要だが、神社が1つしかないとその周辺の人しか参拝出来ないため、信仰の拡大にも限度がある。
人々が賽銭を多くする事によって、その資金で分社を建てるのである。
神の存在と言うのは精神的概念であり、「考え方」を他人に伝えても減るものではないのと同じで、神は宿るべき場所である神社が増えて信仰する人々さえ居れば、その数だけ倍増する事ができる。
また、巫女の生活費も馬鹿にしてはいけない。
神奈子や諏訪子のように自分の肉体を持っている神様なら別だが、普通の神様は肉体を持っていないため、「神の声を聞く能力を持つ者」=巫女を通さないと人々に自らの声を伝える事が出来ない。その他神社も掃除や手入れをする必要があるので、巫女は不可欠な存在なのである。
霊夢のように別口の仕事を持っているならいいが、そうでない場合賽銭だけで生活費を賄うと言った巫女も存在する。
…と言うのは祭る神様をもっている守矢神社の話。博麗神社には祭られている神様が居ないため、信仰拡大活動をしていない。
もちろん存在自体は必要な神社であるし霊夢も巫女として必要な存在であるが、その生活費等は先述の通り別口の仕事で賄えている様子なので、賽銭が集まらなくても本来なら何の問題も無いはずである。
それでも賽銭が集まらない事を嘆くのは、神社としての存在意義に疑問を感じているからであろうか。ただ「風神録」で営業停止を言い渡されるまでは、霊夢本人は嘆きはしてもあまり本気で嘆いてはいなかった様子。
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最終更新:2025/12/21(日) 11:00
最終更新:2025/12/21(日) 10:00
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