名探偵に薔薇をとは (メイタンテイニバラヲとは) [単語記事]

名探偵に薔薇をとは、東京創元社から発売された城平京の長編ミステリ小説である。

概要

城平の長編ミステリデビュー作。1998年7月、創元推理文庫から文庫オリジナルとして刊行された。作家としてのデビューはこれより以前の光文社の公募アンソロジー「本格推理」に掲載された「飢えた天使」という短編である。

城平が初めて書いた長編ミステリにして、新人長編ミステリ作家を表彰する鮎川哲也賞の第8回最終候補作の一つ。2部構成。元々城平初のミステリ作品であり、大学時代の文芸部誌に掲載された「毒杯パズル」単独の作品に、その前日談である「メルヘン小人地獄」を第一部として追加し改稿したものである。

元々城平は作家志望ではあったが、ミステリ作家志望ではなかった。文芸部の先輩であり本作の解説も務める津田裕城から「作家を目指すのであれば志望するジャンル問わずミステリは読んでおいた方が良い」というアドバイスを受け、名だたるミステリ作品をハイペースで読破し分析するという研究を始める。数々の作品を読んだ後、その研究と自身の構想の基に書いたのが本作第二部の「毒杯パズル」である。大学の文芸部誌に掲載されたものの、部誌自体がそれほど頒布されなかったため、初版であるこの作品はほとんど現存していない。

それから複数の短編を書いて経験を積んだ城平は、不遇に終わった第一作の改稿を思い立つ。設定に自然に入れるような前日談の話を新たに追加し細かな部分の時系列や設定の矛盾を解消する改稿を行い、本作は完成した。本作の第一部は第二部のための序章として書かれたものである。

前述通り鮎川哲也賞最終候補まで残ったが、終盤の展開に前例があることを理由に受賞を逃した。とはいえ城平自身前例があることを承知の上で書いており、なお前例を知る者でも容易にそれと気づかないよう工夫している。またこの回は受賞作以外も最終候補作全てが後に刊行され、鮎川哲也賞史上でも激戦だった回として知られている。

後の作品、「スパイラル～推理の絆～」単行本のあとがきで本人が語ったところによると「笑っちゃうくらい売れていない」らしい。しかしその後、城平作品の評価・人気の高まりに伴ってロングセラーとなっているようで、2021年現在も新品で入手可能。

ストーリー

第一部　メルヘン小人地獄

始まりがあり、終わりがある。

第一部冒頭の一文

ある日、主だったメディア各社に一斉にある童話が送り付けられた。物語の名は「メルヘン小人地獄」。人間に仲間を殺された小人たちが複数のターゲットを定め、猟奇的な方法で殺害し復讐を果たすという内容である。しかし、これが書かれ送付された意図は不明であり、各社はこれをいたずらとして処理していた。

その出来事からしばらくして、大学院生の三橋荘一郎は駅の待合椅子に座っていたとき、ある男に「小人地獄をご存じか」と声をかけられる。怪しむものの正直に「知らない」と答えると、「藤田恵子さんなら知っていますよ」と返され、男はその場を後にした。その名は三橋が家庭教師をしている藤田鈴花の母親のものだった。程なく出くわした恵子に今の話を告げると、彼女は思いつめた顔で去っていった。

それから数日後、三橋に恵子が行方不明という報せが入る。警察による捜索の末、彼女は死体となって発見された。問題となったのは遺体の状況だった。先の「メルヘン小人地獄」の第一の被害者の通りに殺されており、現場には童話の一節が書き残されていたのだ。この童話を犯行予告と見た警察は本格的な捜査を開始する。三橋は生徒の鈴花のケアと彼女の父である藤田克人の相談を受け、事件の対応のために藤田家でしばらく泊まり込むこととなる。

それから程なく、第二の事件が起こってしまった。被害者は元建設会社部長の国見敏夫。やはり例の童話の第二の被害者と同様の方法で殺されており、童話の一文が残されていた。現場に彼の直筆とされる手紙が残されており、そこには小人地獄という毒が実在すること、33年前に武林善造という男により作られたものであることが記されていた。

その裏で藤田家では恵子の遺書とも言うべき手紙が発見された。そこである事実が判明する。恵子がその毒薬を作った武林善造の娘であること、書斎にある砂時計の中身は砂ではなく、父から贈られた小人地獄であること、それを使って母を殺したことが記されていた。内容が内容だけに三橋と克人はこの手紙の内容を警察にも伏せた。ただマスコミには伏せられたものの、国見の手紙から恵子が武林の娘であることは警察の知るところとなった。

更に第二の事件から時間を置いてある人物が藤田家を訪れる。それは以前、駅で三橋に意味深な言葉を投げかけた男、鶴田文治であった。彼もまた国見と共に小人地獄の製造に関わっており、実験と称して未完成品を飲まされたこともあるという。彼は自らを一連の事件の犯人と名乗るが、事件当時のアリバイを警察が保証してしまっており、自白しておきながら逮捕できない状態になっていた。その中で、鶴田は恵子が武林の娘であることをマスコミにリークすると藤田家を強請る。更に第三の事件を匂わせる事実上の犯行予告まで行い、三橋と克人は窮地に追い込まれる。

自分にはもう打つ手がないと判断した三橋はできれば使いたくなかった最後のカードを切る。「名探偵」という切り札を。

第二部　毒杯パズル

問題は、誰が、何のために、ポットに毒を入れたのか、である。

第二部冒頭の一文

第一部から2年後の12月、藤田家の団欒の場で死者が出る事件が起きた。加えて死因が問題だった。使われた毒が第一部の事件の後も藤田家に残されていた小人地獄だったのである。藤田家では関係者が決まった時間に揃ってお茶をするのが恒例だったが、そのお茶のポットに致死量の100倍以上もの毒が入っていたのだ。

その場にいたのは克人、鈴花、克人の後妻である恭子、三橋、三橋から鈴花の家庭教師を引き継いだ後輩の山中冬美、家政婦の片桐房枝の6人。被害者は山中冬美。

しかし、この事件には不審な点があった。小人地獄は致死量の20倍以上になると強烈な苦味を発し、とても嚥下できないものだった。しかし被害者である冬美は味覚障害による無味覚症だったため、あっさり飲んでしまったのである。本人が周りに余計な気遣いをさせると思い普段から無味覚症のことを話さなかったため、三橋でさえもこのことを知らなかった。

仮に犯人がこれを知っていたとしても、他の者が先に飲んでいたとしたら苦みを感じて即座に吐き出し、未遂に終わる可能性もあった。犯人は理想の毒薬を最も下手に使用したのである。

この不可解な事件を旅先で知った「名探偵」は三橋に連絡を取り、再び藤田家を訪れる。

登場人物

瀬川みゆき
本作の「名探偵」。第一部では終盤まで三橋が彼女を頼らなかったため出番が少ないが、第二部は彼女の視点で物語が進行する。
飾り気のない髪型と服装だが背が高く端正な顔立ちをしている。感情の起伏が乏しく、大学の教授からは実戦用の甲冑のようだと評されている。
第一部では大学生で三橋の学部の後輩だが、三橋とは高校時代からの友人。その当時から探偵として有名であり、ある事件で仲介役として対面したのが三橋との出会いである。探偵として頼られることは多いものの、友人ともいえる人物は三橋くらいのもの。
探偵と言っても有償で動くわけではなく、解決後に謝礼を出されても拒否している。それでも相手が引かなかった場合は一部だけ受け取る。
第一部では大学の4回生で、三橋が彼女を探しに大学に来た頃には卒論の完成品を既に提出していて卒業を待つだけの身だった。卒業後は放浪の旅に出ている。第二部では旅先で事件のことを知り、三橋に連絡して藤田家を訪れた。

三橋荘一郎
瀬川の友人。第一部は彼の視点で描かれる。
180cmの長身の青年で、瀬川曰く童顔だが美形の部類に入る。
第一部では大学院生で、藤田鈴花の家庭教師を先輩から引き継いでいる。第二部では大学院卒業後、克人が経営するリース出版に入社。家庭教師は後輩の山中冬美に引き継いだが、相変わらず藤田家には出入りしている。
温厚で面倒見がいいが一度自分が決めたことを曲げることなく、行動力もあるためそれを押し通してしまう。教授ともそのようなやり取りをすることがあり、教授たちも彼の意見を気にして授業をしているという。学部でも院でも三橋についていけば間違いないと噂されているが、本人は無責任な噂だと流している。
第一部では恵子が死亡した後、家政婦の房枝とともに藤田家を切り盛りし、鈴花のケアをしながら克人の相談相手もしている。性格上事件を途中で降りることはせず、藤田家のマスコミ応対もしていたため、学内でも事件の関係者であることは知られている。
高校時代のとある事件以降、瀬川と付き合う上で彼女に名探偵としての役割を求めないことを自身に課している。そのため第一部では八方塞がりの状況になるまで瀬川を頼ることはなかった。
下宿生活が長かったために料理上手であり、とろけるオムレツを1年以上かけて研究、またおせち料理を一通り作れるほどの腕を持つ。

藤田鈴花
克人と恵子の一人娘。人見知りなところがあり、学校で男の子にちょっかいを出されて以降男性を苦手としている。当時の家庭教師にそのリハビリ代わりも兼ねて三橋を紹介され、彼が細心の注意を払いながら授業をしているのを見て、僅かながら男性不信が収まりつつある。三橋とは先生と生徒の関係だが、克人は兄妹のような仲だと語っている。体が弱く学校を休みがち。瀬川も彼女に対しては多少態度を軟化させることがある。

藤田克人
鈴花の父で、教育関連の書籍で業界中堅であるリース出版の社長。良い意味で企業の社長らしからぬ人物で、周りに気を配り、人に頼むより自ら動くタイプ。娘の家庭教師である三橋の誕生日に自分で選んだ年代物のワインをプレゼントするほど。平時の対応はそつなくこなすが、事件などの鉄火場では決断力に欠ける。親類やプライベートで親しい友人もいないため、事件発生時は三橋を頼った。

藤田恵子
鈴花の母で第一の事件の被害者。人を見る目と決断力に長けており、房枝を通じて彼女なりの最大の賛辞を三橋に送っている。小人地獄を作った武林善造の娘であり、両親は離婚していたものの、定期的に父の元を訪れていた。その際に父が彼女に誇ったものが小人地獄である。その因果を自身の運命と受け入れ、鶴田が三橋に「小人地獄をご存じか」と声をかけられたことを知ると、来るべき時が来たと直感、数日後行方不明となり、死体として発見された。

藤田恭子
第一部から1年半後に克人が迎えた後妻。大手学習塾に講師として勤めていてその縁で克人と知り合い、恋愛結婚。周りに気を配りすぎる程の気配り上手であり、あまり他人のことを気にかけない瀬川にも感心されたほど。鈴花や房枝との関係も良好だが、第二部当時まだ結婚して半年ほどだったためまだぎこちないところもある。

片桐房枝
藤田家の家政婦だが、住み込みではなく通いで、彼女にも家庭がある。第一部では三橋とともに藤田家を切り盛りしていた。恵子をとても信頼しており、克人が恭子を迎えた当初は心中穏やかではなかったが、彼女の人柄を見てその認識を改め、克人の後妻として認めている。

山中冬美
三橋の後輩で第一部では学部3回生。快活な性格で、大学院への進学を希望しており、学部生でありながら研究室に出入りして教授や院生からも可愛がられている。三橋が第一部の事件に巻き込まれていることを知り、院に顔を出した三橋を心配している。
第一部の事件後、鈴花の家庭教師を三橋から引き継ぎ、藤田家に出入りしている。彼女の性格は鈴花にいい影響を与えているようだ。本人の希望どおり大学院に進学している。
第二部では事件の被害者。無味覚症であったゆえに苦みが強烈で嚥下不可能な毒入りの茶を飲んでしまい死亡している。

田畑
本作の事件を担当する刑事。捜査の姿勢としてはあまり強硬な手段に出ることはない。またこのような作品にありがちな警察のメンツなどにこだわりはなく、名より実を取るタイプ。三橋や瀬川の提案も柔軟に受け入れ、それにより生まれる状況を楽しんでいる節もある。

国見敏夫
第一部二人目の被害者。建設会社の部長だったが会社が倒産。その前に株で失敗して多額の借金を抱えたため妻子にも逃げられており、安アパートを借りて日雇いで食いつなぐ生活を送っていた。武林善造のもとで小人地獄の製造に携わっていた過去があり、第一の事件の後に関係者の過去を記した手紙を残している。その中で今回の事件は鶴田が起こしたものだと記している。

鶴田文治
裏社会で名の知れたブローカー。あらゆるところから情報を集め、それを基に交渉を有利に進めるいわば強請り屋。情報の豊富さと仕事の確実さから裏社会で有名になり、企業や暴力団の幹部でも彼を扱いかねていた程。ただ最近は年齢のせいか立て続けに仕事を失敗し業界で干されている。国見と同じく武林善造のもとで小人地獄の製造に関わっていたが、鶴田は人体実験まで受けていた。その後遺症で一部体の自由が利かず、内臓にも異常をきたしている。

用語

小人地獄
武林善造が作り出した狂気と奇跡の毒薬。作った武林自身もどう作用するのかが解明できていない。致死量約0.1g、水によく溶け無味無臭、嚥下後1時間程度で効果が現れ、症状は心不全と区別がつかない。殺意を抱きながら警察を恐れる者にとって理想的な毒物である。欠点があるとすれば、致死量の20倍以上で強烈な苦みを発して嚥下不能になり、死後の検出が容易になることくらいのもの。正しく使えば完全犯罪も容易な代物である。細かな製法は作中で綴られていないが、材料が材料のためここでは説明を省く。解毒剤を作るための実験なども行っていたようだが、作ることはできなかった。その被験者の一人が鶴田である。