国宝(小説) 単語


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国宝』(こくほう)とは、作家・吉田修一による長編小説である。朝日新聞にて2017年から2018年にかけて連載され、後に朝日新聞出版より単行本が刊行された。

任侠の家に生まれた青年が、歌舞伎の世界に身を投じ、芸の道を極めて人間国宝にまで上り詰める壮大な一代記を描く。2025年には李相日監督により映画化され、大きな話題を呼んだ。

概要

本作は、戦後の長崎から始まり、高度経済成長期の大阪、そして現代に至るまでの日本を舞台に、主人公・立花喜久雄の波乱に満ちた半生を追う大河小説である。物語は、血筋が重んじられる伝統的な歌舞伎の世界で、何の血の繋がりも持たない喜久雄が、天賦の才と燃えるような情熱だけを武器に、芸の頂点を目指す姿を描き出す。

作者の吉田修一は、本作の構想に10年以上を費やし、執筆にあたっては3年間にわたり実際に歌舞伎の楽屋に黒衣(くろご)として入り、役者たちの息遣いや舞台裏の厳しさを肌で感じながら物語を紡いだ。その徹底した取材に裏打ちされた描写は、歌舞伎の様式美や専門的な所作だけでなく、芸に生きる人々の歓喜と絶望、愛憎渦巻く人間関係を鮮烈に描き出している。

血と才能、友情と裏切り、スキャンダルと栄光といったテーマが重層的に織りなされ、主人公がもがき苦しみながらも芸の道にしがみつく様は、多くの読者の魂を揺さぶった。2025年に公開された映画版は、豪華キャストとスタッフが集結し、原作の持つ熱量を余すところなく映像化。興行的に大ヒットを記録し、第78回カンヌ国際映画祭の監督週間部門に出品されるなど、国内外で高い評価を獲得した。

あらすじ

起:任侠の血、歌舞伎との邂逅

物語は、戦後間もない長崎から始まる。任侠・立花組の親分である立花権五郎の息子として生まれた喜久雄は、この世ならざる美しい顔立ちを持っていた。しかし、15歳の時、対立組織との抗争で父を殺害され、天涯孤独の身となる。父の仇を討とうとするも失敗し、長崎を追われることになった喜久雄。行くあてもなくさまよう彼に手を差し伸べたのは、上方歌舞伎の名門「丹波屋」の当主であり、当代随一の看板役者・花井半二郎であった。半二郎は、偶然出会った喜久雄に天性の芸の才能を見出し、部屋子(弟子)として引き取ることを決意する。こうして喜久雄は、自らの出自とは全く異なる、華やかで厳しい歌舞伎の世界へと足を踏み入れることになった。

承:ライバルとの切磋琢磨、女方としての開花

丹波屋には、半二郎の一人息子であり、梨園の御曹司として将来を約束された俊介がいた。喜久雄と俊介は兄弟のように育てられ、共に稽古に励む中で、互いを唯一無二の親友として、そして越えるべきライバルとして意識し合うようになる。喜久雄は、その美貌と天性の勘の良さで、特に女方(おんながた)としての才能を急速に開花させていく。一方、血筋という絶対的な背景を持つ俊介は、喜久雄の圧倒的な才能を前に、焦りと嫉妬を募らせていく。二人は若手花形役者として人気を博し、青春のすべてを芸に捧げ、互いに高め合っていた。

転:運命の亀裂、そして失踪

二人の運命が大きく揺らぐ出来事が起こる。ある日、半二郎が事故で入院し、舞台に穴を開けることになってしまった。誰もがその代役は息子の俊介だと信じて疑わなかったが、半二郎は「三代目半二郎」の名跡を継がせるにふさわしい大役の代役に、実の息子ではなく喜久雄を指名したのである。この決定は、俊介のプライドを深く傷つけ、二人の間に決定的な亀裂を生んだ。絶望した俊介は、喜久雄の幼なじみで、彼を追って大阪に来ていた春江と共に、忽然と姿を消してしまう。

結:人間国宝への道

俊介の失踪後、喜久雄は芸の道にさらに邁進するが、その出自やスキャンダルによって歌舞伎界から追放されるなど、数々の苦難に見舞われる。しかし、地方のドサ回りで舞台に立ち続けるなど、どんな逆境にあっても芸を捨てることはなかった。一方、失踪した俊介もまた、別の場所で「ほんもんの役者」となるべく己を磨いていた。やがて二人は舞台の上で再会を果たす。愛憎を超え、芸の高みでのみ結ばれる二人の関係。喜久雄は、その壮絶な人生のすべてを芸へと昇華させ、ついには重要無形文化財保持者、すなわち「人間国宝」の認定を受けるに至る。彼の人生そのものが、日本の芸道における一つの「国宝」となる瞬間であった。

登場人物

立花喜久雄(たちばな きくお)/花井東一郎(はない とういちろう)
演:吉沢亮(少年期:黒川想矢)
本作の主人公。長崎の任侠の家に生まれるが、父の死をきっかけに歌舞伎役者・花井半二郎に引き取られる。血筋のない世界から、天賦の美貌と才能を武器に、稀代の女形として歌舞伎界の頂点を目指す。その人生は波乱に満ち、歓喜と絶望、愛と裏切りを幾度となく経験する。
大垣俊介(おおがき しゅんすけ)/花井半弥(はない はんや)
演:横浜流星(少年期:越山敬達)
上方歌舞伎の名門「丹波屋」の御曹司で、花井半二郎の息子。喜久雄とは兄弟のように育ち、親友であり最大のライバルとなる。生まれながらに将来を約束された立場だが、喜久雄の才能に嫉妬し、自らの芸の道に苦悩する。
花井半二郎(はない はんじろう)
演:渡辺謙
丹波屋の当主で、上方歌舞伎を代表する看板役者。映画スターとしても活躍する。喜久雄の才能をいち早く見抜き、彼を歌舞伎の世界へと導いた人物。喜久雄にとっては師であり、父親のような存在。
福田春江(ふくだ はるえ)
演:高畑充希
喜久雄の長崎時代からの幼なじみ。喜久雄を深く愛し、彼を追って大阪へ出る。喜久雄の背中には、春江と共に彫った刺青があり、二人の深い絆を象徴している。しかし、彼の芸の道の妨げになることを恐れ、苦渋の決断を下す。
大垣幸子(おおがき さちこ)
演:寺島しのぶ
半二郎の妻で、俊介の母。日本舞踊・相良流の家元でもある。梨園の妻として家を支え、喜久雄と俊介の成長を厳しくも温かく見守る。
小野川万菊(おのがわ まんぎく)
演:田中泯
遠州屋の当代一の女形であり、生きながらにして「人間国宝」と称される伝説的な存在。その芸は「美しい化け物」と評され、喜久雄に大きな影響を与える。
立花権五郎(たちばな ごんごろう)
演:永瀬正敏
喜久雄の父親で、長崎の任侠・立花組の親分。抗争の末に命を落とす。

その他登場人物

  • 彰子(あきこ)(演:森七菜):喜久雄が後ろ盾を得るために近づく女性。
  • 藤駒(ふじこま)(演:見上愛):京都祇園の舞妓。後に喜久雄の子を宿す。
  • 立花マツ(たちばな まつ)(演:宮澤エマ):権五郎の後妻で、喜久雄の育ての母。
  • 吾妻千五郎(あづま せんごろう)(演:中村鴈治郎):歌舞伎界の重鎮。
  • 早川徳次(はやかわ とくじ):喜久雄と兄弟のように育った青年。原作における重要人物。

映画

吉田修一の同名小説を原作とし、2025年6月6日に公開された。監督は『悪人』『怒り』で知られる李相日。主演に吉沢亮、共演に横浜流星、渡辺謙など、日本映画界を代表する豪華俳優陣が集結した。

本作は、李相日監督が『悪人』『怒り』に続き、3度目となる吉田修一作品の映画化である。監督は「1本撮るごとに歯が1本抜ける」と語るほどの情熱を注ぎ込み、約3時間におよぶ濃密な物語を創り上げた。撮影監督には『アデル、ブルーは熱い色』でカンヌ国際映画祭パルムドール受賞に貢献したソフィアン・エル・ファニ、美術監督には『キル・ビル』の種田陽平など、世界的なスタッフが参加し、歌舞伎の絢爛豪華な世界を鮮やかにスクリーンに映し出した。

公開後、その圧倒的な映像美と役者陣の鬼気迫る演技が絶賛され、2025年公開の実写映画としては異例の大ヒットを記録した。また、第78回カンヌ国際映画祭の監督週間部門に出品されるなど、国際的にも高い評価を受けた。

制作秘話

原作小説の誕生

作者の吉田修一が『国宝』の構想を抱いたのは、刊行の10年以上も前のことだった。歌舞伎という伝統芸能の奥深さと、そこに生きる人々のドラマを描くため、吉田は自ら黒衣となって3年間、楽屋に通い詰めた。役者たちの素顔、厳しい稽古、舞台裏の緊張感を間近で体験したことが、作品に圧倒的なリアリティと深みを与えている。担当編集者は、映画の大ヒットと原作のミリオンセラー達成という相乗効果について、社会現象になったと語っている。

映画音楽の創造

映画の音楽を担当したのは、李相日監督とは『流浪の月』に続いて2度目のタッグとなる作曲家の原摩利彦である。李監督は当初、「音楽のプランが全然浮かばない」とオファーを躊躇していたが、最終的に原に「主人公の心象風景を深くすくい上げる感覚に加え、叙事詩的なスケールの大きさが欲しい」と依頼した。原は、オーケストラ・リーダーの須原杏らと共にチームを組み、監督との濃密な対話、時には「合宿」のような共同作業を経て、物語の壮大さと登場人物の繊細な感情を表現する音楽を創り上げた。

関連リンク

関連項目

  • 歌舞伎
  • 人間国宝
  • 吉田修一
  • 李相日

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